#2
小さいときの自分
小さいと言っても私が消化出来ていない過去の自分はだいたい小学校3,4年生から中学卒業までのそこまで小さいといえるわけではない自分である。
当時の私は眼鏡をかけ始め、痩せてもいなかったため自分のルックスに嫌悪感を抱きはじめ、家族も容姿に対していじりをするようになっていたため、おそらくこの時期から自分の容姿に対する劣等感が生まれ自信を失っていったと思う。性格も周囲の、特に大人からいじられやすい性格だったためか少しのろまだとか諸々言われたことを真に受けていた気がする。
小学校三年生の時に担任になった先生があまり評判のいい先生ではなく、母はクラスが学級崩壊になることを予想して塾に私を入れた。予想は的中、四年生の頃の教室での記憶はほとんど学級崩壊でひどい有様だったことを覚えている。また、そのほかの習い事ではピアノやテニスをしていたので放課後はあまり遊ぶ余裕がなく、それに加えピアノの練習や塾の宿題などに追われていたため憂鬱な放課後を過ごしていた。特にピアノの練習は屈辱的で、母から一音間違うだけで怒号が飛んできて、少しでもミスすることが出来ず泣きながらまったく成長しないままピアノに向き合っていた記憶がある。ついに4年生の時表面上の理由では中学受験をするため、勉強に専念するためという理由でピアノをやめた。実際には私の練習する姿を見るに堪えなくなった父がやめてほしいという思いからやめた。やめた瞬間ピアノは弾き方を忘れた。相当負荷がかかっていたのだろう。今でも全く思い出せない。このピアノの経験からだんだんと私は自分に対して失敗してはならない、何事も最初から間違いは許されなといったような完璧主義的な性格になっていったと思う。
また、明確には覚えていない、あるいは本能的に思い出さないように脳が動いているのかもしれないがこの時期から母の私に対する教育熱心さという名の要は文字に起こすのも抵抗がいるが、いわゆる虐待と呼べるようなものが起こっていた。この文字を起こすだけなのにこんなに時間が必要で、遠回りしないと起こせない文字だなんて。私は未だにこれは虐待ではなかったとでも信じたいのだろうか。たぶんそうである。嘘だったんだ、架空の記憶だったのではと思いたいのである。でも信じがたい、これは事実である。言葉の暴力と物理的な暴力があったのである。しつけという言葉では納められないのだからこれはそうだったのである。
しかし、驚きである。10年近く経とうとしていることに対していまだに期待を込めて現実だったのだと受け入れられない自分がここにいるのである。
この動揺っぷりを見てわかるようにこれを書いている目的は過去の記憶整理と事実から背を向けないこと、特に自分が孤独感を抱く要因の大半を占めているこの虐待の経験を消化することである。