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【本】千早茜「森の家」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。


本書は、「水の音」「パレード」「あお」の三編からなる連作短編集です。が、各編の内容紹介をするのではなくて、主要な登場人物三人の人物紹介にしようと思います。千早茜の小説って、なかなか内容紹介って難しいんだよなぁ。

舞台は、そこだけ木々に囲まれた古い洋館。そこに、佐藤さん、みりちゃん、まりもくんの三人が住んでいる。


この三人は、家族のようで、家族ではない。


佐藤さんは建築士で、まりもくんの母親が住んでいたこの洋館でまりもくんと二人で暮らしていた。まりもくんは、佐藤さんの子供かもしれないし、子供ではないかもしれない。まりもくんは佐藤さんのことを「聡平さん」と呼ぶ。


二人は、あまりお互いに干渉し合わないように生きてきた。佐藤さんは誰に対しても飄々と、まりもくんは誰に対してもそこそこに期待のままで。二人は一緒に暮らしていたけれど、お互いのことをあまりよくは知らない。何か共有していたものがあるわけでもない。たぶん人に話せば、変わっていると思われるのだろう。だからまりもくんは、家族の話を誰かに聞かれるのが苦手だった。まりもくんにとっては、大した問題ではないし、ずっとそうやって生きてきた。


みりちゃんは、佐藤さんの恋人だ。誰にも執着せず、付き合う相手がコロコロと変わっていた佐藤さんが、初めて家に連れてきた。みりちゃんはその内、うちに住むようになった。


みりちゃんは変わった女性だった。もう30歳を超えているのに、感情を自由に表に出した。それでいて、投げやりだったり、無関心だったりした。


三人での生活は、外側から見たら歪だっただろうけど、三人の中ではしかるべき形に収まっていた。干渉し合わない三人は、ひとりとひとりとひとりで、やっぱりひとりだった。それでも、三人で一緒の形に、慣れきってしまっていたのだろう。


ある日、佐藤さんが家に帰ってこなくなった。まりもくんは、その日のことを予期していた。みりちゃんは、狂乱した。
というような話です。


これは凄かったなあ。俺のための物語だった。ここに描かれた三人は、僕の分身だった。なんで俺のこと、こんなに知ってるんだろう、という感じがした。ホントにびっくりさせてくれる、千早茜は。「からまる」もそうだったけど、千早茜の小説には、僕の断片があちこちに散りばめられている。


本書を読んでいる間、思い出したことがある。


僕は子供の頃からずっと、どんな場面でどんな感情を表せばいいのか、よくわからなかった。だから僕は、みんなの反応を見ながら研究した。


自分の内側から湧き上がる感情、というものがほとんどなかったと思う。僕はたぶん、ほとんど何も感じない子供だったと思う。怒りも喜びも悲しみも辛さも、なんというかよくわからないままだった。


だから誰かと話していても、色んな場面に直面しても、それぞれの場面でどんな感情を表すのが適切なのか、よくわからないままだった。


僕は、周りの反応を見ながら、少しずつ学んでいったんだと思う。なるほど、こういう場面では笑えばいいのか。こういう場面では怒らないといけないのか。こういう場面では、励まさないといけないんだな、と。ある程度まではそれでうまくやれるようにはなっていったと思うんだけど、でもやっぱり難しかった。だから結局僕は、笑うタイミングがわからなかったからいつも大体笑ってたし、怒ったり悲しんだりするタイミングなのかよくわからなくてヘラヘラしてたりした。そんな風にしか出来なかった。


僕にとってそれが『普通』で、そういうものだと思ってた。


たぶん、本当はそうじゃないんだろう。


周りの人を見ていると、なんというか、心の底から沸き上がってくる、頭の中で考えたりするまでもなく浮かび上がってくるような、そういう感情があるんだろうなぁ、ということに気づくようになっていった。


僕には、正直、そういうものはない。


普通の人はきっと、生まれた瞬間から様々なソフトがインストールされていて、必要な場面で必要なソフトが機能するようにプログラムされているんだろうと思う。


でも僕はたぶん、生まれた時にはほとんど何もソフトが入ってなかったんだと思う。だから、自分で研究して、そうかこういうソフトを持ってないといけないんだなと思ってダウンロードして、それをどんな場面で使うのが適切なのかというのを色々実験していった。


僕には、なんかそんな風にしてここまで生きてきたみたいに思う。


だから未だに、自分の感情というのを捉えるのが、とても難しい。たぶん、そんなものはないのだ。でも、「感情がない」というのは、色んな意味で不都合だったりする。


だから僕は、それぞれの場で、今はこういう感情だといいんだろうなぁ、なんて思いながら、未だに人と関わっている。そんなことをしているから、僕はたぶん、誰といるかでキャラクターが大きく変わるんだろうな、という気がする。それは、意識してそんな風に変えているわけではなくて、その場その場の流れに合わせているだけだ。だから、コロコロと変わる僕こそが、本当の自分なんだろうな、という感じがする。


僕は、こんな風に生きている人間なんて、ほとんどいないだろうと思ってた。でも、こうやって作家が小説にするってことは、もしかしたらいるんだろうか。小説で描かれるほど普遍的な存在として、僕みたいな欠陥を抱えた人間って、結構いたりするんだろうか?


第一章はみりちゃん視点だったのだけど、ここを読んでいる時僕は、なんだか説教されているみたいに感じた。それは、友人からみりちゃんに向けられた言葉だったり、みりちゃんが自分で自分につきつける言葉だったりするんだけど、そういう言葉が全部僕に刺さる。痛い。うわぁー、止めてくれ!ってホントに思った。でも、読むのを止められない。こうやって、自分の酷さを、醜さを、くだらなさを再確認して、そうやってなんとなく安心したりしているのかもしれないな僕は。


三人は、見た感じや性格は全然違う感じなんだけど、でも三人は物凄く似ている。似た欠損を抱えている、と言ったらいいか。足りないものが似ている。持っているものはさほど似ていないのに、普通の人が持っているのに彼ら三人が持っていないもの。それが凄く似ている。

彼らは、他人との関わり方がうまくない。


『「あんたはすぐ逃げるから。ちょっとでも相手が距離をつめようとすると、いいかげん落ち着きなよね。」』

『私は、その近さが疎ましい。皮膚の裏がざわめき、身がすくむ。別々の人間が分かちがたくくっついているのが怖い。ただただ近いのが当たり前だという、その距離が、甘ったるい空気が。』

『少し笑う。だから、怖いんじゃない。私はいらないの。そんなに確かで、強いもの。』

『笑う顔を見るとほっとする。自分はうまくやれているんだな、と思う。』

『僕は赤ん坊を見て可愛いと感じたことがない。むしろ、怖いとさえ思う。大人の一挙一動で形成されていく未熟な存在。あんなものがうっかりできてしまったら、どうしたらいいか混乱するだろう。』

『ひとつだけ確かなのは、僕はみりさんじゃなきゃあんな風に感情をぶつけたりはしなかった。その後に起こることを想像しないで行動したのも、本当に久しぶりのことだった。』

『簡単だ。血が繋がっていようといまいと、人との関係を着ることなんて簡単なものだ。簡単ではないと人は思いたいから、そう言うだけだ。当たり前と思っていたことなんて、別れてしまえば幻想だったと知る。』


彼らは、生き方が未熟だ。


『でも、今ならわかる。人はささいなことに縛られてしまう。失っても痛くないものなど何ひとつない。こんなマスターとの意味のない会話でも。それぞれが自分のためだけに自由に生きるなんて不可能だ、そして、何も持たずにいることが自由でもなかった。私は自分の気持ちから逃げていただけだったのかもしれない。』

『失いたくないものをどうやって留めておけばいいかわからなかった。だから、私は自由を気取り、まりも君は物わかりのいい顔をして、そして、佐藤さんは約束を利用して逃げた。』

『「あんたの母さんは随分この男を好いていたけど、あなしに言わせればこの男は空っぽさ憂鬱になるってことがないんだからね。憂鬱になる間になんでもぽいと捨ててしまうんだ。煙草を止めるのもあんたのためじゃない。自分のすることを人にあれこれ言われるのが面倒だからだよ。執着ってもんがない、ぜんぶ気まぐれさ。そういう人間なんだ。あんたのこともぽいと捨ててしまうかもしれない。それでも、いいのかい」』

『最初から期待というものがなければ、人はある程度は求めずに生きられるものなのだ。人を打ち砕くのは現実そのものではなく、現実と期待との落差なのだと思う。』


彼らは、『普通』と名付けられた幻想に苦しめられる。


『家族を持つ友人たちと別れた後はいつも普通とはなんだろうと考えてしまう。それを疑ったことのない人の無意識の暴力は、脱力感と自己嫌悪がまぜこぜになった苦い痛みをもたらす。』

『「でも、普通ってなんだろうね。みんな嘘ついてるだけじゃないのかな。大切な家族とか、愛する恋人とか、守らなきゃいけないものがあるとかきれいな理由をつけて、社会的な枠で囲って逃げられないようにして、本当の気持ちを見ないふとをしているだけじゃないのかな。」』

『今まで家族をつくることなど想像したこともなかった。けれど、涼を含む世間一般の人間は、家族というものを疑いもなく築いていくものなのだろう。』


全部、全部、全部激しく共感できてしまう。凄い。本当に凄いと思った。僕が生きている中で感じている色んな違和感を、全部この作品の中に詰め込んでくれているような感じがした。


そう、僕が長い間ずっとずっと付き合い続け、でも未だにどう言語化したらいいのか(つまりそれは、僕以外の他者に伝えるための言語化、ということなのだけど)全然わからず、自分が抱えているものの深さとか黒さを誰にも共感してもらえるような形で表現することができないでいた色んな違和感が、この作品の中で色んな形を成している。


特に僕は、『普通』というものに、結構苦しめられてきたと思う。なんか、周りの人達が、『普通』に何も疑問を感じないことが、僕には腹立たしかった。僕には、それっておかしいだろう、と思える『普通』が、世の中にはたくさんある。でも、多くの人は、それに疑問を抱かないようだ。不思議で不思議で仕方がない。なんというか、『普通』という幻想を了解しなければ、社会の成員として認められないのだろうか、なんて思いたくなるようなこともある。

僕は、『普通』が存在しているのは、誰かにとって都合がいいからだと思う。みんなが出来るだけ同じ行動をしてくれる方が、国や企業や個々の家族や、そういうものが楽になるから『普通』ってものが存在してるんだと思っている。それはあまりにもナチュラルに根付いているから、その作為になかなか気付けなかったりする。なんか僕は、それが嫌で、『普通』が気持ち悪かったりするんだよなぁ。


彼ら三人は、『普通』をそのまま受け入れない。みんなが『普通』だと思うことに、僕がそう感じるのと同じような違和感を抱いてくれる。


なんというか、凄く嬉しい。なんか、他にもいたんだ、と思った。今まで自分と似たような人に、出会ったことはなかったと思う。佐藤さんも、みりちゃんも、まりもくんも、そして僕も、みな同類だ。なんか、凄く嬉しい。今すぐにこの作品の中に入っていって、彼らと話してみたい。できれば、一緒に関わりながら生きてみたい。ひとりとひとりとひとりとひとりで、やっぱりひとりな四人で一緒にいてみたい。なんかそんな風に思えてしまった。


小説を読んでて、そうそうまさに僕ってこういう感じの人間なんだよなぁ!という作品に出会うことはあるのだけど、この作品はその中でも、ずば抜けて僕のことをわかっている作品だなと思う。なんか凄く傲慢な表現だけど、本当にそんな気がした。僕以外の人がこの作品を読んだら、どんな風に感じるんだろう。それを、すごく知りたい。「へぇ、こんな人もいるんだねぇ」みたいな感じなのか。それとも、「そうそう、私もこうなの」なのか。あるいは別の何かなのか。凄く知りたい。この三人に共感できる人がたくさんいるなら、なんか僕は、凄く嬉しいんだ。


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長江貴士
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