バスを待つ間にパチンコおばさん登場
コミバスを待つ間、微妙に時間があったので、バス停の近くにあるコンビニに行き、さけるチーズをあてに、ストローで飲む日本酒、たったの108円で鬼ごろしを買った謙也。誰もすわっていない丸いベンチに腰をかけて呑み始めたら、スーうとバス待ちの八十歳だというおばあちゃんが座って、素面で話しかけてきた。若い女の子なら、大歓迎だが、おばあちゃんだ。
興味ないので、軽く遇らうつもりで聞き耳を立てたら、大金持ちで、土地を売っ払って三万円ちょっとのアパート暮らしだという。ボケてはいない。はっきりとした口調で「外食での生活や年金の大半をつかったパチンコの日々だ」と初めて会う謙也に気軽に話かかる。
謙也もよく知っている県会議員だった親戚の方で、公務員だった旦那の年金と自分の年金で暮らしているそうだ。潔き良く、400坪あった土地家屋を売っ払って、息子と娘に財産を分けて、自分は三万円ちょっとのアパート暮らしをしているという。潔い理由は、地元に帰りたくない子供達。世田谷の東京暮らしがいいという結論らしい。
残った財産は管理は娘に任せて、気楽な暮らしをしているという。お墓も夫のために作ったので、一人だけのセカンドライフを謳歌している。人生捨てたもんじゃない。しがみつかない人生に万歳と言った感じだ。謙也は、三万円のアパートってと思ったが、キャンプ生活みたいで楽しそうだ。電気もガスも殆ど使わないそうだ。パチンコにわずかなお金を残し、つぎ込んでいる。それも人生にだと思う。
パチンコと言えば、謙也がサラリーマンの頃、毎週日曜日に大阪に泊まりで出張に行ったいた。関連会社のチェーン店の会議に出席をするためだった。泊まりの旅費も経費も出張費も出るので、苦労は何もないが、暇だった。なので、毎回パチンコ屋で時間を潰した。何しろ一人だけなので、やることがない。かといって、キャバクラや女遊びをする金もない。パチンコが時間潰しに最適だった。
1990年代は、羽根物が主流で、開放チャッカーに玉が入ると羽根が開放し、その羽根に拾われた玉が役物内のVゾーンに入って大当りとなる機種のことだった。まだのんびりと、パチンコに時間がかかった。それがパチンコの醍醐味でもあった。今のように、カードを突っ込んで、何秒間で一万円が消えて無くなるようなギャンブル性なかった。
そんな生活が1年くらい続いたので、素人ながらパチンコ台を見ると、入る台が見分けがついて、結構の確率で儲かったりもしたが、所詮はパチンコで収支をすれば損が多い。謙也のパチンコ熱もこの期間だけで終わった。
日本のギャンブル依存症患者の多くは、パチンコ・パチスロに依存していることが分かってる。比較的身近な場所にあるということが大きな原因の一つ。ギャンブルを含め、ある対象への依存症患者には、対象への渇望、対象へのアクセス制御が困難、離脱症状、対象以外の興味の減少といった特徴がみられる。とくに「止めたくても止められない」「したくないのにしてしまう」という人は、依存が深刻だという。
「実は最近の研究では、勝って報酬を手に入れることによる快感よりも、むしろギャンブルをやっている間、“嫌なことを忘れられた”“気分がスッキリした”といった快感のほうが、依存症の脳をより強固にすることがわかってきたのです」と筑波大学人間系教授(心理学者)の原田隆之氏は解説していた。
誰にでも起こりうるギャンブル依存症は、過度のストレスや嫌なことからの逃避などが原因だ。他に楽しいことを見つける事も大事なように感じる。朗報もある。新型コロナウイルスの感染拡大で長期にわたり営業休止を余儀なくされたパチンコ店がピンチに陥っているとニュースがあった。元から断たなかければ意味がない。パチンコ店がなくなれば、ギャンブル依存症の人たちも呪縛から解放される可能性がある。パチンコ業界は警察の天下り先だから、甘い裁定となるのは、確かだが、天下り先としては、大した数ではない。やっぱり、パチンコ屋を壊滅させた方が国民のためなのかもしれない。
ギャンブル依存症で、人間らしい生活ができない人達に、普通の状態に戻す粗治療は、政府や政治家が重い腰を上げなければできない。それを断つてもまた新しいギャンブルが誕生する。それをイタチごっこと言うが、可哀想なのはイタチかも。