書き出し自選・井沢の5作品(井沢)

「書き出し小説大賞」の作家が自身のオススメ作品を紹介する「書き出し自選」。第14回を担当いたします、井沢です。普段は語感だけで単語を転がして遊んだり、イラストを描いたりしています。

デイリーポータルZのいち読者だった私が書き出し小説大賞に投稿するに至ったきっかけは2014年、選者の天久さん曰く「一回だけのやり逃げ企画」、「美味しんぼってどんなヤツ?」をイラストで解答する回でした。文章は自信ないけど絵なら…と気軽に投稿したところ採用され、天久さんからコメントもいただき気を良くし、じゃああの面白い書き出し小説もやってみようと思ったのです。第56回から投稿を始めて採用本数が101本(2019/7/20現在)。ひゃく。うひゃあ。ふざけたり、真面目になったり、相変わらず書き出しは楽しいです。

私の自選はこちらです。

夜、5滴ほど泣いた。高いところから畳に落下させた。ぱた、と音がした。

(第56回・自由部門)

しみったれている。初投稿で何故これが採用されたのだ。いや投稿したのは私だ。

手元の雑記帳やミクシィ日記やなんかをめちゃくちゃ精査して、たしか3本を送った。初投稿で採用いただき、書籍『挫折を経て、猫は丸くなった。』(新潮社)の方にも載せてもらえた幸せな処女作。

涙が格別に濃い時って片目から1、2滴で驚くほどすーんと平静になりますよね。

「くらげになりたい」と言う女性の横で申し訳ないほど男になりたかった。

(第87回・規定部門・童貞)

どんな困難なモチーフが来ても必ず規定部門を出すという自己ルールが確固たるものとなった回。

このテーマで笑い方向からは攻められない。切なさならどうか、情景ならどうか…と考えていたときに水族館の映像ないしラッセンでも見えたのかよく覚えていないが、ふと「そういえばくらげになりたいってよく聞くけど、そんなこと思ったことがないなあ」と思った。それから少し申し訳なくなった。女の不思議ちゃんのことはいつもよく分からないけど、彼女の方も男が何を考えてるかなんて分からないだろうな。と考えたときにできた一文。親に見せるには気まずいが、とても気に入っている作品の一つ。

お宅、隣人としてはプロだったよ。

(第93回・規定部門・二人称)

常に頭の中にあるシチュエーションはないだろうか。私はある。容疑者のアパートのドアを叩く刑事に隣の部屋の住人が「お隣さんなら引っ越したよ」と言う場面だ。このセリフが完璧すぎて、もし実際に隣人が引っ越した後に諦めの悪い来訪者がいたら言わねばならないのにいらぬ緊張をしてしまうだろう。

この書き出しは、容疑をかけられていた青年が自宅で逮捕となり、連行される際に隣人にかけた言葉である。労い。そうでしたか、私、隣人、うまくやれていましたか。友情とも共犯者とも少し違う奇妙な絆。…と、自分ではそんな空気感で書いたものの、何せ書き出しだけなので、前後の物語は読む人次第になるのが面白い。

別の回で「刑事が来た時に巻くカーラーがない。」(第117回・規定部門・端役)というのも書きましたが、よっぽど好きな情景なんでしょうね。

あんな大きさの定礎、あるんだ。

(第104回・自由部門)

日比谷公園の近く、野外音楽堂の裏あたりにあるビルの定礎がでかい。尋常じゃなくでかい。定礎界では定っちゃん達に聖地巡礼されていないとおかしいくらいに大きいのだ。私はスチャダラパーの春の野音に行く前にわざわざ遠回りしてその定礎を拝んでからライブに臨んだほどなので、これはもう、ちょっと東京に来たら見に行った方がいい。天久聖一さんの著書『サヨナラコウシエン』(リイド社)の中でドラゴンの里の門に定礎が描き込まれているのを見て私は打ち震えた。定礎はいつもそこにいる。

木蓮は百合根の食感で解れ落ちた。

(第120回・自由部門)

長年感じていた何かをやっと言葉にできた一本。「食感」という解釈を持ってこれたことで完成した。一文字たりとも過不足なく完成したなあと。

思いはあっても文章にできるのは別の時。そういった深いもやもやが既にある四字熟語や故事成語とピッタリ合った時が個人的に非常に気持ちが良く、先人すげー!これが生きてるってことだよな〜とか思うわけです。

以上、井沢の書き出し5選でした。

次は哲ロマさんに。既に自選を読んだ気がしていましたが、それは作文『府中本町の鳩』で書き出し小説の1作品が紐解かれているからでした。そちらを読みつつ震えて待つとしましょう!


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