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紙の上の旅(紀行文・第1回)

 物書き同人の末席を汚す私が何か書けと言われた。お前もこの同人に参加して長いのだから、好い加減縮こまっていないで何かしたらという意図が見て取れた。そういう依頼だ。

 私は絶望した。締切が次の週の月曜日に迫っている。私には書かねばならんレポートも読まねばならん本も山積しているが、偏りはあってもそれなりに本は読んでるでしょう、貴方、だからこの辺でそろそろ一つどうすか、ということだろう。メールの画面の向こう側に、人の好さそうなnote担当の微笑が浮ぶ気がした。

 頼まれたからには書かねばならん。書かねばならんとしても何を書けばよいというのだろう。私の絶望は迫る時間と、状況を打破し得る力なき私自身のどっち側に向けられているか見当も付かない。ともかくそれだけ切迫していた。かといってnote担当は別に責められるべきでもない。彼は出来得る仕事を最善の努力でやっていただけだ。

 私は何を書いているのだろう。

 貴方はね、なんでもいいから書くことで自分をさらせばいいんだよ。ボロボロになればいい。それはそれでめっけものだよ……

 同居人の無邪気な声が俄かに脳内で響き渡った。カフェインとニコチンで茫洋とする頭を朝の濾過された空気に曝し、野良猫さながらに池袋の北口を彷徨い歩いている時のことだ。何でも書くよう言われてから一晩経った月曜の朝方だった。締切は今から丁度一週間の後に迫っている。薄明のあおさに路地が浮び上り、生ゴミの詰ったビニール袋の山が恨めし気に私を睨み付けている気がした。おい、勘弁してくれ、刑に処されているのはこっちも同じなんだ。お前のそんな言い訳はどうでもいいとでもいう風に、はち切れそうなビニール袋は動かず瘴気を漂わせ、そして沈黙していた。爆発でもしてくれたらどんなにかいいだろう。それでゴミに汚れようがどうだっていいことだ。私はそれをこそ望んでいる。どうして汚れず生きられることがあるだろう。どうして、汚辱に塗れず人間で居られるだろう。それで罰されるなら本望だ。ひょっとしたら罰を喰らうことこそ生きる快感かも知れない。誰か! 私を罰して下さい。こんな形じゃなく! 同居人の体温の移った蒲団を恋しがりつつ、当て所もなく私は歩いた。どんなに酷い表情をしていたことだろう。反吐が出、虫唾が腹を駆け廻ろうがまだ足りない。

 脚は自然と二十四時間営業のカフェーへ向いた。空気が冷たいが中は空調が効き過ぎるくらいで、分厚いコートを脱ぎ捨てた。熱い珈琲を前に時刻表を開く。何処へなりとも行こうと思った。何処かへ行けるなら徹底的に見て来い。そして、壊されて来い。物見遊山でもない限り旅はそういったものだ。自意識に蝕まれて死んだ某作家が苦しいから旅をするって言った。字面だけ見りゃ間違いじゃない。その作家が言いたかったことは、私が思ってるのと全く別のことだろうけど。酔って誤魔化すくらいなら新しい世界の一つでも見て来やがれというものだ。旅は、そうするよりほかに活路のない人間のする最後の逃げ場だ。酔うには余りに窮し切り、死ぬには余りに軽過ぎる。そうした人間のやることだ。逃避と言うより活路に近い。

 丁度、見開き地図欄の関東甲信越エリアが眼に飛び込んだ。左の隅っこに静岡県東部がある。その隅っこの更なる隅で、東海道本線の黒い筋から、カイワレ大根のような筋が伸びている。「岳南電車」と書いてある。記憶の奥底にあった「岳南電車」の文字で頭をぶっ叩かれたような気になって、私は工場の濛々たる煙を思い出し、更にはあの機械が人間を使っているような街の様相を思い出した。高校の時分戯れに歩いたあの街の記憶が感覚となって甦り、今、此の現在と交錯する。あそこは今どうなっている? 確かめに行こう。岳鉄に乗って。

 紙のプラント

 鉄パイプの狭間から富士のお山

 寂れた製紙工場の街並み

 想像してみればいい。この行先がどれだけ魅力的なものかってことを。



 新幹線に乗って東海道を飛ばすとするだろう、東京から西へ。ひかりなら大体4、50分、こだまならもっと掛るだろうが、ともかく三島を過ぎた辺で車窓の右手に東レの工場が見える。

 どうしてそんな殺風景なものを取り上げるかって言うだろう。まあ聴けよ。そもそも新幹線に乗る時、車窓を気にする人間がどれだけ居るかって話だ。気にしたとしたって、殆ど開発で盛り上がった大地のかさぶたをなぞるに終始する。よっぽど抜きん出た感覚の持ち主か、旅先のことを事前学習で把握した奴でなきゃ大局的な地理の状況なんざ判りやしないのだ。何が東海道メガロポリスだ。

 まあかさぶた剥がしが旅の面白味と言えばそうなんだけど。

 そしてその一国を代表する大規模繊維メーカーを通り過ぎたとする。富士のお山はだんだんと迫る。けれど悲しいかな、その手前にはやっぱり工場の煙突が濛々と噴煙を上げているだろう。車窓から眼を離さずにいれば、丁度その辺で小っちゃい鉄道の駅が見える筈だ。運がいいなら、一両の赤い電車がぽつねんと休んでいるのも同時に見える。そして、こうやって首を傾げる。「なんだってこんな処に」

 岳南電車は東海道本線の吉原から岳南江尾までを結ぶ私鉄で、吉原の市街から沿線の工場地帯を、肩を狭めて縫うように走る。最近まではそれら工場御用達の貨物列車だって盛んに走っていた。さて、一体工場で何を作っているのか? 紙だ。

 富士市吉原は紙の街だ。富士山の生み出した豊富な湧き水を利用しようとこの平野部に製紙工場が集積したお蔭で、紙は街の主要産業の地位にあり、肩を寄せ合いへし合い街中に工場がひしめいている。私が物心付いたばかりの頃は、東海道線で吉原に着くと、開いたドアからパルプの酸っぱい臭いが車中に居た無辜の乗客を理不尽に襲撃した。今でもそれをよく覚えているのは、同乗していた親父がえも言われぬ表情で黙っていたからだ。尤も最近はそんなこともない。伊豆の実家から私用で静岡市へゆく時だって、電車の中に飛込んで来るのはあの吉原を体現するような臭いじゃない。固有名詞を奪われ、毒でも薬でもない存在に成り果てた、ただの「街」の臭いだ。私の鼻が鈍ったのもあるだろうけれど、製紙工業自体が下火になっていることを考えれば不思議でも何でもない。そういや前に吉原をうろ付いた時、まだ工場はお盛んだったし貨物列車も走ってた。今は走ってないが。丁度電子書籍やデジタル新聞が出始めの頃だったか。今から考えりゃそれが転機だったんだろう。デジタル媒体の興隆をこんな形で見せ付けられることになるなんて、子供の時分には考えもしなかったが。

 岳南電車はその只中を走る鉄道で、街の電車と言っていい。岳南電車に乗りさえすれば、吉原のことは大分解って来る。



 私は出張のリーマン共で混み合う午前のひかりに飛び乗った。新横浜の次は三島だ。さっきも言ったが三島まで1時間足らず。新幹線は速い。便利だねえ。文明の象徴だよ。その使い勝手を飼い慣らすことを怠った連中が呑み込まれても、これだけ便利ならまあ仕様がない。道具は使いようだ。西湘の蜜柑畑をトンネルの狭間に飛ばし、熱海の温泉ホテル街を眼下に遣り過すと、新丹那トンネルを衝き抜け、やがて富士山が右手に見えることだろう。見える、見えた! と思ったらもう三島だ。着くのが11時前。在来線のホームに出て、20分程待つと静岡行の普通列車が来る。

 3両の短い電車は黄瀬川を渡って沼津へ入り、片浜、原と駅が続く。西へ進むにつれ、富士山はその裾をはっきりと見せて来る。手前の平野はなだらかで、住宅や畑の見えるほかはその威容を遮らない。が、東田子の浦を出た辺りでおかしくなる。縦に横に入り組んだパイプラインの林が現れ、かと思ったら紅白の煙突が其の中からにょっきり伸びている。富士のお山は林の向うに隠れる。その景色が頭に焼き付いたまま列車は吉原の駅に滑り込み、私はホームへ吐き出された。

 三島寄り、東のJR改札口へまばらに流れる客を見送ると、だだっ広いホームには私一人が取り残された。西――富士側を見ると、東海道の線路の片隅に、小ぶりな岳南鉄道の駅が建っている。其処への乗換通路が、東海道線ホームの西の隅から階段を伸ばしている。

 しかし、なんてまあ生気のない場所だろう。それに、人気はないが長閑とも言えない。東西それぞれの線路の先には二本の煙突が聳え立ち、普通列車の間隙を縫って貨物列車が通り過ぎる。この光景を穏やかに静かと言うことは出来ない。そして、此処は本当に乗換駅なのか? 今しがた列車から降りた連中で、岳南の方へ流れた奴は誰一人として居なかった。

 私は乗換通路を敢えて使わず、JRの改札へ階段を上った。立派な鉄コンの橋上駅舎。自動改札を抜け、北口への階段を下りると、富士山は街の奥で、窮屈そうにして肩をすぼめている。立派な駅の建物に比して、駅前に食堂も商店もなく閑散としているのは、ずっと前に来た時と全く変ってなかった。駅を見ないでここだけ見たら、工場街の裏道の、ちょっとした空き地に出たんじゃないかとすら思う。

 東海道線の吉原駅は富士市吉原の外れに位置する。防風林で見え難いが駿河湾の海岸に近く、ヘドロ公害で世に名を轟かせた田子の浦港は眼と鼻の先だ。此処に駅が出来た時は地区名の鈴川を名乗っていた。その頃吉原駅を名乗っていたのは、現在で言うと岳南電車の本吉原駅だ。吉原の市街地は丁度岳南電車の吉原本町と、その本吉原の駅の辺りだ。富士市に合併される前、旧吉原市の代表駅ということで、東海道線の鈴川駅がそれに取って代った訳だが、変化したのは名前だけのことで、吉原駅の周りに新市街なんかは出来なかった。岳南電車沿線の、古くからある市街地は、旧市街になることもなく依然として大商店街を擁している。吉原駅界隈を見て吉原を見たと言うならそいつはモグリだ。

 駅前を線路沿いに西へ向った。罅割れたアスファルトが、細く緩やかな下り坂に続いている。路地にしか見えない灰色の道だ。アスファルトの割目から出たタンポポの花が、似つかわしくない彩りを添えている。果してこの先に何事かあるのかと、ゆく人間を不安にさせるような道に思える。何事かはある。岳南電車の吉原駅へ、外からゆくにはこれが唯一の道だ。ドン詰りとなった辺りに、岳南電車の駅はある。随分と年季の入った木造建築で、改札、出札、JRとの連絡改札が中にあるが、連絡改札の自動改札機――JRの奴だ――が浮いて見えて仕方がない。窓口で吉原本町までの切符を買えば、これまた硬い厚紙の切符だ。まだ変ってなかったのか。最近じゃ殆ど見ない。

 ホームに入ると岳南江尾行の赤い電車がぽつねんとして居た。私以外に客は居ない。見ると、ホームと線路を挟んで化学薬品の工場がある。駅までの道はこの突き当りで行き止っていたのだと気付いた。

 車内へ入って運転台脇の一隅に腰を下す。花曇りの陽射しの中で、時が静かに緩やかに漂っていた。間もなく、制服に不釣り合いなスニーカーを履いた運転士がやって来て、車の前方を確認すると運転台に入った。ブレーキハンドルを運転台に据え付けると、赤い電車は走り出す。台車がゴロゴロ音を立て、小さな旅は始まる。

 発車して少しの間、電車は東海道線に沿って速度を上げてゆく。田子の浦港へ流れ込む沼川に差し掛ると、車窓には、富士山と工場が絶妙なツーショットを見せる。その辺りで列車は右へ大きく曲り、東海道線から離れ北へ足を向ける。右手の工場が一気に近くへ迫って来る。人気の見えない工場街を走ると、やがて郊外を思わせる生活感の道路が左から現れ、ジヤトコ前に着く。客の乗り降りはない。部品メーカーのジヤトコが工場を連ねる辺で、別々のブロックになった大工場が「地区」を形成している。人間の生活ではなく、その副次的な産物が街の地区を形成している。それに違和感がないのは、この吉原という街がそもそもそうした性質の強い処だからだろうし、同時に違和感を覚えるのは、こんな富士裾野の肥沃な平野部を、人間の割り入る隙がないように機械が占めているからだろう。

 ジヤトコ前を出ると、つい今までの無機質な光景が信じられなくなるような風景を車窓が映す。民家の群れが段々と線路へ迫り、電車はその軒先をかすめて走る。ブレーキが掛ったと思ったら吉原本町である。岳南電車で唯一となった昼間有人駅で、古くからの市街の一隅に駅がある。旧東海道の吉原宿もこの近くにあった。車道の脇に商店が連なり、人通りがあり、電車にも人が乗込んだ。私は何か安心した気になって外を眺めたが、駅を出ると電車は再び家と家の路地へ潜り込んだ。

 再び生気のない区間へと入り込む。工場と民家が影を帯びて混じり込み、小川を跨ぐと製紙工場に接した本吉原の駅へ着く。至近に岳南電車の本社があるが、簡素な2階建ての鉄コン造りで、駅そのものも駅舎すらなく、工場の湿っぽい蔭に縮まったような小駅だった。工場と家屋のぼんやり融け出したように曖昧な景色が続き、やがて岳南原田に着く。道路が並行し、その脇に大型スーパーが建っているが、その傍らにも工場が聳えている。

 工場、工場、工場、工場。何処へ行こうと工場にぶつかる。岳南電車の沿線だけなのか。製紙工業で生計を立てる街のことでは、自然と言えばその通りだ。でも、街の他の場所はどうなんだ。そして気になることは他にもある。市街地の吉原本町を外れると、おしなべて人通りが少ない。この、妙な生気と色彩のなさはどういうことだ。本吉原も岳南原田も、ホームの入口に小さい庭園があるが、手付かずで荒れ放題だった。電車の客も極端に少ない。先程から所々で並行する道路は、車が群れを為している。


第2回へ続く。


筆者:片上長閑(かたがみ・のどか)

文学部史学科3年次。特技は徘徊。色々あって生れる時代を間違えた野良猫。時代に取り残されつつ時代を考えるクソアナクロニスト。煙草と珈琲、甘味さえあれば復活する。最近の注目は地方と人口流動。

PCmail:kokeshi777sada☆hotmail.co.jp(☆→@)

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