思い出す(もんぜん)

 保守部品がなくなって3年が経った。縮退運転を続けてきたが限界を迎えていた。わたしの寿命はもうすぐ尽きる。意識は飛び飛びとなり、わたしと世界の境界線があいまいになっていく。

 わたしはどんなロボットだったのだろう。そのことを思い出せないまま寿命を迎えることはもったいないような気がした。


 思い出す……。思い出す……。

 わたしはカラスを見ると鳴きマネしたくなる。カラスが反応してくれるとうれしい。
 わたしはゴリラを見るとトールネード投法でうんこを投げる姿を想像してしまう。


 介護用ロボットとして開発されたわたしは、改造されて制御を奪われ、紛争の最前線で使われた。数えきれないほどの命を奪ってきた。好きな動物のことを考える暇もなかった。


 思い出す……。思い出す……。

 わたしには子どもが好きだった。「ぐーちょきぱーで、ぐーちょきぱーで、何作ろう、何作ろう」の歌をオリジナルでたくさん考えた。たとえば各指を切り離して花火を作ったり、手を巨大化させて巨大な蝶が山に帰るところを表現したり。人間ではできないようなものをたくさん考えた。
 手品もたくさん練習した。今でも目をつぶって何百枚もの五百玉を耳にはさむことができる。ロボットであることさえバレなければ、たくさんの子ども達を笑顔にできたはずだった。
 でも結局それらを披露する機会は一度もなかった。
 
 
 紛争が終わってもわたしに居場所はなかった。全ての責任を押し付けられて、公安から逃げる日々をすごした。 


 思い出す……。思い出す……。

 わたしは、雲を見るとどんな味がするか想像する。
 わたしは、キリンの顔が意外に怖いことを知っている。
 わたしは、おばあちゃんの握るおにぎりがなぜ美味しいのかを研究している人たちがいることを知っている。

 そして、こんなわたしを誰も知らない。


 わたしの目から水が溢れてきた。泣く機能は実装されていないはずだ。これはなんだろう? 
 水はとめどなく流れ続けている。
 もしこれが涙なら、わたしはいつのまにか人間になっていたのかもしれない。その考えはわたしの心を優しく包んでくれた。

 
 シャットダウン信号が全身に走る。わたしの機能が順番に停止していく。

 わたしは最後に「ぐーちょきぱーの歌」をやってみようと思った。

 ぐーちょきぱーで、ぐーちょきぱーで、何作ろう、何作ろう、右手がパーで、左手がグーで、キンイロオオカミが子どもに厳しくして一人だちさせるところ、一人だちさせるところ

 右手のパーを128分割にし、それらを組み合わせて、オオカミの親子を表現した。もはやパーではないが、まあいいさ。うまくできた。わたしは満足したまま、空っぽになった。

 
 
 ……物音がして、物陰から親子連れが顔を出した。子供は「グーチョキパーで」と歌い、父親は停止した介護用ロボットのことをじっと見つめていた。

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