【映画】「ゆきてかへらぬ」感想・レビュー・解説

さて、なんとも評価しにくい映画だなぁ。

役者の演技は好きだった。広瀬すずはやっぱり上手いし、岡田将生は昔はそんなに好きじゃなかったんだけど、最近は「なんか特異な印象を残すよなぁ」と感じることが多い。そして、あんまりよく知らなかった木戸大聖だが、ネットで調べてみると、アニメ映画『きみの色』で声優を務めたそうだ。そうか、あの役の人か。あと、ドラマ『海のはじまり』にも出てた。役者としての知名度とか経験値みたいなものはたぶん、広瀬すず・岡田将生と比べたら劣るはずなんだけど、本作ではそんな2人を向こうに張って印象に残る存在感を出していたと思う。

ただ個人的にどうしても引っかかってしまったのが、セリフ。本作の舞台が大正なのか明治なのか昭和なのかもよく分からないが、「その時代には本当に、日常会話であんな話し方をしていたんだろうか?」みたいに感じてしまう。

例えばあるシーンで広瀬すず演じる長谷川泰子がこんなことを言う。

【私泣きたい。
自分のためにも、人のためにも。
でも、涙が出ない。
これまで一度も泣いたことなんかないような気さえする。】

ホントに? ホントにこんな喋り方してた? もしそうなら僕の知識不足だしごめんなさいって感じなんだけど、ちょっと信じられないんだよなぁ。

中原中也と小林秀雄はたぶん「天才すぎる2人」だから、その話し方がややこしくてもまあそうかという気はする。でも、長谷川泰子までそんな感じで喋ると、どうしても「リアルじゃない感じ」が出ちゃうと思うんだけど、どうだろう。

そしてそんな会話がちょっと受け付けず、物語としてすんなり受け入れるのが難しかった。

エンドロールを観て知ったが、本作の脚本は田中陽造だそうだ。僕はこの名前を、鈴木清順監督作品で目にした記憶があった。実際に、『ツィゴイネルワイゼン』の脚本を務めたようだ。1939年生まれの現在85歳。中原中也が30歳でこの世を去ったのが1937年なので、近い時代を生きていた人なんだと思う。そしてそういう人がこういう脚本を書いているわけで、「そういう話し方がリアルだった」と考えるべきなのかもしれない。

さて本作は、中原中也(木戸大聖)、小林秀雄(岡田将生)、長谷川泰子(広瀬すず)の3人の恋模様を描き出す作品である。京都で中原中也と長谷川泰子が出会い、そのまま2人は東京へ。その後、お互いを天才と評価する中原中也と小林秀雄が出会い、そのことによって小林秀雄と長谷川泰子も出会う。そして、「感情的に振る舞う中原中也」と「冷静に分析する小林秀雄」の間を行ったり来たりするようなやり取りが続くことになる。

その様を小林秀雄が「シベリア流刑」と表現する場面があった。これは、シベリアの刑務所で行われていた刑罰のことだ。2つの水槽の水を一方から一方へと移す。移し終わったら、空になった方へとまた移す。こうして、永遠に終わらない労働が続くことになる。3人の関係性は、まさにそういうものだというわけだ。

どちらかの関係に収まらないのは、長谷川泰子が奔放なのか、中原中也が感情的なのか、あるいは小林秀雄が冷徹なのか。誰もが相手に求めているものが違い、自分が与えたいものも違う。3人でいると色んな凸凹が埋まって上手く収まるのに、2人と1人になると途端に破綻してしまう。そういうややこしい関係性を濃密に描き出す作品だった。

ストーリー的にはなんとも言えないが、役者の佇まいと、セットの豪華さ(路面電車まで走らせてたし、あのメリーゴーラウンドもわざわざ作ったんだろうか?)で結構観れてしまった感じはあるかなと思う。ただ、ズバッとは刺さらなかったかなぁ。

あと、これは超どうでもいい話だが、僕の中で「小林秀雄」はおじいちゃんのイメージしかないので、そんな「小林秀雄」が岡田将生の姿で登場するとちょっと頭が混乱する。一方、中原中也は若くして亡くなったこともあり、木戸大聖の姿で出てきても違和感はない。そうか、この2人は同時代を生きた人だったのかと思ったし、どうしても最後まで「小林秀雄=岡田将生」は馴染めなかったなぁ。まあ、作品そのものとは関係ないけど。

悪くはなかったけど良くもなかったという感じで、観る前の期待度はちょっと高めだったので、全体的には「ちょっと残念だった」という感想になるかなと思う。

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長江貴士
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