「恥」(伊勢崎おかめ)
婦人科検診。女性ならば憂鬱になる事案である。なぜか。ショーツを脱ぎ、下半身丸出しのうえ検診台に座り、その検診台がテーマパークのアトラクションよろしく後ろに倒れ、機械により自動的に両脚を強制開脚させられ、医師に対し陰部を丸出しにして診てもわらなければならないからである。医師と自分の間にあるお飾りのカーテンも、なかなかの「恥ずかしいことをしている感」を醸し出すアイテムとなる。いつからかは忘れてしまったが、年に一度は必ず婦人科で子宮がん検診を受けている。私にも若かりし乙女だった時代があり、その頃は、他人に陰部を丸出しにすることが恥ずかしくてたまらなかったのだが、出産を経た今では、男性医師に対してであろうとも、婦人科にて下半身丸出しで開脚することにほとんど恥ずかしさを感じなくなってしまった。おそろしいことである。
年に一度の子宮がん健診以外では、婦人科を受診することはめったにない。しかし、数か月前、朝起きてみると陰部に違和感があった。「ん?」と思い、背を丸めてちらりと当該部分を目視すると、変わりはないようだが、なんとなく、自分の陰部が他人の陰部になってしまったような、そんな感じがあった。「陰部全体が盛り上がっている?はて…これは?しばらく様子を見るか」と思ったが、その日がたまたま土曜日で仕事が休みだったので、婦人科を受診することにした。
まず診察室での軽い問診。「陰部に違和感があって」と告げると、「じゃあ診てみるから、隣の部屋の検診台で待っててね」とのこと。看護師の指示通り、ショーツを脱ぎ検診台に腰掛け、下半身ご開帳状態で医師を待っていた。やって来た女性医師に「どこがどんな感じ?」と尋ねられたが、陰部の違和感をうまく伝えらえず、とっさに私の口から出た言葉は「私の陰部、これで合ってますか?」だった。聞かれた医師にしてみれば、いくら定期的に診察している患者の陰部であっても、数百人はいるであろう受け持ち患者の陰部の状態が、「合っている」か「合っていない」かどうかはわからないだろう。結果、「うーん、特におかしいところは無いと思うけど、腫れてるのかなぁ?軟膏出しとくので、様子見てみてね」とのことだった。診察を終えて病院を出るころには、なぜか陰部の違和感もすっかり消え、いつも通りの自分の陰部として体にフィットしていた。せっかくの土曜日。病院に行かずに様子を見ておけばよかったと思いながら、病院を後にした。
考えてみれば、陰部とは、人間にとって、なくてはならない器官であるのに、「恥ずかしいもの」として常に覆い隠されている。「恥骨」に至っては、その名称が気の毒すぎる。恥骨は、自分のことをちっとも恥ずかしい骨だなんて思っていないはずだ。恥骨が無ければ人間は歩くことはおろか生きていくことができないので、もっと堂々と名乗ってほしい。「誉骨(よこつ)」に名前を変えてはどうだろうか。