【妊娠・出産】コロナ禍での初産レポ
緊急事態宣言再延長ですね〜。ワクチン広がるまでまだまだコロナとのお付き合いは続きそう。
その影響あってか産み控えなどと言われる昨今ですけれども、私の周りでは控えるどころかここ数年、何度目かの出産ブームです。年齢的に最後の駆け込み出産な感じかな? 私が出産したクリニックもほぼ満床で、個人的には皆普通に産んどるやんけ、という印象でした。地域差があるのかもしれない。
さて、このnoteは産後18日目にして早くも薄れゆく妊婦ライフを書き留めておくための個人的記録です。
妊娠したら安定期に入った頃周りにお知らせするのがスタンダードではありますが、私は親族にすら実際に赤子がこの世に産まれるまで知らせていませんでした。
家族が臨月間近でだめになってしまったのを近くで見ていたこともあって、無事出産ができるのはとても幸運なことで、決して当たり前ではないんだと思い知っていたので、影響の出る仕事関係や内々の閉じた場所でしか妊娠のことは告げていなかったんです。隠密マタニティライフ。
【産院について】
まず、めでたく授かって最初に悩むのが産院選び。私がこの某クリニックを選んだ理由は、第一に無痛分娩があること、そして家から比較的近かったことでした。知人の産婦人科医に近隣の病院の評判などを聞いて、もっと近い無痛の病院もあったのですが、色々な事情を鑑みて最終的に某に決めた次第です。
とにかく無痛は条件として外せませんでした。痛いの絶対嫌だった。
鼻からスイカとかよく聞きますけど、クリニックの動画を見るとどうやら出産は指切断の痛みレベルとほぼ同じ模様。無理過ぎ謙信!!!!
検索すれば他にも中世の拷問やらブルドーザーやら何やらものすごい表現のオンパレード。世の母たちすご過ぎでは……。
相方は「きっとPONって産まれるよ!」などとほざくのですがいやいやあの北斗晶さんでも出産は人生で痛かったランキングナンバー2にランクインさせるほどの激痛ですよ。何がPONじゃ。
古来より出産は女の戦と言われますが、男が刀や槍を持って実際命をかけた戦場に向かう時代は終わったというのに、女は未だに原始的な戦をしているとは何事か。せめて人類の偉大なる発見麻酔を使わせてくれ! という熱い気持ちで無痛分娩を希望したのであります。
しかしこのクリニックの無痛には条件がありました。
まず平日であること。そして昼間であること。つまり週末だったり夜中だったりすると無痛はできないよってことですね。24時間体制で麻酔科医が常駐しているところ以外での無痛は大体そうだと思います。
助産師さんの説明では、このクリニックで無痛分娩を希望した妊婦の内実際に無痛ができた人は60〜70%くらいだそうで。無痛ガチャ微妙……!
なので臨月に入り週末が来る度「今産まれたらあかんで……」と真剣に祈っておりました。毎日お散歩で通る神社でも無痛できますようにとお願いしてた。
そんなに無痛がいいなら24時間のところに行けばいいと思いますよね。しかし我が家の近くだとなかなかないのです。ちょっと足を伸ばして東京に行けばもっとあったと思うんですが、何しろ時はコロナ禍。毎回検診の度に抵抗力の下がった体で東京に向かうのはやっぱり少し不安で、選択肢の順位は下がってしまいました。
産婦人科のコロナ禍の状況下では、まず通院は原則患者一人。特別な場合を除いて付添はNGです。
クリニックに入ると入り口付近に消毒液とサーモグラフィーがあり、平熱以上だと音が鳴る仕様。予定日が近くなるとPCR検査を無料で受けられました。
そして出産のための入院も、産婦以外は病棟の入り口から中には入れません。立ち会い出産はもちろんナシ。差し入れも入り口でスタッフに渡すのみという徹底ぶりで、退院まで他の家族に赤子に会わせることはできませんでした。
多分クリニックによっては条件付きで立ち会いもできるのではないかな? と思いますが、状況や地域によって結構違うのかなと思います。
あと出産の真っ最中もマスクをつけるのは基本ですが、息苦しかったら外してもいいよと言われました。私はマスクがあってもなくてもあんまり変わらない感じでしたけども。
産院によってルールは様々だと思いますが、私のお世話になったクリニックは大体こんな感じ。どこも状況によって変わってしまうとは思いますが、これからお産の方はその辺りをバースプランと照らし合わせて産院選びしてもいいかもしれません。そんなこと考えずに済む世界が早く来て欲しいですけども!
【妊娠後の変化】
そして妊娠前後の変化。私はマタニティブルーなどのメンタル的な変動はありませんでした。そもそもPMSも皆無のホルモンバランスの変化の影響が多分あまりないタイプ。
つわりは吐くほどではないけど何か気持ち悪い……というのが空腹時に来ました。つまり食べづわりの部類だったと思います。炭酸水飲みまくってました。
しかしアレです。体が。当然ですがだいぶ変わります。
まず色素沈着すごい。時間と金をかけて治療してきた肝斑が華麗に復活(号泣)。脇もドス黒くなり乳首は漆黒。腹の正中線はあなたの中心はここよと言わんばかりに鮮やかに浮かび上がり、そしてなぜか腹毛がフサフサに。その程度の毛で何を守ろうというのか。
そうそう、ある日突然尻と太股が爆発的にサイズアップしたのを感じ驚愕しました。本当にいきなりボンッと増えた。が、個人的に乳はそんなに成長しなかった。そこはもっと頼むよ!!
お腹が膨れてきた頃にはなんというか、時代を問わず妊婦はこの形になるのだなという、時を経ても変わらぬ原始的な女の姿をそこに見ました。
逞しさ……。
体重は最終的に妊娠前から+15kg^^
何しろ飲酒できなくなったので代わりに甘いものを欲するようになりました。アラブの国々で髭面のおじさまたちが激甘スイーツを愛する気持ちがわかってしまった。
【お産】
そしていよいよ臨月。私は計画無痛分娩を希望していたので、生産期(37週)に入ってから体の状態によってはすぐ計画分娩できる予定でした。
ただ、最初から子宮口は柔らかかったんですが、赤子が降りてきていない。赤子が降りてこないと計画分娩はできないので、先生に「今週はまだだね」「先週と同じだね」と言われつつ、予定日の前の週を迎えてしまいました。
毎日歩いたりスクワットしたり降りろ〜降りろ〜と念じていたのですがその甲斐なく。とにかく妊娠後期に入るとお腹が重くて足腰への影響も甚大。就寝時寝返りを打つ度に痛くて呻き声を上げる始末。
このままあんまりお腹の中で大きくなって難産になるのも嫌だなあと、「今回もまだだね」と言われた39週目の検診日の夜、普段滅多にしないんですが、お腹に向かって話しかけました。「いつでも産まれていいんだよ〜早く降りてきてね〜早く会いたいね〜」と。
そう、私はほぼ胎児に話しかけることがなくて、行きつけの美容院の美容師さんに「お腹の赤ちゃん普段何て呼んでるんですか?」と聞かれて「いや、何も……」と答えるしかなかった情緒のない女。
どうやら世の中では胎児ネームなるものもあるくらい皆さん腹の子に話しかけているらしく、胎教のたの字もなかった私はひたすら日々無言で仕事をしているだけで、激しい胎動があったりすると「おう、元気やな」「肋はやめて」くらいしか言いませんでした。
そんな私が真顔で腹に話しかけたその夜。胎児がやる気を出します。
その日は夜中の2時に就寝し、2時間経った頃。
何かが「ガコンッ」と骨盤の中に下がってきた感覚があって、違和感で目が覚めました。そして、ベッドから立ち上がった瞬間に何かが漏れる感覚。
あかん! とトイレに駆け込めば、明らかに破水っぽい状態で、あわあわしながらクリニックに確認し、予約していた陣痛タクシーに連絡。
降りてって言ったら本当に降りてきた! と感動しつつ突然の事態に興奮気味の私。まさか通じると思っておらず胎児の神秘を体感。え、こんな理解してくれるんならもっと普段から話しかけとくんだった(遅い)。
5時頃産院に到着しましたが、そのとき全然痛みはなく、破水による感染症を防ぐため抗生物質の点滴を投与され、とりあえず陣痛室で横になります。
少しすると何となく生理痛っぽいものを感じ始め、「これって前駆陣痛ってやつですか?」と助産師さんに聞けば、「そうだね〜初産だからこういう感じで痛みの素振りみたいのが続くかもね」と言われ納得。
初産は時間がかかるので今の時間なら先生が来る9時から無痛ができるだろうと言われてひとまず安堵し、そのまま時間が過ぎるのをひたすら待ちます。
無痛のための家族の承認が必要ということで、7時頃家族に電話。痛みは少し強くなっていたものの、生理痛の域を出ない程度で電話も普通にできました。
しかしそれから何だか痛みの感覚が妙に短い。2分もない気がする。
(本陣痛って10分間隔から5分間隔ってだんだん早まってくらしいし、やっぱりこれは前駆陣痛だよな……痛みの間隔ランダムだし……)
と思いつつ、痛みの強さそのものよりも、波状攻撃してくるのが辛い。体感的にもう休みの間隔がほぼなかった。
スマホでソフロロジーなど呼吸の仕方を検索したりするもののさほど効果なし。やはりこういうものはぶっつけ本番は難しい。無痛を熱望していたので痛みを逃す呼吸法なぞ練習しておりませんでした。
治まる気配のない波。止まらない胎児のやる気。
(早く会いたいっつったけどもうちょっと待って! そんないきなりやる気出さんでいいから! 先生来るまで待って!)
と念じるが今回は通じず、何だかいきみたいってこれかという感覚まで湧き起こり始めます。何か出したい。めっちゃ出したい。
しかしこの期に及んでも私はまだこれが本陣痛だとは思えませんでした。
痛みのレベルで言えば、思い出すのは小学校の頃に患った風邪からくる胃腸炎。逃れようのない痛みで一晩中痛いよーと呻き続け、隣に付き添う母を困らせました。
しかし決して指切断などという絶叫ものではない。ただ、思わせぶりに寄ってきては去り、すぐにまたやって来るしつこさがとてもしんどい。
一人静かに呼吸でなんとかしのいでいると助産師さんがやって来て子宮口チェック。「なんでナースコールしなかったの!」と言われては? と思っている内に分娩室に連行される。
そう、それはれっきとした本陣痛で子宮口はすでに全開でありました。
何か踏ん張るための台に乗り、いきんでいいよと言われまじで? いいの? とよくわからないままいきむ。
しかし往生際が悪くまだ無痛にしたい私氏、先生まだですかと未練がましく聞き続ける。もう赤ちゃんの髪の毛も見えてるしこの段階で無痛にするのもったいないよ、産んじゃおうと言われて悲しみながら無言で踏ん張る。
そして途中でなぜか鏡を股ぐらに設置し赤子が出てくるところを「見る? 見る?」と見せようとしてくる助産師さん。いや絶対グロいし嫌ですうううと拒否する私。え、皆見たいものなの? 一応初産で余裕ないんですけど!
見る? 嫌ですうううを確か数回繰り返し、そして予定日より4日早い2月16日、自宅での破水から約5時間後、3452gのプリプリ女児が誕生しました。
母曰く、産んだ後嘘みたいに痛みがなくなるのよ〜などということでしたが、もう分娩台に乗ってからは痛みとかではなくいきみの合図としか思ってなかったし、それより局所麻酔をしたはずの会陰切開がすでに何か痛くてスポッと産まれてからそっちの方が気になっていました。
あー本当に産まれた直後にホギャーって泣くんだ……と思いながら放心。感動の涙とか出るかと思ったけど出なかった。あまりに思いがけない早さのお産であっという間に終わってしまいました。それから分娩台に乗ったままもりもり朝食食べた。
これが私の出産でした。無痛ガチャ外れた。ー完ー
【コロナ禍のお産感想】
正直、コロナ禍で付き添いや立ち会いがなくて、私はよかったです。
陣痛のときも痛みを呼吸で逃すことに集中できたし、分娩もいきむことだけ考えられた。
普段パートナーをとても頼りにしている方は出産という特別なときに隣にいてくれないのはきっと不安だと思うけれども、私の相方はメンタルが紙なのでパニックになったりやかましく私の精神統一を邪魔するのが目に見えているので(ひどい)本当にこれは個人的な感想ですが、一人で産めてよかった。他の家族がいても多分中途半端に頼れば痛みが増してしまっていたような気がするので、私には一人で出産に挑むスタイルがとても合っていました。
それに助産師さんというプロフェッショナルに助けていただいたし、問題なくスムーズなお産ができました。まあずっと前駆陣痛だと勘違いしてたせいで耐えられた向きもあると思う……アホだったなあ……。
お産は十人十色で個人差があるとは知っていたけど、勘違いという自己暗示のせいで助産師さんたちに痛みにすごく強い人認定されてしまいました。いや、スピーディだったから無言で耐えられたけど、これが長々と続いたらさすがに屍だったと思います。私の幼馴染も無痛予定だったのがスピーディ過ぎてできなかった私と同じケースなんですが、妊娠中にやらかしたギックリ腰の方が痛くて陣痛はさほど痛くなかったと言っていたし、やはり痛みレベルというよりどれだけ続くかがお産の辛さを左右するんじゃないかなあという印象です。あの状態が一日以上続くとかちょっと想像したくない。
結果的に安産でよかったですが、でも重かろうが軽かろうが痛みはない方が絶対にいい!!
ないと思うけど万が一次があったら今度こそ無痛にします!٩( 'ω' )و
今はとにかく新生児がめちゃくちゃ可愛い〜!٩( 'ω' )و