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「種子散布」の研究は、25年でこんなに変わった!

Author:小池伸介(農学博士)

私が「動物による種子散布」(以下、動物散布)研究の世界に飛び込んだ25年前は、通称“赤本・緑本”と呼ばれる『種子散布 助け合いの進化論①②』(上田恵介編著、築地書館、 1999年)など、動物散布を学ぶことができる本がいくつも存在し、研究を始めたばかりの学生は、とても重宝したものです。
これらの本が出版されて25年以上がたち、その間に日本の動物散布研究は飛躍的に発展してきました。しかし、残念ながらそれらの進捗を網羅的に扱った本はなく、これから動物散布の研究を志す学生が、手軽に日本の動物散布研究の現状を知ることができませんでした。そこで、動物散布研究に携わってきた一人として、何かできないかと考えて企画したのが、今回の『タネまく動物』になります。

研究手法の劇的な発展

私は主に動物の視点から動物散布を研究してきましたが、この25年で研究手法も大きく変わりました。特に、私は直接観察が難しいツキノワグマを対象としてきたので、手法の発展の恩恵を大きく受けてきました。
たとえば、動物を追跡する技術。本書でもいくつかの章で紹介されていますが、「動物がタネを運ぶ距離」を算出する場合、直接観察ができない場合には、「単位時間当たりの動物の移動距離」の情報が必要となります。以前は、動物に装着した電波発信機が発する電波を頼りに、動物の居場所を明らかにして(下図)、これを何度も繰り返すことで、動物の移動距離を算出していました。ところが、この方法は測位誤差が大きく、急峻な山では推定した動物の居場所と実際に動物がいる場所とでは、数百メ ートルもずれることがあります。

電波発信機を使って動物の居場所を特定する概念図

そのため、その真実を知っている者からすると、この方法をそのまま「動物がタネを運ぶ距離」の算出に使うのには二の足を踏んでいました。
ところが、2000年代半ばには野生動物の行動調査にもGPSが用いられるようになり、測位誤差も小さくなり、動物の位置情報を大量に取得できるようになったことで、「動物がタネを運ぶ距離」の推定精度も高くなりました。

ウンチは情報の宝庫

また、動物散布の研究においては動物のウンチは重要な情報源です。私はこれまで3,000個以上のツキノワグマのウンチを拾ってきましたが、当初はウンチに含まれるタネの種類やどの程度のタネが噛み砕かれているのかの情報を、動物散布研究を進めるうえで使っていました(写真1)。

写真1 ツキノワグマのウンチに含まれた大量のタネ。

そのため、種を同定し、数を数え終わったタネたちは、その後はサンプル瓶の中で眠り続けることになります。ところが、本書でコラムを執筆している森林総合研究所の直江将司さんとの出会いで、これらのタネがもう一仕事することになりました。
一般的に、原子核内の陽子の数が同じで中性子の数が異なる原子のことを同位体、そのうち環境中に安定して存在するもののことを安定同位体といいます。同じ元素の安定同位体であっても、それぞれ性質が少しだけ異なります。その結果、環境によって物質に含まれる安定同位体の割合が異なり、これを安定同位体比といいます。直江さんらの研究で、木が生える標高が高くなるとともに、その木に実る果実の中のタネに含まれる酸素の安定同位体比は小さくなることがわかりました。そのため、動物のウンチに含まれるタネの酸素安定同位体比を調べると、その動物がどの標高の木に実る果実を食べたのか、さらにウンチを拾った場所との標高差から、その動物がどの程度、垂直方向にタネを運んだのかがわかります。それまでは、私は水平方向のタネの移動しか考えていなかったので、この発想は目からうろこでした。これも安定同位体比の分析という、新たな分析方法を動物散布の研究に応用することで明らかになった、タネまく動物の新たな姿といえます。

斬新なアイデアが新たな発見につながる

一方で、必ずしも最新技術だけで研究の展開があったわけではありません。たとえば、本書でも紹介する「哺乳類にくっつく」で用いたのは、博物館のバックヤードに眠る、かつて交通事故により死亡し、博物館に収容されてきた動物たちの毛皮です。いろいろな動物の毛皮を、発泡スチロールを加工して作った円柱体に被せることで、動物たちが生きていたころの容姿を再現した剥製模型を作りました(写真2)。

写真2 調査に用いた剥製模型。
左からイタチ、タヌキ、ハクビシン、アライグマ、キツネ。

さらに、模型に車輪を装着し、調査者が器具の後方に取り付けた棒を押して地面上を移動させることで、動物が歩行している様子を再現しました(写真3)。この模型を藪の中で走行させ、毛皮に付着したタネを(写真4)、ペット用のくしで毛からタネを回収することで、どの動物の、どこに、どの植物のタネが、どの程度くっつくのかを明らかにしました。
最新技術ではありませんが、新たな調査方法を試すことで、これまでほとんど知られていなかった付着種子散布の一端を明らかにすることができました。

写真3 調査者が剥製模型を押すことで、
実際に動物が歩いている様子を再現する。
写真4 キツネの剥製模型の尾に
イノコヅチの種子が付着している様子。

動物散布の研究は、生態系での生き物同士の関係や、森がどのように形作られていくのか知るうえで不可欠で、生態学の中では基礎的かつ伝統的な研究対象です。
しかし、今回紹介したような新たな技術や手法による発展だけではなく、誰もが試そうとしなかった方法や新たな着眼点が加わることで、今後も発見が続くであろう「古くて新しい研究対象」ともいえます。

動物による種子散布について興味・関心を持たれた方は、『タネまく動物:体体長150センチメートルのクマから1センチメートルのワラジムシまで』を、ぜひ手に取ってご覧ください。

Author Profile
小池伸介(こいけ・しんすけ)
東京農工大学大学院教授。博士(農学)。専門は生態学。主な研究対象は、森林生態系における生物間相互作用、ツキノワグマの生物学。著書に『クマが樹に登ると』(東海大学出版部)、『わたしのクマ研究』(さ・え・ら書房)、『ツキノワグマのすべて』(文一総合出版)、「ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら」(辰巳出版)など。


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