思い出のニューヨーク
城山三郎の『アメリカ細密バス旅行』と言うエッセイを読んでいる。作家だけあって、盛り上がる。ついつい読んでしまう。「長距離バスの旅だが、行く先々の町の様子が面白い」と敦は熱弁を振う。アメリカはニューヨークに8回とロスとサンフランスに2回ほど行ったことがある。それでも、ニューヨークの良さは、どんなにビルが壊され、新しく建てられても。大きな枠では、変わらない点だと思う。
昨日まで読んでいた吉田ルイ子の『ハーレムの熱い日々』が黒人へのオマージュみたいない感じだったのが、城山三郎は、黒人嫌いが随所に登場する。普通の日本人感覚だと思う。アメリカの持つ多面性や多極性が浮き彫りされた本だった。2つともノンフィクションであり、体験記であるのに、感受性や取り方で全く違うアメリカを描いていたことに敦は驚いた。
ニューヨークの旅は、最初は会社を作ってすぐに、社員を連れて行った。ちょうど、カジュアルウエアの鈴屋がまだある頃で、鈴屋企画のツアーで行った。ツアーと行っても、鈴屋の社員が個人で申し込んだ一人と計3人だけだった。何しろ、会社が出来たばかりなので、個人のお金が5万円しかなくて、それを大事に使いながらの旅だった。ジョンFケネディ空港に降り立った一行は、バスでホテルに直行した。初めてのニューヨークがツアーで良かったと感じた。タクシーに乗ることもなく、安全にホテルに到着出来た。宿泊先はヒルトンホテルだった。
事前に調べておいた地図で、「自由の女神」「エンパイアステートビル」などを避け、5番街やソーホーや百貨店の「メイシーズ」「バーグドルク・グッドマン」「サックスフィフィスアベニュー」などを廻った。ご飯は、マクドナルドで済ませ、屋台のフードトラックでホットドッグなどを食べた。かなりセントラルパークに近いところに、ラルフローレンの格式高い店があった。店の内装から外装までインテリアを含め、全部が商品だという店は、アメリカの富豪の家そのものように見えた。ミッドタウンから先のハーレム街に向かっていることが怖かった。だから、地下鉄もバスも乗らずに、ただひたすら歩いた。
敦は、城山三郎の気持ちが分かった。怖いというイメージだけが、強くてならない。何度も行くとそんなことはないのだが、ブロックを間違えたり、アップタウンに迷い込んだりしたら、大変だということは、今も昔も変わらない。吉田ルイ子のようにはいかない。ニューヨークは、日々新しいことが起こっている。美術館やミュージカルだけの街ではない何かが起こっている。「ニューヨークは金さえあれば、こんな楽しい街はないよ」とニューヨーク在住のアキコが言っていたことを思い出す。「当たり前だろう。東京だって同じだ」と敦は言い返したかった。
その後、敦は、小学校5年の息子を連れて家族でニューヨークとボストンに旅だった。「眠い、眠い」としか言わない息子には、辛い旅だったようだ。ボストンは、ハーバード大学のトレーナーやTシャツを買いたかったためだ。初めて、ニューヨーク、ボストン間の電車に乗った。4時間ほどで着く旅は、車窓からの風景が忘れられないほど、綺麗だった。アメリカの上流階級の生活が垣間見えたような気がした。すでに、電気のコンセントが全座席に付いていた。ビジネスマン仕様の列車だった。ボストンの街並みは、ヨーロッパのような伝統的なクラシック感があって、日本人が憧れる街でもあった。子供には不服であったが、この旅は、生涯忘れられない旅の一つになった。
家族を顧みず、仕事人間だった敦にとって、家族の大切さを身を持った教えてくれた。今こそ思う。家族のために働き、家族のために生きる。それが、人類のため、社会のために役立つと。「そんなことより、雨戸早く直して」と瑠璃子が大きな声で言う。