
(1.3) アドルフ・ヴュルツ『化学理論の歴史』:ラヴォアジエ Ⅲ
アドルフ・ヴュルツ『化学理論の歴史─ラヴォアジエから今日まで─』 (Historie des doctrines chimiques depuis Lavoisier jusqu'à nos jours, 1868) の試訳です。ラヴォアジエ(全 4 回)の 3 回目。目次はこちら。
Ⅲ.
ここまで、ラヴォアジエの理論の全体像を伝えてきた。ここからは、この理論の詳細と、その後の発展を見ていく。彼の理論は、ラヴォアジエやその後継者の発見によって、発展を遂げた。
ラヴォアジエは、 1772 年、フランス科学アカデミーに封書の形で論文を提出した。この論文ではじめて、ラヴォアジエは燃焼による金属の質量増加を扱った。そして、空気中での硫黄とリンの燃焼で質量が増えること、その質量増加が気体を一定量吸収するために起こることを明らかにし、さらには、金属灰を還元すると、気体が放出されることも示した。
その実験の一部は、1774 年に発表された論文に詳しく書かれている。ラヴォアジエは、密閉容器内でスズを長時間加熱させることで、ブラック Black がすでに見たような空気の体積減少を認めた。しかし、ブラックよりも聡明で、熟練した実験技術をもっていたラヴォアジエは、これだけに留まらなかった。冷却後、開封した容器に流入する空気の質量が、スズの質量増加と見事に一致することも発見した。この発見によって、スズの質量増加が、空気の吸収から来ることを実証できた。これは、スズによって奪われる容器内の空気と、冷却後に流入する同体積の空気とで、明らかに質量が変わらないためである。
1774 年にプリーストリが酸素を発見した直後、ラヴォアジエは新たに論文を発表した。この論文で、金属の燃焼によって吸収される気体は、空気そのものではなく、その内の 1 成分だけであることを発見した。この成分は、最初、「生命の空気」、または「燃焼と呼吸に非常に適した空気」と呼ばれた。この気体を、プリーストリのように、水銀灰の加熱から得ることで、水銀灰が水銀と酸素との化合物であること示した。さらに、ラヴォアジエは、この現象をすべての金属灰に拡張し、金属灰は金属と生命の空気(酸素)からなると考えた。
金属灰を石炭とともに燃焼すると、金属と固定空気(炭酸)が得られることは、当時から知られていた。このことから、ラヴォアジエは、炭酸は石炭と生命の空気からなるとした。さらに、生命の空気は、硝石の 1 成分とも考えた。それは、硝石が石炭の燃焼を非常に促進し、同時に固定空気を放出するためである。固定空気の組成は、この後すぐ、固定空気の見事な合成法が発見されたことで明らかになった。ラヴォアジエは、アカデミア・デル・チメントの有名な実験以来はじめて、ダイヤモンドの燃焼では固定空気しか得られないことを示し、固定空気を炭酸と命名した。
こうして始まった酸の組成に関する研究に、1777 年、リンの燃焼から生じるリン酸が加わった。ラヴォアジエは、燃焼によってリンの質量が増えることを改めて確かめ、 1/5 体積分の空気がリンに吸収されることを発見した。そのことから、リンの燃焼における空気の働きを解明した。
同年行った他の実験は、空気に含まれる 2 つの成分のうち、燃焼を促進するのはその内の 1 成分、酸素だけであることを支持した。
この研究と関連するのが、硫酸の組成に関する研究である。ラヴォアジエは、硫酸が、硫黄を燃やした時の気体よりも、酸素の割合が多いことを発見した。シェーレが直前に発見した窒素酸化物と硝酸の組成についても、ラヴォアジエは、これと同様の関係にあることを指摘している。さらに、シェーレが見つけた窒素酸化物を直接酸化させると、 2 つの物質の中間酸化物の赤みかかった蒸気が生じることも明らかになった。以上の研究ではいずれも、この「燃焼と呼吸に非常に適した気体」が酸の生成に不可欠であることを示している。この気体は、 1778年 発表の論文で、はじめて酸素と呼ばれるようになった。
その後、研究対象は酸化物に戻り、塩へと移って行った。金属に結合できる酸素の割合を調べていたラヴォアジエは、酸化物を、すべての塩に含まれる成分とした。それまで、塩の組成を統一的に表す方法はなかった。金属と酸との化合物の塩もあれば、金属灰と酸との化合物の塩もあった。どちらの方法も、当時知られていた実験と矛盾しなかった。リサージは、酢に溶けて塩をつくることが知られていた。同時に、金属が酸に溶けてできる塩も多く知られていた。皓礬、すなわち硫酸亜鉛は、亜鉛を希硫酸に溶かすと生じるではないか? このとき、当初は気づかれなかったが、一緒に水素が発生する。これが後に誤って解釈された。ラヴォアジエは、この水素が、反応する水に由来し、残った酸素が亜鉛と結合することを示した。したがって、硫酸と反応するのは、亜鉛ではなく、水によって酸化された亜鉛、すなわち酸化亜鉛である。
銅が硝酸に溶ける時も、反応こそ異なるが、起きることは似ている。この反応では、金属は、周りの水ではなく、酸そのものを分解して、酸素を奪う。その結果、銅は酸化物となり、硝酸の別の部分と結合して塩をつくる。金属に酸素を与えた酸の部分は、この脱酸素、つまり還元によって、赤みがかった気体、すなわち次亜硝酸として放出される。
以上が、ラヴォアジエの解釈である。金属が酸に溶けるという反応は、様々な種類があるので、それまで、研究者の手に負えず、説明できずにいた。そこへ、ラヴォアジエはこの反応を二つに分けた。一つが、金属の酸化反応。もう一つが、生じた酸化物と酸との反応である。
酸や酸化物、塩をつくるのに酸素が果たす役割を解明したラヴォアジエは、非常に簡単な定義から、化学の新体系を築いた。
酸は、一般に、非金属である単体と酸素とが結合したものである。
酸化物は、金属と酸素とが結合したものである。
塩は、酸と酸化物とが結合したものである。
酸化物のこの定義は、他の物質への応用が簡単に利く。
硫化物は、金属と硫黄とが結合したものである。
リン化物は、金属とリンとが結合したものである。
塩化物だけが、この体系から外れるわけではないが、正確に定義できずにいた。実際、ベルトレが塩素を塩酸と酸素の化合物としたために、塩化物は、長い間、酸素を含む塩として考えられていた。しかし、この間違いはのちに訂正されて、ラヴォアジエの理論の破綻を防いだ。この理論では、単体どうしが、消滅することなく、結合して化合物をつくるが、その化合物の複雑さに応じて、さまざまな次数をとる。
ある単体が別の単体と結合するとき、得られる化合物は、一次の二元化合物である。酸や酸化物、硫化物などがこれに属し、一番単純な化合物である。
しかし、酸や酸化物は、それ自体、互いに結合して二次の二元性化合物をつくる。この化合物は塩である。
何次の化合物であっても、常に、単体もしくは化合物の 2 成分、すなわち結合している 2 つの要素に分けられる。硫化鉄は、硫黄と鉄という、ともに単体である 2 つの成分をもつ。緑礬の場合、硫化鉄にもう一つ、単体が加わる。つまり、硫黄と鉄、そして酸素である。 3 つの元素は、次のように結合する。まず、酸素は硫黄と鉄の両方に結合し、硫黄は硫酸に、鉄は酸化鉄になる。そして、この酸と酸化物が、緑礬という塩の直接の構成要素となる。
同様に、他の化合物も 2 つの成分に分けることができる。これが、ラヴォアジエの理論の本質である。そして、どんな成分の結合であっても、単体、もしくは化合物である 2 つの成分間には親和力が働く。たがいの成分が引き付けあい、結合するのは、 2 つの成分に相反する性質があるためである。つまり、結合によって、 2 成分の性質は打ち消しあう。このように、ラヴォアジエの理論は二元論の考え方をとる。
こうした二元論の考え方が、ラヴォアジエの理論の原理であるとともに、化学命名法の基本方針にもなった。この命名法は非常に精緻に作られており、 18 世紀末の化学理論の発展に、少なからず貢献した。