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熱も体温もない紙の上に魂を乗せる厄介さ【2022/3/20放送_俳人/俳句雑誌「鷹」編集長 高柳 克弘】

Fm yokohama(84.7MHz)から毎週日曜日深夜24:30~25:00にお送りするラジオ番組『文化百貨店』。
3月20日の文化百貨店にお越しくださったのは、俳人・俳句雑誌『鷹』編集長の高柳克弘さん。番組MCの山崎晴太郎が、かねてから興味を持っていた俳句の世界について、2週に渡って伺います。

【パーソナリティ】
セイタロウデザイン代表・アートディレクター 山崎晴太郎(@seiy

【今週のゲスト】
俳人/俳句雑誌「鷹」編集長 高柳 克弘さん

1980年、静岡県浜松市生まれ。早稲田大学教育学研究科博士前期課程修了。藤田湘子に師事。第19回俳句研究賞受賞。句集に『未踏』(第1回田中裕明賞)、『寒林』。評論集に『凛然たる青春』(第22回俳人協会評論新人賞)、『どれがほんと? 万太郎俳句の虚と実』『究極の俳句』。児童書に『そらのことばが降ってくる 保健室の俳句会』。2017年度、2022年度「NHK俳句」選者。「鷹」編集長。読売新聞朝刊KODOMO俳句選者。中日俳壇選者。早稲田大学講師。

【今週のダイジェスト】

▶︎“余白をきちんと読み取ってもらえるか”を句会で確かめる

【山崎】僕はデザイナーという仕事をやっているんですけども、30歳を越えたあたりから、自分のルーツみたいなものを表現の軸に持ちたいと思って、水墨画や生け花をやってきました。もう1つずっと心の中にあるのが、俳句。仕事がデザインなので、ビジュアライズするというか、画的なアプローチでやることが多いんですけど、画的に言葉を紡いでいると感じているのが俳句なんです。

実は父親が俳句好きで、幼少期にお風呂場で覚えさせられたりしていて、音やリズムが印象に残っていたんですが、なかなか体系立てて学んだりチャレンジする機会が無かったんですけど、そろそろ踏み出してみようかなと思って、俳句に関する方をお招きしました。

今回のゲストは、俳人・俳句雑誌『鷹』の編集長の高柳克弘さんです。よろしくお願いします。

【高柳】よろしくお願いします。

【山崎】リスナーさんも俳人の方と喋る機会って、あまり無いと思うんですよ。

【高柳】そうですよね。

【山崎】早速ですが、どういう風に俳句をつくっているのかを教えていただいても良いですか?

【高柳】実は俳人の仕事の中で、俳句をつくる割合が一番低いんですよね。他人の句を見て良い句を選んだり、俳句をやりたいという方を集めて教えたりと、つくる以外の仕事がほとんどなんです。ついつい、句作が埋もれそうになるので、自分でも気を付けています。

【山崎】そうなんですね。自分で納得のいく句って、どのくらい出来るんですか?

【高柳】「これぞ!」というものが、一生の中で十句つくれたら一流の俳人だと思いますね。

【山崎】それに向かって、ずっと頭で言葉を紡ぎ続けているんですね。

【高柳】その十句を生み出すための修行、トレーニングという感じですかね(笑)

【山崎】自分では良い出来だと思わなくても、素晴らしい句だと言われることもあるんですよね。

【高柳】そうですね。俳句って作者自身が、その句の良さをよく分からないんですよ。だから句会があって、そこで人に見てもらって、そこで評判の良い句を「これが良かったんだ」という感じで残していく。句会の面白さが、そこなんです。自分が名作だと思ったものが酷評されたりもするし、逆に数合わせとして書いた句がすごく受けたりもするんですよね。だから、自分では分からないんですよ。

【山崎】そういうものなんですね。

【高柳】余白がとにかく大きいので、その余白を「きちんと読み取ってもらえるかな?」という所なんですよね。自分ではこういう想いを込めたんだけど、それがきちんと伝わっているかというのは、実際に投げてみないと分からないものなんですよ。

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▶︎せっかくなら借り物の言葉ではなく、自分の俳句をつくって欲しい

【山崎】高柳さんは『鷹』という俳句会に所属をされていますけれど、句会(結社)とはどういうものなんですか?

【高柳】お茶やお花の流派に近いですね。色んな考え方の人がいて、その人が先生になってお弟子さんを集めて、グループをつくるわけですよね。それが結社と呼ばれるもので、主流なのは高浜虚子という人が大きくした『ホトトギス』ですかね。

【山崎】教科書に出ていましたね。

【高柳】「遠山に 日の当たりたる 枯野かな」という句が教科書に出ていたと思うんですけど、その人は“客観写生”を唱え、主観をとにかく抑えて風景を淡々と書くべきだと言ったんです。そのうちに、そういう教えに反発する弟子も出てくるわけです。「もっと感情を込めたい」「自分の人生哲学や社会の事を詠みたい」と、虚子の元を離れた人がまた1つ大きな流れを作ったりして……。

すごくざっくり言うと、客観派と主観派で大きく分かれている感じです。

【山崎】『鷹』は、どういう方向性なんですか?

【高柳】私の所は、完全に主観派の流れです。“自分の心を表現しよう”みたいな所ですね。俳句には色んな考え方がありますけども、私の場合「自分の言葉で表現して欲しい」というのがベースにあります。どうしても、我々は借り物の言葉を使って、普段から生きていると思うんです。けれども、俳句にもそれが出るとね……。

例えば、富士山が水面に逆さまに映っているのと、すごくキレイですよね。これを“逆さ富士”と言うんですけど。

【山崎】そういう風に言いますよね。

【高柳】「逆さ富士だ!」と思うと、それをそのまま俳句に使いがちなんですけど、僕は“水に映る”という事を伝えるには、色んな表現があるんだよと話しています。“逆さ”も1つだし、“映る”というのも有りなんだけど、あえて決まり文句を使わないで「水に映る」という事を表現してみましょうとやっていくと、段々ありきたりの言葉ではなくて、自分の言葉が出てくるようになるんです。せっかく俳句をつくろうと思ってくれたんだから、個性のある自分の俳句をつくって欲しいんですよね。

【山崎】自分の中から、言葉が出てくるようにするという事ですよね。

【山崎】今日は、高柳さんに宇多田ヒカルの『花束を君に』を選んでいただきました。

【高柳】大学生に俳句を伝える時に、たまに引用というか流している曲なんです。“どんな言葉を並べても真実にならない”というフレーズが出てくるんですけど、それを言葉にするという矛盾した歌詞なんですよね。

言葉は辞書に載っている時点で、どんなものでも“オリジナルではない”じゃないですか。例えば、告白をする時の「好きです」という言葉も、全然オリジナルではないですよね。だけど、そこに自分の想いを乗せて、その人の声で言うことで、言葉に魂が乗っていくと思うんです。

だけど、俳句や文芸は、基本的に紙の上に書いていることで勝負をしないといけないので、そこには熱も体温も無いんですよね。自分が楽しいとか、あなたが好きですという事を書くだけでは全然伝わらないので、そこの言葉を工夫していく必要があるんですよ。十七音の型の中で、楽しかったら“楽しい”という言葉を自分なりにアレンジをして、楽しいと言わずに楽しさを伝えないといけない。その言葉の厄介さみたいなものを自覚して欲しくて、いつも流している曲です。

▶︎俳句界全体を時代に合わせていくために書いた『そらのことばが降ってくる』

【山崎】ビギナーに俳句の魅力を伝えるという意味では、昨年の9月に『そらのことばが降ってくる 保健室の俳句会』という、小学校高学年から中学生に向けた小説を刊行されました。

中学に入り自分のコンプレックスをからかわれ、保健室登校になってしまったソラ。
保健室で、風変りな同級生・ハセオと出会い、“ナゾク”という俳句遊びに誘われる。
ハセオの熱意によって、俳句に興味をもちはじめるソラ。
そこに加わった、はつらつとした少女・ユミと一緒に俳句に触れるうち、ソラはどんどん、その表現世界に魅せられていく。
そして、学校で企画された新春の俳句大会。思い切って、傷ついた自分の心と向き合ったソラが作った句はー。

【山崎】先ほどの話にあったように、自分の言葉・自分の心を出していくというお話ですよね。児童向けの小説を書かれたきっかけは、何だったのですか?

【高柳】やはり、俳句の世界が高齢化しているという事があります。若い人の言葉をどんどん取り込んで、俳句界全体を時代に合わせてブラッシュアップしていかないといけない。そう考えている中で、小中学生にとって俳句はハードルが高いのかなという所があったので、物語や自分と同年代の登場人物を通して、俳句の楽しさを知ってもらえれば良いなという事で書きました。

【山崎】子供たちに俳句の魅力を伝えて、未来の俳句人口を増やせればという事なんですね。実際に書かれて、いかがでしたか?

【高柳】俳句をつくるのとは、少し違う感じですね。俳句は、あまり理屈が無いんですよ。

「叱られて 目をつぶる猫 春隣」。

久保田万太郎という、劇作家で俳句も達者だった方の句なんですけど、“春がそろそろ近づいている”“猫が怒られて目をつぶっている”って、この2つは何の関係も無いですよね。だから「何で?」と思うんですけど、その「何で?」と思わせる所にも面白さがあるんですね。でも、小説はそれではいけないんですよね。

【山崎】ストーリーラインが、必要ですもんね。

【高柳】そうなんですよ。登場人物にある出来事があって、それが伏線としてこういう行動に出るんだとか、きちんと理が通っていないといけないので、そこが俳句と小説の違いで苦戦したところではありました。

【山崎】読んだ子供たちからのリアクションはどうでしたか?

【高柳】結構、お手紙とかを頂きました。俳句は宿題でやらされてつまらなかったんだけど、もう一回やってみようと思ったという事も書かれていて、俳句のイメージが変わったと言ってもらえるのは嬉しかったですね。俳句に興味の無い主人公が、どうやって俳句に関心を持っていくのかという心の過程に、共感してもらえれば良いなと思います。

▶︎俳句が大事にしているのは“会得の微笑”

【山崎】もう少し、俳句について伺いたいと思います。季語があるのが俳句、季語がないのが川柳という風に理解している人が多いと思うんですけど、その認識で大丈夫ですか?

【高柳】同じ五・七・五ですもんね。諸説はありますが、それで結構かと思います。どちらも“笑い”を大事にする詩形ではあるんですが、笑いの種類が違うとでも言うんですかね。川柳の笑いは、“膝を打つ笑い”という感じなんですけど。

【山崎】サラリーマン川柳とか、そういうものをイメージしますよね。

【高柳】そうなんですよ。一読して、クスッと笑えるようなものですね。

俳句の笑いを難しい言葉で表現した人がいるんですけど、“会得の微笑”だと。「ふむ。そうか、なるほど……。にやり」というような笑いだと言った人がいます。ですので、声に出しての笑いではなく、唇がグッと上がるくらいの塩梅という事でしょうか。

【山崎】ウィットに富んだ感じなんですかね?

【高柳】そうですね。知的なものも含めた笑いですかね。それで、お互い共有して納得し合うという“静かな笑い”かな。

【山崎】なるほどね。話しを戻しまして、俳句を俳句たらしめるのが“季語”ですけど、すごくたくさんありますよね。俳句をやりたいと思って歳時記を買ったんですけど、「多い!」と思って、そのまま閉じてしまいました(笑)

【高柳】閉じちゃったんですね(笑)

【山崎】昔から残っている季語、今の時代だからこそ季節性を帯びる言葉と、季語にも色々あると思うんですけど、どうすれば季語になるんですか?

【高柳】文部科学省が決めているとか、誰か偉い人が決めているとかではなくて、俳句をつくっている人達がどんな言葉にポエジーを感じるのか、どういう言葉なら良い俳句がつくれるのかなという事で認められていきます。本当に、草の根からというか“人々の合意”で決まっていくような形ですね。

【山崎】分かり合える人が増えていくと、季語としてどんどん広がっていくんですね。

【高柳】そうですね。最近の季語ですと”花粉症“。

【山崎】確かに、季節感がありますね。

【高柳】これは、かなり根付きましたね。逆に無くなっていく季語もあります。例えば、今まさに問題になっている“マスク”。

風邪を引きやすくなる時期に着けるもので、冬の季語として載っていたんですけど、もう2年もの間、みんなが年中マスクをしていますよね。そうすると、特に小中学生には季節感が無くなっているのではないのかなと思います。「マスクは1年中着けるもの」だと、これからの若い人たち・子供たちが認識をすると、もしかしたら10年~20年後の歳時記から、マスクが無くなったりする可能性もある。

【山崎】なるほどね。俳句をしない人は、そこまで言葉の持つ意味や季節性と日常的に向き合っていないと思うんですよ。「みんな適当に喋っているなぁ」みたいに、感じていたりしますか?

【高柳】それは無いですけれど(笑) コミュニケーションツールとして使っているから、みなさんにとって、言葉は道具ですもんね。

“活字離れ”と言われていますけど、インターネットの時代なのでSNSなどを通じて、すごく文字量を読んでいると思うんですよ。もの凄い情報を処理している分、「この裏の意味はどういうことか?」とか「この表現は隠された意図があるんじゃないか?」と、言葉1つ1つの意味を熟読する機会が無くなっている感じはする。

それこそ、政治や大きな権力がうまい言葉を使いますから、その言葉の裏に潜んでいるものを察知できる子供達が増えてくれると良いなとは思っています。一俳人の妄想に過ぎないですけど、俳句を通してそういうスキルが身に付くのではないのかなと思っています。

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▶︎些細な部分に隠された意味を探る面白さ

【山崎】先ほどのお話は、まさに十七音の奥にある世界や、言葉の余白みたいな事ですよね。

【高柳】そうなんですよ。日本語って、ちょっとした一言でイメージが全く異なったりしますからね。松尾芭蕉が旅立つ時に、弟子との別れに詠んだ句で「行く春や 鳥鳴き魚の 目は泪」というのがあります。別れを惜しんで鳥が鳴いてくれている、水の中の魚も泣いてくれているという事なんです。

私は、“目に涙を浮かべる”から、最初は“目に泪”だと思ったんですよ。でも、よく見てみると芭蕉は“に”ではなく、“は”を使っているんですよね。同じじゃないかと思われるかもしれないですけど、“目に泪”と“目は泪”って違いますよね。“目に泪”だと、目の端に涙が浮かんでいるくらいなんだけど、“目は泪”というと目の全体が涙みたいに捉えられますよね。

【山崎】確かに、面積のニュアンスが違いますもんね。

【高柳】面積が違うということは、涙の量が違う。それだけ悲しみの深さが違うということなので、“に”か“は”という、一見どうでもいいような事にこだわっていくと、裏の隠された意味があったりして面白いですよね。

【山崎】それは面白いですね。名句と呼ばれるものがいっぱいあって、何となく型みたいなものも存在する一方で、それを脱却して自由につくっていこうという流れがあると思うんです。その辺りの2つの対比を、高柳さん自身はどう考えていらっしゃいますか?

【高柳】時代によって変化していく、どんどん新しくなっていく必要があるのかなと思うんですよね。今は基本的に、古典の授業でやるような“文語”、それから“切れ字”ですよね。“や・かな・けり・にけり”みたいな、古い言葉を使うのがスタンダードになっているんですけど、10年~20年後の俳句は分からないですよね。もしかしたら「や・かな・けり」ではない、「だね」や「じゃん」みたいな、新しい切れ字が生まれているかもしれないとも思うんです。

俳句の世界が小さい所で固まるのではなくて、どんどん新しい所で新しい人の言葉を取り入れることで、活性化していくという事はあるので、頭ごなしに「風流ではない」とか「本式ではない」とか「正統派ではない」と言って、退けていくのは辞めておこうと思っています。

私自身は、「や・かな・けり」が好きなので、何十年後の人も使っていて欲しいと思うんだけど、それだけだとね……。

【山崎】変えてはいけない部分や守らないといけない部分もあるので、そういう二面性みたいなものはありますよね。俳人の方としっかりお話をするのは、初めてだったんですけど、すごく楽しいですね。あっという間の時間でした。すぐにでも俳句を始めたい気持ちになっています(笑)

今回のゲストは、俳人・俳句雑誌『鷹』編集長の高柳克弘さんでした。


といった所で、今週の文化百貨店は閉店となります。
次回、FMヨコハマからお送りする最後の文化百貨店は、引き続き高柳克弘さんにお越しいただき、自身の俳句感を伺いながら、山崎晴太郎の文化百貨店感についてもお話します。

【次回3/27(日)24:30-25:00ゲスト】
俳人/俳句雑誌「鷹」編集長 高柳 克弘さん

それでは、また日曜深夜にお会いしましょう!

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