震災のこと(もんぜん)
「TSUTAYAのビデオ、返しに行けないんだけど大丈夫かな」
2011年3月11日から一週間が経っていた。岩手県宮古市に住んでいた父とやっと連絡がとれた。臨時で設置された公衆電話に二時間並んだらしい。
電話の向こう側で父はレンタルビデオの延滞を心配していた。それを聞いて、なぜか涙が出た。
電気が止まりテレビもラジオもインターネットも見れなかったので、父は震災の情報をほとんど知らなかった。東京に住んでいた僕の方が余程詳しかった。テレビでは毎日僕が通った小学校の近くが津波に飲み込まれる様子を映していた。そのことを言うと父は驚いた。
たとえ被災しても、それぞれの生活は続く。ぎっくり腰になったりレンタルビデオの延滞を心配したりゴルフのことを考えたり。
父と話をするまで、ニュースで報じられる被害状況を数式や記号のようにとらえていた自分がいた。きちんと想像できていなかった。10分のニュースの向こう側に、膨大な数の人生があることを。
2ヶ月後、米をリュックに詰めて実家に帰った。母は公文教室をやっていて、授業を再開していた。採点の手伝いに行くと、小学生がポケモンと僕に指で浣腸することと電信柱のうえに死体がぶら下がっていた話を同じ温度でしていた。
その日は僕はひたすら小学生に浣腸された。浣腸をされている間は震災のことを忘れた。
「おらあよぅ、津波と競争して勝ったぁが」
津波に走り勝ったと自慢する70才ぐらいのおじいちゃんがいた。津波の速度を調べると競争馬より速いらしい。
「ディープインパクトより速いじゃないですか」
地元には日本ダービーを勝てそうなおじいちゃんがいる。笑った。人間には底力があると思った。
震災がなければ、あの日僕は看護師さんと合コンをしている予定だった。一歩間違えれば「ルネッサンス~」と何度も繰り返す人生になっていたと思う。まあ、なってもよかったけど。
つらい話や悲しい話もたくさん聞いたけど、人間の底力を信じさせてくれるような話もたくさん聞いた。人生の半分はしんどいでできているけど、ディープインパクトに勝てるおじいちゃんのことを思い出せばもう少し頑張れそうな気もする。
ああ、でも仕事したくねえなあ。今日は休日出勤だ。
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