第5回 同定したけりゃオスを採れ!
Author:小松貴(昆虫学者)
野外で見たことのない生き物を見つけた場合、それが一体何という名前の生物なのかを知りたくなる人は少なくないであろう。このように、対象とする生物の種を調べることを、「種を同定する」という。
昆虫の場合、これが大型で目立つ模様をしたチョウやトンボであれば、そこらの書店で売られている図鑑に出ている絵や画像とを見比べる「絵合わせ」でも十分に種を調べることが可能ではある。
しかし、地下性生物となると話が変わってくる。一般的に地下性生物は、メクラチビゴミムシにせよヤスデにせよ、外見が近縁種間でよく似通っているというケースが少なくない。つまり、ぱっと見で種を同定することができない(しかも悪いことに、この手の生き物はそこらの図鑑にはまず載っていないのが普通だ)。ではどうするかと言うと、ぱっと見ではわからないような細かい体のパーツを慎重に観察していくことになる。特に、生殖器の形態は重要だ。これの観察にはしばしば解剖などの、面倒くさい作業が必要となる(※1)。
昆虫など陸上節足動物の場合、生殖器の形態は種により厳密に決まっていることが多い。そうでないと、違う種の昆虫同士で交尾してしまい、限りある寿命と体力を意味のない子作りに費やす羽目になりかねないからだ(ただし、この辺りの話は昆虫の分類群により事情がだいぶ異なると思われる)。
そして、その生殖器形態の違いというのは、特にオス個体のそれ(つまりオチンチン)において顕著に出やすい。だから、昆虫やクモ、ヤスデを新種として記載する場合、オスの生殖器の形態を論文に図示するのが普通である。
ここまで書けば、聡明な読者なら私が何を言いたいかがわかるであろう。すなわち、正確に地下性のゴミムシなりクモなりヤスデなりの種同定をしたければ、それらのオスの個体を絶対に捕まえないといけないのである。
しかし、ただでさえ採集の難しい地下性生物の、しかもオスだけを狙い澄まして採るというのは不可能だ。大変な努力をして、深い地下からたった1匹のメクラチビゴミムシをめでたく採ることができたとしても、それがメスでは種がわからない。当然、これまでに発見されたことのない新種かどうかも調べられない。このように、過去にメス個体しか採れていないせいで、本当は幾つもの状況証拠から判断して新種に違いないのに新種として発表できぬまま、標本が博物館などに「塩漬け状態」のままのメクラチビゴミムシは数多いと思われる。
実例を挙げると、前回触れたヒトボシメクラチビゴミムシは、かなり古い時代にモノ自体は発見され、「それがこの世に存在していること」は知られていたのだが、生憎それがメス個体だった。肝心のオスが長らく採れなかったため、正式に記載されたのはそれからだいぶ後になってからだったのだ。
なお蛇足だが、上述の「チョウやトンボならば図鑑の絵合わせで・・・」という話も、本当は正しくない。チョウやトンボだって、新種記載の際にはちゃんと標本にした上でオスの生殖器形態は調べるし、正確な種の同定にも解剖というプロセスは必要だ。ただ、日本にいる限りは、アオスジアゲハやシオカラトンボなど大型で目立つ昆虫には外見が瓜二つの別種が分布しないから、図鑑の絵と見比べて種の見当が付けられるというだけの話である。単なる「絵合わせ」のことを、同定とは言わないのだ。
最近、デジタルカメラを使って誰もが簡単に野外で昆虫の精巧かつ精密な写真を撮影できるようになってきた。その関係で、「昆虫はもはや網で採らず写真で採るべきだ」などという人間が巷には多い。中には、過剰なまでに昆虫採集者を見下し、SNSやら自身のブログやらで「今日はどこどこの山で虫を採ってる奴がいて、見ていて極めて不快だった」だの「こういう前時代的なことをして喜んでいる奴は、一日も早く目を覚ましてほしいものだ」だのと宣うカメラマン気取りも少なくない(経験上、特にチョウやトンボを撮影する人間にはこういうことを言いがちな輩が多い)。
ほかの野生生物がどうかは知らないが、少なくともムシ(ここでは節足動物全般をさす)の研究手法という点で、その生きた姿を写真に残すことと現物を捕らえて標本にすることは、どちらも同等に長所短所を持つ。大抵、標本にされた昆虫はみすぼらしく変色・変形して、生時の状態とはかけ離れた状態になってしまう。本音を言えば私だって、ピンで刺されて干物になった昆虫よりは、生き生きとした姿で写真に映し出された昆虫のほうが、よっぽど魅力的だと思う。
しかし、写真に撮った昆虫は、どんなに生時の生き生きとした姿を写し取れたとて、後でその個体を裏返して体の反対側を観察することすらできないという欠点がある。じゃあ表側と一緒に裏側も撮影しておけばいいじゃないか、と簡単に言う人間は、恐らく野外で生きた昆虫相手に撮影などやったこともない人間だろう。
胴体の裏側だけではない。虫の種によっては、体表面を覆う微細な毛の形や生え方、上唇の形や表面を覆う点刻の状態そのほか、普通にファインダー内に被写体としてフレーミングした程度の倍率では詳細のわからない形態を観察して、初めて種がわかるものだっている(いや、むしろそれが普通である)。「どうせ後でテキトーに調べれば種類くらいわかるだろう」と思って、深く考えずに外で写真1枚だけ撮ってきた昆虫を、後日その写真のみで同定しようとして検索表(※2)を開き、その1行目を見た途端、その写真の角度からはまったく写って見えていない「頭部を下側から見たときに、大顎裏側に溝がある(なし)」を確認せねばならないことがわかり、以後詰むなどという経験は数知れず。
写真には写真の、標本には標本のよさというものがある。二者は互いに相補的なものであって、どちらか一方が優れている訳ではない。
私は長年、撮影も採集も行ってきたが、年を追うごとにその考えをより強固なものにしつつある。デジタルカメラの入手ならびに扱いの敷居が低くなるにつれて、多くの人々がカメラを依り代として身の周りの自然に興味を持つようになったのはいいことなのだが、その反面上記のように、少なくとも虫マニアの間では「カメラで撮る派」と「網で採る派」の二極化が顕著となり、その対立も激化してしまったように思う。果たして、デジタルカメラは虫マニアを幸せにしたのだろうか。私にはわからない。
つい、地下性昆虫とは何ら関係のない愚痴を並べてしまった。
Author Profile
小松 貴(こまつ・たかし)
昆虫学者。1982年生まれ。専門は好蟻性昆虫。信州大学大学院総合工学系研究科山岳地域環境科学専攻・博士課程修了。博士(理学)。2016年より九州大学熱帯農学研究センターにて日本学術振興会特別研究員PD。2017年より国立科学博物館にて協力研究員を経て、現在在野。著作に『裏山の奇人―野にたゆたう博物学」(東海大学出版部)、『虫のすみか―生きざまは巣にあらわれる』(ベレ出版)ほか多数。
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