金魚を吐く場所(もんぜん)
高橋は金魚の吐き先を求めて、川のほとりを歩いていた。近くを通りかかった車が高橋を照らした。闇夜に口を膨らませた高橋の顔が浮かび上がる。今にもゲロを吐きそうだ。しかし、これから吐くのはゲロではない。金魚だ。
社会人になって、高橋はストレスがたまると金魚を吐く体質になった。
発症したのは部長に書類の記入ミスをネチネチと叱られていたときである。胃からせりあがってくるものがあり、ヤバイと思いながらもこらえきれず、部長の顔に吐き出した。鮮やかな赤の金魚が部長のおでこにあたって床に落ちた。
部長は高橋があらかじめ口に金魚をふくんでいたと思って激怒した。高橋は叱られながらグレイのカーペットの上でびちびちしている金魚を見つめていた。綺麗だ、と思った。
ストレスの質によって金魚の色は変わるみたいだった。馴染めない飲み会に行ったときは青い金魚、失恋したときは紫色の金魚、満員電車に乗ったときは茶色の金魚……。高橋は様々な場所で金魚を吐いてきた。
いつしか高橋は金魚のことを大事にしたいと思うようになった。吐いた金魚はすぐに水に入れて保護した。それがかなわないときは、口にふくんだまま水があるところまで運ぶようにした。金魚を我が子のように思っていた。
そして今日の高橋はひどかった。会社では、女子社員が高橋の悪口を言っているのを偶然聞いてしまい、後輩にタメ口で話しかけられ、課長に仕事を押しつけられ、プリンターが何度も紙づまりをおこし、ホットの缶ジュースを買ったのにつめた〜いが出てきて、パソコンは壊れて3時間かけて作った資料が吹き飛び、家に帰ると、彼女が浮気をしているところに出くわし、大切にしていたフィギュアは全部売られていて、母からオレオレ詐欺に騙されたと電話があり、父が3ヶ月前にリストラされていたことが発覚し、近くの野球場から飛んできたボールが頭にあたった。
高橋はそのたびに金魚をトイレやコップのなかに吐いていたが、最後はきちんとしたところで吐いてあげたくなり、近くの川へ向かった。
もうすっかり日が暮れていた。川を見ると、どこまでも闇が広がっていて、せせらぎだけが聞こえていた。時おり、近くを通る車だけが現実とつながっているような気がした。
高橋は必死に歩いた。やがて轟音が聞こえてきた。滝があった。スマホのライトで辺りを照らすと、滝壷の周りの水しぶきと波紋がうっすら見えた。
高橋は口を川に近づけて金魚を吐いた。虹色の金魚だった。闇の中を虹色の金魚が泳いでいった。それはご褒美と思えるくらいに美しかった。
金魚は滝壷に近づいていき、やがて消えた。
高橋はなんだか明日から頑張れるような気がした。
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