アオイサカナ(哲ロマ)

あ、まだあった。

90円だの80円だの、見たことのない缶コーヒーや炭酸飲料やペットボトルの水が並ぶ激安自動販売機、これが置いてある角を左に曲がって緩やかな坂道を少し登って行くと見えて来る。前に来たのは何年前だ、誕生日近くのこの寒い時期、電車とバスを乗り継いで面倒臭い。面倒臭いけどやらなきゃいけない更新。鯖の味噌煮の更新。

「優良鯖の味噌煮」の場合、近くの役所へ行って簡単な手続きで更新を終えることが出来るのだが、俺の場合は「普通鯖の味噌煮」普通鯖の俺はこの場所まで足を運ぶしか更新の手段がない。
高校を出てすぐ、18歳で鯖の味噌煮を取得してから暫くは俺も優良鯖の味噌煮だった。優良鯖で更新も楽だったのに4、5年前に一度、違反をしてしまい減点され、普通鯖になってしまった。
携帯電話だった。ついつい携帯電話片手に鯖の味噌煮を食べていたところを、トントン、と肩を叩かれた。まずい、と思って振り返ると居たんだ。鯖の味噌煮はまずくなかったけどね、居たんだよ。咄嗟に携帯電話を置いて、とぼけた顔を作ってみせたけどもうダメ。

「いま携帯電話見てましたよね」
「え、いや、見てないと思いますよ」
「見ながら食べてたでしょう」
「あ、いや、見てないですよたぶん、鯖しか見てないです」
「左手に携帯電話持って、ながら鯖ですね」
「あー、いや、見てたかもしれないけど、食べながらじゃない、ですよ、たぶん、停止してましたよ、たぶん」

強く突っぱねろよあの時の俺、と思う。下手くそなんだよ。慌ててしまって下手くそなうえに自信なさげな弁解。全然ダメ。結局は「全部見てましたから」で終わり。減点。
そんなわけで優良鯖から普通鯖になり、この面倒臭い鯖の味噌煮センターへ更新しに来る様になった。

1時から午後の受付が始まるのだが、毎回毎回酷い混み具合で、ただでさえこんな場所に来るだけでも面倒臭いというのに更に面倒臭い受付の面倒臭い行列に並び面倒臭く、もう面倒臭いという言葉では生温い程の面倒臭さで、メン・ドゥーク・サイとでも呼ぼうかと思う。「・」を2回も打ってホントに面倒臭いメン・ドゥーク・サイだ。何なんだ。ボクサーか何かですか。腹が立つ。

散々並んでやっと受付の順番に辿り着いたのに、そこへ来て今更鞄からがさごそと更新ハガキを探し出し流れを止めるすっとこどっこいが毎回居る。今回のすっとこどっこいは見た目大学生ぐらいの若い男だった。
何してんだよ。流れを止めんなよ。メン・ドゥーク・サイにボコボコにされてしまえよ。こんな奴が初心者鯖の味噌煮のくせに親から買って貰った良い鯖だったりするんだよ。腹が立つ。
俺は行列の流れを乱さない。更新ハガキは随分前から握りしめている。手汗でふにゃっとするぐらい握りしめた更新ハガキを、ついに、今、受付に差し出す番が来た。

ハガキにあるバーコードを読み込んでもらうとすぐに何枚かの書類と一緒に返され、②番の列に並んでお待ち下さいと次の行列を案内される。視力検査だ。
普段の生活ではコンタクトレンズも眼鏡も必要ないのだが、鯖の味噌煮を食べる時だけは眼鏡をかける。べつにかけなくても平気だとは思うのだけど、裸眼の視力では鯖の味噌煮を食べてはいけない事に、俺はなっている。これも見つかったら減点の対象だ。
普段あまりかけない眼鏡をかけて視力検査の列に並んでいると、思い出した。そういえば前に眼鏡をかけずに鯖の味噌煮を食べている時にヒヤッとした事があった。

その日は疲れていて、仕事終わりで夜の鯖の味噌煮だったのだが、途中で少し七味をかけたくなり、裸眼のまま七味を取り、ふりかけようとしたら、それが七味ではなく爪楊枝の入れ物だった事があった。
危ない、と急停止して身体を倒し、椅子から転がるようにして床に受け身を取った。慌てて取った歪な受け身だった為に、右肘を強く打ち付けてしまった。痛む肘を押さえながら俺は恐る恐る鯖の味噌煮を覗いた。爪楊枝が1本、鯖の味噌煮にふりかかっていた。
あの時は本当に冷や汗をかいた。幸い爪楊枝が一本だけ自分の鯖にかかっただけで相手の鯖も居なかったが、これがもし、他の鯖の味噌煮を巻き込んでの事故だったとしたら減点どころの騒ぎではない。一発鯖味噌取り消し。それどころか鯖刑務所行きだったかもしれない。今思い出してもゾッとする。

それ、本当に測ったのか、と疑いたくなるぐらいの速さで視力検査を通過して次は、アレだ、教室だ。
案内された③番の教室に入る。なるべく前の方から詰めて座って下さいとの事だが嫌だ。みんな嫌だ。ザリガニのようにみんな隅っこから席を埋めていく。俺もまあまあ端っこの、まあまあ目立たない席に着席して担当の教官を待つ。
この教室では改訂された鯖の味噌煮ルールと違反罰則の説明、それと30分ぐらいのビデオを見る。鯖の味噌煮安全意識を高めるという目的なのだろう、正直かったるいビデオだ。

ザリガニみたいに隅っこに座りたがるのには理由がある。担当がハズレで変にやる気満々の教官だった場合、鯖の味噌煮安全のビデオを見終わった後に、なんか、指しやがるんだ。始めに渡される鯖の味噌煮安全のしおりの何ページの何行目を読んでくださいだとかで指しやがる。遠路はるばる貴重な休みに電車とバスを乗り継いでメン・ドゥーク・サイとのスパーリングでボコボコにされた俺たちをランダムにシューティングして、しおりの二、三行ぐらいの文章を、少しだけ誕生日が近いってだけの見ず知らずの老若男女の前で読ませる。やめてくれまいか。読めない漢字とか出て来たら黙っちゃうからやめてくれまいか。恥ずかしいんです。ドジでノロマなカメなんです。教官。
だからみんな目立たない様に隅っこに座りたがる。前回の更新の時にはよりによって暴鯖族に居そうな強面ヤンキーが指されて見ているこっちがハラハラした。軽く舌打ちしたヤンキーはそれでもしおりを手に持ち読み始めたのだが、あろう事か「鯖」の漢字の手前で黙ってしまい教室が凍りついた。
でも今回は当たりだ。事務的に淡々とこなす教官が来た。
当たりの教官は早口で新しい鯖味噌ルールをささっと説明して「あとは各自しおり読んで確認しといて下さい」と最高のセリフで端折って早々と映像作品の上映準備に取り掛かった。良いぞ。この教官殿は指さないタイプだ。

鯖味噌安全のビデオはそんなのあるかよ、てぐらい悲劇的なドラマ仕立ての内容だった。
ただその内容は、俺が優良鯖から普通鯖になってしまった原因である携帯電話での「ながら鯖の味噌煮」がメインテーマのドラマだったので、なんとなく、見入ってしまった。
主人公、とでも呼ぶのか、そいつが携帯電話を見ながら鯖の味噌煮を食べていて、そんのあるわけ無いだろってぐらいの大事故を起こす内容だった。
ソースをかけたのだ。
しかも酒を飲んでの携帯電話ながら鯖の味噌煮。しかも何人もの鯖を巻き込んで。
酒を飲んで携帯電話を操作しながら鯖味噌にソースをかけ、さらに前方に居た人の鯖味噌にもソースがかかり、最初に巻き込まれたその人が衝撃で水をこぼし、その水が右に並鯖していた人にかかり、椅子から転げ落ち、爪楊枝をぶち撒け、その爪楊枝がさらに後続鯖にかかり、何人もの鯖の味噌煮を巻き込んでの玉突き鯖でめちゃくちゃだった。もう本当にめちゃくちゃ。画的にもめちゃくちゃ。ぐちゃぐちゃ。
主人公の人生はその事故を境に転落していった。
教室の中では鼻で笑う声も聞こえたが、俺は爪楊枝の自損事故経験もあったので流石に堪えた。悔しいけど効果ありだ、このビデオ。

当たりの教官は期待を裏切る事なく、ビデオが終わると受付での最終更新手続きをささっと早口で伝えて
「これで終わりです長時間お疲れ様でした」と締め括った。
気持ち的にはスタンディングオベーションしたくなるぐらいの解放感だ。やっと終わった。

晴れやかな気分で鯖の味噌煮センターを出ると、鯖ブルーの空が広がっていた。

ぼくの生まれた日は
いつも
いつも
こんな

歌詞の続きが出てこない見切り発車の鼻歌を小さく歌いながら坂道を下る。
そういや朝から何も食べていない。そう気付いた途端に腹が減って来た。
どこかで昼ご飯を食べて帰ろう。
パスタが食べたい。

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