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コーヒー一杯

毎朝、五杯分のコーヒーメーカーで沸かしている。五杯と言っても、マグカップでは、三杯しかないので、つまりが一杯、残り二杯を私がベランダで飲んでいる。何故、コーヒーが好きなのかというと、昔はコーヒーがメインの喫茶店が主流だったからだと思う。コミュニティの場が、そこしか無かった。驚くことに、まだ、五歳なのに、純喫茶につれなていかれたこともあった。もちろん、メロンソーダかなんかを飲んだ記憶がある。

未だ十歳の1961年に歌手西田佐知子がベネズエラの曲をカバーした『コーヒールンバ』がブームになった。セクシーな鼻声で唄う西田佐知子の唄う彼女がコーヒーを飲みたくなった最初かもしれない。実際は、高校の頃に深夜放送を聴きながら、インスタントコーヒーを啜っていた。

🎶昔アラブの偉い お坊さんが
恋を忘れた あわれな男に
しびれるような 香りいっぱいの
こはく色した 飲みものを教えてあげました
やがて心うきうき とっても不思議このムード
たちまち男は 若い娘に恋をした🎶

吉本バナナの小説は、読者を暗闇のどん底につき落とす文豪が多い中、軽さと優しさに満ち満ちていると謙也は読みながら思った。ベランダでコーヒーを飲みながら読書するとやたらと話に入り込めるといつも思う。


読者を傷つけない配慮が、隅々まで行き届いている。爽快感と清涼感が備わった文学は、稀だ。バナナ自身が、へそ曲がりで偏屈な主人公、つぐみだと語っているように、正義感と執拗なリベンジ力など、病弱な割に達成感を一緒に感じさせる文章力に脱帽だった。

〈食うものが本当に無くなった時、私は平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。もちろん、あとでそっと泣いたり、ごめんねと墓を作ってやったり、骨のひとかけらをペンダントにしてずっと持ってたら、そんな半端な奴のことじゃなくて、できることなら後悔も、良心の呵責もなく、本当に平然として「ポチうまかった」と言って笑えるような奴になりたい〉とまりあにつぐみが語るシーンがある。残忍残酷に思えて、中々言えない台詞だ。それがバナナなのかもしれないと謙也は思った。


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