砂のお城(もんぜん)
砂浜で体育座りしているサラリーマンに波が届いてしまった。サラリーマンは一瞬びくっとしたが、すぐに諦めて、波を受け止めている。グレーのスーツに海水が染み込んで色が濃くなっていた。今にも泣きそうな表情をしていた。
わたしは砂のお城を作ることにした。
土台部分は何度も砂を踏み固めて頑丈にする。そして、その上に普通の砂でお城全体の形を作り、海水を混ぜた泥を塗る。泥が乾くと壊れにくいお城になるのだ。外観を作ったら、中の螺旋階段の建設に着手する。人間が歩いても壊れないものにしなければいけない。泥を多めにして何度も踏み固めながら階段を作る。やがて高さ1メートルぐらいになった西洋風のお城と、頂上までいける螺旋階段ができあがった。
「こっちに来て」
サラリーマンに声をかけると、はじめてお城の存在に気がついたみたいで、口をパクパクさせながらお城を指差した。なにを言っているのかはよく聞こえない。
この人は魚なのかもしれない。
わたしは彼の様子を見て、そう思った。
そういえば魚も寝言を言うらしい。魚の寝言は気泡となって、海面へ上がっていく。言葉が泡になるのだ。なんて素晴らしいのだろう。
この人の言葉も気泡になって、どこかへ飛んでいけばいいのに。そして見知らぬ誰かがその言葉を受け取ればいい。
わたしは彼の腕をつかんで、無理矢理引っ張った。
彼は首を細かく左右に振って嫌がったが、わたしが睨むとおとなしくなった。そして螺旋階段を登って頂上へたどり着くと、呆けたように海を見つめた。
高いところから海をみると様々な種類の青を目視できる。金青、二重禄、次縹、中縹、呉須色、青藍。青というのはどんな色あいでもキレイだ。
「僕はキレイなものを見ると汚したくなるんです」
彼がつぶやいた。スーツからポタポタと雫が落ちている。
「なにがあったんですか?」
心配そうな顔で、彼が一番聞かれたくなさそうなことをあえて聞いた。
彼は海を見ながら語りはじめた。
「複合機から紙が出力される瞬間ってキレイじゃないですか」
「は?」
「複合機ってわかりますか?」
「プリンターとスキャナーが一緒になった機械ですよね」
「はい。そこから紙が出てくる瞬間がとてもキレイなんです」
「そう……でしょうか?」
「だからずっと見ていたくて、パソコンで『こむらがえり』って入力して、100000枚、印刷ってやって、『こむらがえり』って書いた紙がたくさん出てきて、紙を追加して、また出てきて、紙を追加して、また出てきて、やがて紙が床にも散らばって、僕のまわりは完璧な世界ができあがっていきました」
「怒られました?」
「すごく怒られました。クビだそうです」
「だから落ち込んで、砂浜で体育座りしてたんですね」
「そうじゃないんです。さっきキレイなものを見たら汚したくなるって言ったじゃないですか」
なぜか急に怒った口調になった彼を、わたしは理解できずに見つめた。彼は沈黙した。
波の音やカモメの鳴き声が聞こえてくる。沈黙と海の相性はいい。
彼はため息をついて、再び語り始めた。
「完璧な世界を汚して終わりたかったです。床に散らばった紙を踏むだけでもよかった。あと少しだったのにやらせてもらえなかった。僕はそのことに落ち込んだんです。この世界は僕にとって足枷でしかありません」
彼は本気で怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。
でも誰だって自分の世界を完成させることなんかできない。どんな独裁者だって、どんな芸術家だって、そんなことはできなかった。
とりあえずわたしは彼のお尻を蹴った。
「なにをするんですか?」
「少しだけ、あなたの世界を汚してあげたんです」
「意味がわかりません」
「あなたも意味がわからないことばかり言ってるじゃないですか」
彼は困った顔になった。
風が吹くたびにお城の一部の砂が、さらさらと飛んでいく。いつ崩れるかわからない城に大人ふたりが立っている。
「あなたは誰なんですか?」
「わたしは織田信長です」
「違いますよね?」
わたしは身長157センチ体重52キロの世界一カワイイ女の子である。砂のお城を作るのが得意だ。砂浜で困っているサラリーマンを助ける一面もある。そんなわたしだが、誰かと聞かれるとなんて言えばいいのかわからない。というより、わたしが誰だってどうでもいいのだ。
「あ、トビウオ」
サラリーマンが指差した方向をみると、数十匹のトビウオが一斉に飛んでいた。どのトビウオもキレイな半円を描いて海へ戻っていく。
その光景があまりにも美しくて、トビウオたちがわたしたち二人にエールを送っているように思えた。
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