特攻服と柔軟剤(葱山紫蘇子)
「おかん!また柔軟剤使ったやろ!俺の特攻服に!」
アヤトは夕飯を食べている母親に怒鳴りつけた。
かぼちゃの煮物を口に含みながら、アヤトの母ヒサ子は答える。
「なにがぁ」
「この柔軟剤、匂いきっついねん!使うなって言ったやろが!」
「知らんがな」
「言うたわ!」
「聞いてへんわ」
「言うたわ!」
「嫌やったら、自分で洗いーや!」
「自分で洗おう思って置いといたら、勝手におかんが洗おたんやろが!」
「お前、それ何日洗ってなかったん?」
「知るかボケェ!勝手に洗うなや!」
「アルパカの匂いしとったで」
「知るかボケェ!アルパカの匂いってどんなんやねん!」
「アヤト、またこんな時間に出かけんの?」
「せやからこれ着てんねん!見てわからんのか?今から集会じゃボケェ!」
「ごはんちょっと食べたら?かぼちゃのたいたん、あるで?
あんた、ちっちゃい頃からこれ好きやろ?」
「いらんわ!いつの話してんねん!コンビニで食うわ!」
「そうかー。事故だけは気ぃつけてな。」
「うっさいわ、くそばばあ!」
アヤトが乱暴に玄関の扉を閉めた音は、三軒並びの文化住宅全体に響いた。
誘蛾灯のように夕闇で光るコンビニの前で、肉まんとからあげクンチーズ味を食べていると、エミとリナコを連れたタカ先輩もやってきた。
「あ、タカふぇんぱい、お疲れ様っす!」
「おう、アヤト、からあげクンうまそうやな」
「はいっ、うまいっす」
「アヤト~、一個ちょうだ~い」リナコが鼻にかかった声で言った。
「あ、もう食べかけしかないワ」
「それでええよ~、あ~ん」
「え?あ、ああ、…はい」とリナコの口にかじりかけのからあげクンを入れた。
「おいひ~!ありがと~!」
「なんやおまえらラブいなあ。よっしゃ、おまえ今日、リナコ後ろに乗っけてやれや」
「えー?マジっすか?」
「わー、嬉しい!うち、アヤトの後ろ乗ってみたかってん!」
「お前はほんま、ケツ軽いのお~。アヤト、ええやろが、乗っけたれや」
「は、はい、了解っす。」
リナコは火野正平に似てるが二重まぶたで目が大きく、流行りの赤い口紅がなまめかしい。愛嬌もありどこか色っぽく、まだ女の子と付き合ったことのないアヤトは、リナコを見るだけで鼓動が早くなるのを感じていた。
「オレ、いらんから、かぶっとけや」
アヤトは、ぶっきらぼうにヘルメットをリナコに押し付けた。
「そうなん?うちも、いらんで~」
「ええから、念のためかぶっとけって。
なんかあったら、オレが先輩にしばかれるし」
「それもそやな~、わかったわ~。でも、コケんといてや~きゃはははは」
アヤトから受け取ったヘルメットを被り、原チャリに跨ったリナコは、ギュッとアヤトに抱きつく。シャンプーか香水か、なにかわからないが、リナコからふんわりといい香りが立ち上ってきた。自分の家の柔軟剤とは違う、あでやかな花のような匂い。アヤトは、平然を装っているが、首から頬が真っ赤になっていた。
先輩の車高の低いタントの後を追いかけ、いつもの公園の駐車場に乗りつける。先に集まっていた仲間たちが、アヤトの原チャリに群がり、リナコのことを冷やかしてきた。
「リナコ、浮気か~。それとも、先輩のセカンドはやめたんけ~?」
「そやねん。うち、今日からアヤトにすんねん。あんな~、アヤトの服な〜、むっちゃええ匂いすんねんで~きゃはははは」
と、リナコが女友達に言ってるのを聞くと、アヤトはまた、首から頬にかけてが真っ赤になった。そのうちにシャコタンやスピーカー搭載のビックスクーターなどが揃い、アヤト達は国道へ走り出した。
爆音を鳴らし道いっぱいに広がってゆっくりと進む。深夜の海寄りの府道は、走る車が少なく、アヤトはいつもこの時、この世の王様になった様な気持ちになる。今日は後ろにリナコが乗っているから、より気分がいい。蛇行運転も、いつもより多目にクネクネしている。リナコが振り落とされまいと、一層強くアヤトに抱きつく。仲間達が冷やかしに『ゴッド・ファーザー』のクラクションを鳴らす。
駅前近くに来ると、お決まりのパトカーが追いかけてきた。
停車を促すアナウンスを無視して、一行は爆音を鳴らし走行を続ける。しかし、しばらくして族長が解散の合図を出す。どうやら先で大規模な取り締まりがあるらしい。アヤトは先輩のタントの後について住宅街の方へ逃げていった。
目をつけられてたのか、パトカーもアヤトについてきた。焦ったアヤトは先輩のタントを無視して、右折左折を繰り返した。パトカーの入れなさそうな狭い道を探すが、逃げきれそうな路地を見つけ入る直前、飛び出した猫をよけて、バランスを崩し転倒してしまった。
アヤトとリナコはアスファルトを転がった。原チャリは滑り、電信柱に激突していた。
アヤトが目を開けると、視線の先に横向きに倒れているリナコの姿があった。寝転んだままで、ケガをしているのかわからない。近くに寄るために起き上がろうとするが、全身に痛みが走り体を動かせなかった。目に何か入ったので肩で拭うと、白い特攻服が赤く染まる。血の匂いがし、口の中にも鉄の味が広がる。
死ぬんか、俺は死ぬんか?
体中、痛みで熱いのに、背中に寒気が通り抜けぞおっと冷たくなった。風が吹き、血の匂いが飛ばされ、今度は特攻服の柔軟剤の匂いが立ち上る。
俺は、俺はこのまま、柔軟剤の匂いに包まれて死ぬんか?
目は開いているのに、先輩やリナコの顔が前に浮かび消えていく。これ、走馬灯ってやつちゃうんけ。まじか…先輩…リナコ…おかん…おかん…。
パトカーのサイレンが近くで止まる音がし、アヤトは気を失った。
アヤトが次に目を覚ますと、嗅ぎなれた柔軟剤の匂いが充満していた。
乳白色で統一された狭い病室、アヤトの傍ら、母ヒサ子が座っていた。
「このアホ息子、やっと起きたんか。どアホ!…どアホ…どアホ…」
おかんの顔がくしゃくしゃになる。
「なんやねん、ぶっさいくな顔で…おかん…おかん…ごめ…」
そっくりなくしゃくしゃ顔でアヤトも号泣した。
ひとしきり泣いたヒサ子は、アヤトが口を開く前に、経緯をまくし立てた。
一時停止からの急発進直後だったらしく、スピードが出てなかったおかげで、ノーヘルだった割に軽症だったらしい。1番ひどいのは左足と右腕の骨折。頭は幸い擦り傷で、レントゲンも脳波にも異常は無かった。リナコはヘルメットのおかげで足の擦り傷と軽い打ち身だけだったらしい。それでも、明け方に連絡がついたリナコの母親に、ヒサ子は平謝りしたと強調した。
「大事なお嬢さんの体に傷をつけてしまって、ほんまにほんまに申し訳ありませんっ!お嬢さんの治療費はこちらがお支払いしますし、一生面倒を見る覚悟ですーーー!ってな。
ほんだらな向こうが、いや~ヒサっぺやんかーっていきなり言うてな。
えー?なんでうちの名前知ってんの~って、びっくらこいて顔上げてんよ」
リナコの母親は、ヒサ子の中学校の同級生で、3駅向こうの繁華街でスナックを経営しているらしい。
「きゃー、懐かしいわー懐かしいねー、言うてな。聞いたら、むこうもな、早くに離婚して女手ひとつでがんばってるんやって。ほんでな、ヒサっぺよかったらヘルプに入ってくれへん~言われてな。いやー、そんなんそんなん、うちなんかおばはんやし、顔もこんなんやし水商売なんかでけへんでーお客さん逃げよるでーって、言うたんやけどな、ヒサっペは肌きれいやし、話おもろいからいけるいけるーって言われてな。そんなわけで、あんたが落ち着いたら、夜はスナックで働こう思ってんねん」
「なんの話やねん。長いわ!」
「だからな、あんた、退院したら自分で洗濯とかしてな。おかん、忙しなるからな、しっかりしいや、学校もちゃんと行きや。柔軟剤も、好きなん使ったらええわ」
「…おう、わかっとるわ…」
目はそらしたが、返事をしたアヤトに、ヒサ子は続けた。
「原チャは禁止な!ごっつい壊れたし、免停やし」
「わかっとるわ!病院代も返すわ!…体、良うなったら、バイトして…」
「そんなん保険でなんとかなったわ!それよりちゃんと食べて、早よ治して学校行き!」
ちょうど正午のチャイムが鳴り、病室の外に昼食が運ばれてきたようだった。
ヒサ子は素早く立ち上がり、食事ができるようにかいがいしくベッド周りを整え、食事を受け取る。
「見てみ、結構おいしそうやで~。ほら、あんたの好きな、かぼちゃのたいたんもあるわ~。あんた、かぼちゃのたいたん、好きやったろ。」
「お、おう…」
「仲、よろしいんですね~」
食事を運んできた看護師が声をかけた。
「ちゃ、ちゃいますよ!」
「アホな子ぉほど、かわいいてね~」
二人同時に声を発したが、ヒサ子の声の方が大きかった。
リナコの母親が経営しているスナックに勤めだしたヒサ子が、別れた元旦那、つまりアヤトの父親にボウガンで撃たれる話は、また、別の話。