渇いている
夏の暑いある日、私の飼っていたうさぎが死んでしまった。
原因はうっ滞である。
うっ滞はお腹にガスがたまり、ご飯が食べられなくなる病気だ。
たしかに兆しはあった。
しかし、忙しさからまだ若いし楽観的にだいじょうぶだろうと考えてしまったのが良くなかった。
急いで病院に連れて行った朝、まだ助かるとおろかにも楽観的に考えていた。
先生は彼を見ると、血相を変えて処置を始めた。
そして、「もう、助からないかもしれません」
私に告げると、一生懸命処置をしていた。
私は、その言葉を聞くとまるで夢でもみているかのような気持ちになった。
言葉が理解できなかったのだ。
そして、先生は実際に処置をみせられると、私の家族はもう風前の灯だった。
くるしそうな顔はいまでも脳裏に焼き付いている。
そして、パニックになっている私をよそに先生は「だめでした」 と一言言った。
我に返ると、ピッーという心拍数が0になった音が聞こえた。
処置室には動かない、家族だったうさぎがいた。
しばらく無言になり、私は泣いた。
すぐに自分に対する激しい怒りと後悔の念が押し寄せてきた。
つい、一昨日まで元気に走り回って、人のベットにうんちやおしっこを撒き散らして満足していた彼はいないのである。
ケージ内のトイレを覚えて、掃除を楽にしてくれてた賢い彼も。
その現実がわかったとき、また涙がでた。
確実に自分の楽観的な考えや愚かさが招いた結果だったからなおさらである。
ちなみに、もっと悔しかったのは普段なら病院にすぐにつれていくぐらいには神経質だった。
そのはずだった。体調不良時にまぁ寝てればいいかと、そのくらいの気持ちだった。
そのまま、会社に休む連絡をいれて、その冷たく死後硬直が始まった遺体をタオルにくるんで家に持ち帰った。
その後、ペット霊園で安らかに眠ってもらうために連絡をし、その日のうちに引き取ってもらった。
その日のうちに、様々な出来事がおこり、正直現実味がなかった。
しかし、次の日に彼のケージにチモシーをいれようと開けると、居なかった。
パニックになった。
そして、彼はもういないことを思い出し、さめざめ泣いた。
ガランとした空間にはもう何もなく、彼が生きがいだっため、ただ人生が渇いた。
もちろん自業自得だし、彼もきっと私を恨んでいるだろう。
あと、少し早く病院に連れて行ってくれたら、と。
せめてもの贖罪として、他のうさぎを助けることを目的に生きていきたい。
彼自身は救えなかったが、同胞を助けることで少しでも彼にしてしまったことを反省したい。
意味がないことはわかっているが、これを続けていきたい。
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