おとどけ(puzzzle)

 世界中が吹き飛ぶほどの大きなくしゃみをしてから鼻水を啜り上げる。
「全世帯に中央銀行券を二枚ずつ配布します」
 電波塔を見下ろし、誰もがその声に首を傾げた。
「ナニ券だって?」
 女房は長男に問いかける。長男は長女に、長女は次女に、次女は爺さんに。
「お金のことだよ」
 爺さんは答えた。
「お金だって」
 次女は長女に視線を戻す。長女は長男に、長男は女房に、女房は俺に。
「お金ね」
 俺は知った風に頷く。
「二枚ということは布切れのようなものだろうか?」
 長男は着物の袖をつかんで腕をト音記号のように組む。
「合わせ鏡のようなものじゃない?」
 長女は膨らませた頬に一際長い小指を立てる。
「焼きたてのピザに決まってるじゃない」
 次女は冷えて固くなった二切れのピザをテレキネシス。
「嗚呼、焼きたてのピザはいつになったら届くのだろうか」
 今までならば食卓にはいつだって熱々のピザが置かれていた。ぐるぐる回る空を見上げれば、ピザが残り僅かになってから既に三度も衛星を目にしている。
「チーズの伸びないピザなんて嫌いよ」
 次女は干からびたピザを発光させて空へ放つ。爺さんは愚図る次女を宥めてから、顎が外れるまで欠伸をした。
「そろそろ寝るよ」
 そして、二度と目を覚ますことはなかった。
 俺はあの時、知った風な顔をせずにお金というものが何であるか爺さんに確かめておくべきであった。爺さんのことが好きだった。正確に言えばお義父さん。好奇心と探求心。遊び人で無責任。俺はお金がなにか想像することしかできない。やっぱりそれはたっぷりのトマトソースに、薫製肉と、焼けたチーズが乗せられた熱々のピザのようなものではないのか。
「きっと熱々のピザだよね」
 俺よりも先に女房は言い切る。そして、長男に向かって口角を持ち上げる。長男は長女に、長女は次女に、次女は俺に。
「嗚呼、どこまでも伸びる極上のピザに違いない」
 我々にとって、このホシにおける一番の収穫がピザだったのだ。
「あのホシにはどうやらピザというものがあるらしい」
 爺さんはどこからかそんな情報を仕入れると、そっと俺に耳打ちした。
「どこまでも伸びる熱々のピザさ」
 俺はごくりと唾を飲む。そして、大きな期待を膨らませながら次女の頭をなでた。
 このホシの生き物たちはとにかく活動的だ。地上に存在する無数の工房で生まれたピザたちは、次々と食い尽くされていく。ピザだけではない。あらゆるものに火を放ってはなんでも貪欲に取り込んだ。そして、地面を掘り返し、生き物の皮を剥ぎ、多くのものを装飾品に変えた。
 見ているだけで目が回る。それでもピザの魅力には抗えない。
「選んだホシが悪かったのよ」
 ひどく醜い姿に凝集した爺さんを拾い上げ、女房は涙を流し続けた。この星の七割が水没したころ、再び、あの声が聞こえた。
「全世帯に中央銀行券を二枚ずつ配布します」
 このホシの生き物は直ぐに立ち直る。たくさんの死をもたらした液溜まりでは泳ぎ回るものが現れ、それをレジャーと呼んだ。そして、相変わらず残されたものに火を放つ。衛星は回り続け、ピザはまだ来ない。工房の七割が水没したのだから仕方ない。
 半分に割られた凝集体を受け取り、お金について考えた。それはピザを食べるために必要だったのではないか。爺さんはなんでも知っていた。どうやってお金を手にしたのだろう。俺がくしゃみで世界を吹き飛ばしたとき、この舟にお金が届けられることはなかった。女房が世界の七割を水没させても、きっとお金が届けられることはない。爺さんを無くした今、我々はお金を手にする術も、それをピザに変える技も持ち合わせていない。
 俺は爺さんの亡骸をサクリ噛んでみた。女房の手前「くそまずい」とは言えない。それでも顔に「くそまずい」と書かれていたのだろう。女房は半分を放り投げた。 
「もう熱々のピザを食べることはできない」
 愚図る次女の頭をなでれば光に変わる。女房と背中合わせになって長男と長女を頭から丸飲みすれば、直ぐに一〇の瞳を配置した球状の房となった。旅支度は整った。光の尾を引きながら立ち去れば、地上は干上がり、電波塔の信号は途切れた。


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