文果組インターン生による北先生インタビュー第6弾(永遠の森プログラム未収録)
こちら「永遠の森」プログラムには未収録な北先生インタビューの記事になります。当記事では、多くの評伝を書く北先生に、文果組インターン生の私たちが先人たちから何を学べばよいのかを伺いました。
Q. これまで数多くの評伝を書かれていますが、私たちが先人の方から学ぶべきことはありますか?
全てだと思う。先人の中には皆さんのお父さんとかお母さんも含まれていて、ポール・ヴァレリーというフランスの思想家が「人生ってボートを漕いでいるのと同じだ」って表現しているが、ボートって漕ぐと後ろにしかいかないんですよ。つまり我々に未来は見えない。我々に見えるのは現在と過去しかない訳じゃないですか。ということは、今の現在と過去について学べることは何でも学ぶ。それの中で未来を自分自身で予測していくということを考えるならば、先人というのはどれだけ標本として集めても間違いないだろうなと。私自身が評伝を書いているのがこれなんですね。
生まれてきたからにはなんで自分が生きているのかとか、人生の意味とか考えてみたいのですよ。何か結論を出してから死にたいなと。そう思った時にどこかに答えがあるのかなと、いろいろな人がいろいろなことを言っているのだけれども、僕が思ったのは、いろいろな人生論を集めることよりも、いろいろな人の生き様っていうのをむしろ標本採集した方が結論も出てくると思った訳ですよね。それでいろいろな人がそれぞれの環境の中でどう生きていったのかをピックアップすることによって、人間とはどういうものなのだろうか、生きるとはどういうことなのだろうかという答えがなんとなく見えてくるんじゃないかという風に思った訳ですよ。
私は、何に興味があるのかというと人間に興味があるのですよ。優れた政治学者だって優れた経営学者だって、共通するのは人間学を学んでいるということです。人間とはどうなのかを知っている人間こそが政治家として、経営者として大成するという意味では、人間とはどういう生き物なのだということを突き詰めていくことはものすごく重要ですよね。その時に評伝書くときとか、先人に学ぶ時でも、重要なことは残らないことを書く。残らないものを見る。行間を読むということです。実は人生でも会社でも成功より失敗に学ぶことの方が大きいことがままある訳ですよね。そのような意味では、評伝書くときに材料を集めながら、この人は何で失敗したのかなとかを見ている。
稲盛さんとか松下幸之助を書いたときも、その人の批判の本をアンダーグラウンドまで徹底的に集めました。なぜかと言うと、自伝はうそをつくのですよ。だって自分を美化するでしょ。自伝は嘘をつくけれども周りの人間がその人をどう見ているのかという材料を徹底的に集めるのですよね。そのことによって、いろいろな方面から光を当てていくことで、3Dで浮かび上がらせていく人を最終的に自分は書いていくのです。僕は、ポリシーが一つあって、この人みたいになりたいなという人しか書かない。現在SNSが発達することによって1億総批判者になっている。褒めるとか尊敬するとか、この人みたいになりたいなとかということがこの国には徹底的に欠けているのです。僕はその方が人間の人生にとってプラスになると思っていて、あの人こんなにすごいから自分もあやかりたいって努力していくところに初めて成長が生まれるのです。批判者とか失敗は徹底的に集めるけれども、結果といて尊敬できる人間しか書く気はない。批判本はものすごく売れるんですよ。売れるから書きたくない。そんなこと書く人はいくらでもいる。やはり人を描き続けたい。自分にとっても社会にとっても必要なのは評伝だと思うし、戦後先進国の中で一番伝記が少なくなったのはこの国なのです。今言ったみたいに尊敬するというのが無くなってきている。僕はそれをもう1回復活させたいと思っている次第で、そのうちの一人が本多静六なんです。