スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナ(もんぜん)
スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナに育てられた少年が見つかった。
少年は長野県の森の奥で発見された。少年は四足歩行で言語能力はなく、何を聞いても「うがぁ」とか「ぐわぁ」としか言わなかった。ただ少年は紙切れを握っていて、そこには「この少年はスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナという生物に育てられた」「このメモはその様子を見ていた第三者の人間によって書かれた」ことが記されていた。
有識者が集まって検討・調査したが、誰にもスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナが何なのか分からなかった。はじめはネットを中心にスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナの正体に関して様々な説が唱えられたが、次第にテレビでも取りあげられるようになると、流行にのって、日本中で大論争となった。
以下、当時唱えられた主な説である。
・哺乳類である
人間を育てる能力があったことから、スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナは哺乳類であることが推測された。もし爬虫類や両生類だったら、少年は死んでいたはずだ。
・陸で生活する生物である
水中で生活する生物である可能性はないだろう。水中で少年を育てることはできない。
・人間である
人間を育てられるのは人間だけ、と主張する人は多かった。1845年に狼に育てられた少女、1959年に猿に育てられた少女、1991年に犬に育てられた少年など、他の動物に育てられた人間がすでに見つかっているにも関わらず、彼らは人間以外の動物が人間を育てられるわけないと主張した。彼らは言語を持たず四足歩行で暮らす部族がいると考えた。
・メモを残した人間が育てた
少年が握っていたメモを書いた人間こそスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナであり、子を捨てるためにやったという説。最も有力な説と思われた。
・足が7本ある生物である
少年には他人の足の数を確認する癖があった。その際に、うぁ、いな、たゃ、かぃ、おも、やわ、ぐぇと七音を発した。そしていつも、たゃ以降は悲しそうな声になり狼狽える姿を見せた。まるで足が7本ないことを悲しんでいるかのようだった。
・学名で呼んでいる
スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナは学術名がなまったもので、実際は猿や犬など、よく知られた動物なのではないかという説もあった。同じぐらい長い学術名の生物を探すと
フェーリス・シルヴェストリス・カトゥス(猫)
マルテス・メルンパス・ワグナー(テン)
パラストラチオスペコミア・ストラティスペスコミデス(ミズアブ)
などがある。しかし、どれもスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナに似てるとは思えない。しいて言えばミズアブが近いが、ミズアブに人間が育てられるだろうか?
・チリ人である
スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナの一部に「チリ、イナカ」が含まれているという単純な理由でチリ人という説があった。
・イカである
少年が見つかったのと同時期に全長333メートルの巨大なダイオウイカが発見され、あまりのでかさに人間を育てられるのではないかと話題になった。ちなみに333メートルというのは東京タワーと同じ高さで「東京タワーイカ」「スカイツリーじゃなイカ」などと呼ばれた。
・大谷である
人間とスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナの二刀流だから。
・神である
理由はない。
・懸賞金がかけられる
某IT社長がスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナを捕まえた人には1億円出すと言い出した。
・映画化される
「スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナ、ニューヨークへ行く」「シン・スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナ」「スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナを止めるな」などといったタイトルで映画化の噂があった。
・ スサ1グランプリが開催される
関根勤司会で「スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナNo1グランプリ」が開催され、全国各地から「我こそはスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナだと思う人」が集められた。結果、関根勤の秀逸なたとえだけが印象に残る大会となった。
・オシム元日本代表監督に話を聞きに行く
「スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナを知ることは井戸の中をのぞくようなものだ」
・スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナ風サラダが流行る
・東武線がスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナ駅を作る
・スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナになります芸人が誕生
・某ミュージシャンがスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナをカバーする
当初は真剣に議論されていたが、半年も経つといい加減な説だらけとなり、最終的にはよくわからない企画だらけになった。結局、スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナが何なのかわからず、メモを残した人間も見つからないまま、やがて世間は少年のことを忘れた。
コンクリートの壁に覆われた窓のない部屋に通された。柄にもなく緊張していた。ついに少年と会える日がやってきた。
初めてテレビで見たときから少年に魅せられていた。この日本で他の生物に育てられた人間が出てくると思わなかった。少年を見ているとワクワクした。そのためわたしはブームが終わっても少年の取材を続けていた。そして国が運営している「メディカルライデン」という施設で保護されていることを突きとめると、記事にして週刊誌で発表した。しばらくしてその施設から「少年が会いたがっている」と連絡があった。うれしかった。あの少年が1年でどのように変化しているのか興味があった。
白衣の老人に連れられて少年が部屋に入ってきた。発見された1年前よりも背が伸びていて、少し大人っぽくなっている。年齢は10才前後だろう。発見当時伸び放題だった髪は短く切り揃えられて、Tシャツに短パンという服装だ。少年はわたしの顔を見ていきなりこう言った。
「スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナの意味わかった?」
驚いた。普通に日本語で話しかけてきた。
「少年の知能指数は非常に高く、あっという間に言語を習得しました」白衣の老人が困った表情を浮かべて補足した。
「まだわからない」わたしがそう答えると、急に少年は興味を失くした表情になり、「なんだ。バカなんだ」と言ったあと、自分の指を舐めはじめた。
その様子を見て、白衣の老人が再び補足する。
「少年は一度興味を失うと、コミュニケーションがとれなくなります」
「どうすればいいのでしょうか?」
「少年の動きをマネしてください」
わたしは言葉の意味がわからず、白衣の老人を見つめた。少年は自分のワキに唾を吐いている。
「言葉の通りです。少年が満足するまで少年の動きをマネしてください」
「どうしてそんなことを?」
「それがスサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナのコミュニケーション方法みたいなのです。あなたはこの少年から話が聞きたいのでしょう?」
確かにそうだが。少年は変わらず自分のワキに唾を吐き続けている。これをわたしもやるのか。くそ。
わたしは少年と同じように自分のワキに唾を吐いた。徐々にワキがひんやりしていく。
「くいいいいいいいいいいいいいい」と少年は絶叫する。
「くいいいいいいいいいいいいいい」とわたしも絶叫する。
少年は大量のサソリを頭からかぶった。
わたしも大量のサソリを頭からかぶった。
少年は全裸になり、辛子マヨネーズを全身に塗って、鼻の穴にタコ焼きを詰めていった。
わたしも全裸になり、辛子マヨネーズを全身に塗って、鼻の穴にタコ焼きを詰めていった。
痛い。ちくりと肩が痛んだ。サソリがわたしの肩を刺した。その拍子にタコ焼きが鼻の奥へ奥へと入っていく。熱い。顔を横に振ってタコ焼きの侵入を食い止めようとしたが辛子マヨネーズが目に入る。わたしは耐え切れず床に転がった。
その瞬間、部屋の電気が消えた。
大きな音と共にまっくらな部屋が揺れて、コンクリートの壁がくずれるのがわかった すごい歓声だ。そして電気がついた。
わたしは巨大な競技場の真ん中にいて、大勢の観客がわたしを見て笑っていた。何だ、これは? 観客の中にすでに服を着た少年もいて、わたしを指さしてゲラゲラ笑っている。白衣の老人が申し訳なさそうな顔で近づいてきて頭を下げた。
「ありがとうございます。いいデータが取れました」
「これはどういうことですか?」
「研究の一環です。あの少年はとても興味深い。今日はこれでお帰りください」
「研究の一環ならどうしてこんなに観客がいるのですか? ちゃんと説明してください」
白衣の老人はわたしの問いには答えず、背を向けて歩きだした。頭に血がのぼった。ふざけるな。
わたしは白衣の老人に殴りかかった。しかし黒い服を着た男たちがわたしを取り押さえる。そのはずみで鼻からタコ焼きが飛び出し宙を舞った。わたしは意識を失い、気がつくと長野県の山奥に置かれていた。後日この施設を訪ねたが、建物自体がなくなっていた。
それから半年が経ったが、いまだにほとんどの疑問が解決できていない。あの施設はなんだったのか? わたしは何のために辛子マヨネーズまみれで鼻にタコ焼きを詰めたのだろうか? あれで何の研究データが取れたのか? そもそも少年は本当にたった1年で言語を習得したのだろうか? 発見当時の四足歩行で言語能力のなかった少年の姿は本当の姿だったのだろうか?
唯一わかったのは、スサタチリイナカカエマテアドフヨセケホヒマモコクバニカスナについてだ。化学の教科書がヒントを教えてくれた。29音であることもポイントだった。それらに関連する単語をいくつか組み合わせて、インターネットで検索すれば答えにたどりつく。しかしこの答えで合っているのであれば小馬鹿にされているとしか思えない。どういうつもりなんだ?
わたしは再び記事をまとめて週刊誌で発表しようと考えた。そして記事を書き終えて、雑誌社に送付した日、少年から連絡があった。もう一度会いたい、と。タコ焼きのソースの匂いが蘇ってきた。
いいなと思ったら応援しよう!
