こんな時期だからロシア文学「アンナ・カレーニナ」を読んでみた

日本のジェンダーギャップが低いワケ
主人公アンナには、美人にありがちな、あざとい野心を感じる。
 
自分の美しさを自覚していて、どんな男も自分になびかせないと気が済まない動物的な本能が彼女にはみなぎっている。ヴロンスキーのみならず、世間の男どもがアンナの美貌の虜になっていくが、彼女からしたらすべて想定内。
 
すでに結婚している、真面目男のリョーヴィンさえ、彼女の美しさにメロメロになってしまう。これまで彼女の不倫を非難していた立場だったにも関わらずだ。
 
興味深い話に耳を傾けながら、リョーヴィンはずっとアンナに見とれていた。彼女の美しさ、知性、 教養、そして同時に素直で打ちとけた態度にうっとりとしていたのである。
(中略)
「なんとすばらしい、愛すべき、そしてかわいそうな女性なんだろう」オブロンスキーと一緒に冷え 切った戸外に出ながら、リョーヴィンは思った。
トルストイ. アンナ・カレーニナ 4 (光文社古典新訳文庫) (p.62). 光文社. Kindle 版.
 
一方、アンナはリョーヴィンを虜にしたことを、しめしめと思っている。
 
彼女(アンナ)は無意識に(このところ若い男性にはすべてそうしてきたとおり)一晩中ずっとリョーヴィンの心に自分への愛をかき立てようとあらゆる手を尽くし、そして既婚の誠実な男性を相手 に、 しかもわずか一晩で可能な限りにおいて、その目的を達成したのを意識していたし、しかも 自分でも相手のことがとても気に入っていた。
トルストイ. アンナ・カレーニナ 4 (光文社古典新訳文庫) (p.68). 光文社. Kindle 版.
 
まさに、女の近くにいるとメーワクな、女の敵アンナ。
 
欧米の小説の女性主人公は、こういう「女に嫌われても平気」な女性がよく出てくる。スカーレット・オハラがそう。アメリカ代表スカーレット、ロシア代表アンナ・カレーニナ。どっちのカードも強い。
 
日本代表・・・、いないなあ。古典から現代小説まで、日本の女主人公が束になっても、ロシア代表とアメリカ代表の敵じゃない。これだから日本はジェンダーギャップ指数、100位以内にも入れない笑
 
主婦代表ドリーには「1Kいいね」
『アンナ・カレーニナ』の登場人物の中でも、ドリーという主婦は親しみのわくキャラだ。
彼女のプロフィールをまとめると、「浮気者の夫にムカつき中」「六人のわんぱくキッズのママ」「家計のやりくりがんばり中」のごく普通の主婦。そのくせ、不倫のせいで社交界からつまはじきされるアンナを見舞う、芯のある女性でもある。
 
ドリーがアンナを訪ねる最中、馬車の中で自分を率直に語るシーンは、子育てをする世の主婦から100万K「いいね」がつくだろう。
 
「今のうちはわたしがグリーシャ(子どもの名前)の勉強をみてあげられるけれど、それはただ今私が身重でなくて、暇があるからにすぎないわ。夫はもちろん何のあてにもならないし」
(中略)
「妊娠して、つわりがきて、頭が鈍くなって、何にも興味を失って、(略)出産のあの苦しみ、もう滅茶苦茶な苦しみと、あの最後の瞬間・・・それから授乳、眠れない夜、あの恐ろしい痛み・・・」
 
子育てに嫌気がさした主婦の、苦しい胸のうちがつづられている。
 
現代でも、子育ての悩みとクソ旦那への愚痴は、インスタグラムなどのSNSで共感を集めやすいテーマだ。ドリーの畳みかけるような怒涛の独白は、読みごたえがある。
 
ドリーが子どもを失った時の描写もリアリティがある。
 
…そして何よりも、そうして育てた子供の死」そしてまたもや彼女の脳裏に、永遠に母親としての心にのしかかっている最後の、乳呑児の死の残酷な記憶が沸き起こってきた─ ─ 偽膜性喉頭炎によるその死、葬儀、小さなピンクの棺を前にした皆の無関心と金モールの十字架をつけたピンクの蓋で棺がおおわれる瞬間にちらりと見えた、青ざめた小さな額と巻き毛のもみあげ、びっくりしたよう に開かれた小さな口を前にした自分の、胸の張り裂けるような孤独な痛みが。
トルストイ. アンナ・カレーニナ 3 (光文社古典新訳文庫) 光文社. Kindle 版.
 
ドリーは赤ん坊を一人亡くしている。現代では乳児死亡率が低いために、このような悲劇はあまりない。しかし、この描写は現代の女にも、どこかで共感できる部分がある。それを自分の中に探してみたら、不妊の苦しみに置き換わるような気がした。
 
毎月の排卵日に、夫を急かしてことに及ぶ。そして翌月、妊娠検査薬を覗いた時の、あの絶望。今月も妊娠できなかったという、あのやるせない気持ち・・・。
 
ドリーが子どもの葬式を見送る時の状景は、あの絶望と重なる。生命の生と死に、たった一人で向き合う女の孤独。
 

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