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2.5次元舞台作品って

難しいですよね。笑

映像化とはまた違ったものが求められるというか・・・

映像化する時って出演するキャストありきの部分があるし、3次元の世界観で成立させないといけないので原作「まんま」の髪型だったりしない場合も多いですが(要素を取り入れてるとか)

舞台だと「より完ぺきに」「二次元にどこまで近づけるか」という衣装などの技術勝負の一面があると思います。

そして役者も。

映像化作品で「声が似ている」というのはあまり重要視されませんが(それより顔っ‼‼‼)

舞台では遠目に見る、そして完ぺきに近いお衣裳を身に着けていることもあるせいか「元の声と似ている」というのが役を射止める決定になったりする場合もあります。

SNSでも「声がそっくりだった」というのが誉め言葉の様に飛び交っていますが、私は古の彼方2.5次元作品に出演させていただいたときはそれを誉め言葉として受け止められませんでしたし

「アニメにより似ている」というのが「モノマネ」「トレース」の様に思えて「自分の芝居がないんじゃないか?」と葛藤しました。若かったしね。

モノマネしてたらうまいって褒められるの?

それって芝居じゃなくない?

と・・・尖ってたぁ。恥ずかしい。

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(関係ないですけどこれ地毛なんです。↑↑↑凄くないですか?私もカツラにしてほしかった・・・笑)

今ではモノマネしたからってその人になれるわけではない。

どこかしら「自分の成分」が消えずに残ってしまうもの。それが「らしさ」なのだから、安心してモノマネしていいんだよ。むしろ幅を広げる練習になるよ。と言ってあげられるのですが、当時は本気で悩んでいました。

「舞台版として私が演じる意味」とか「新しい価値を創造できるか」とか

そんなものは私が演じるだけで勝手に意味が出来て価値が創造出来るのです。

いくら声優さんのお芝居をトレースしたところで私は私にしかなれないのだから、必然的に私らしさがプラスされるのです。

当時はマイナスになると思っていましたが、プラスになるだけ。

もっと早く気づきたかったー!ね、当時の私。笑

なぜ「私らしさ」が消えないかというと、本質的な部分もあるのですがやはり舞台には「余白を埋める作業」があるからです。

映像では映っていないシーンは休んでいれば良いですが、舞台ではそうはいきません。

喋っていないけれど空間に存在していなければならない時間があるのです。

もちろん喋っていませんからアニメを見返しても、どう振舞っているかなどは出てきません。

ですので原作漫画にもアニメにも描かれていないけれ舞台上では存在している時間を、自分で構築しなければならないのです。

喋り方や立ち方、歩き方などはお手本があるから簡単なのですが、空白の部分を新しく構築していくのは難しくもあり楽しかった部分でもあります。

「〇〇と××は普段こういうやりとりをしていそう」とか

「見えている部分ではこうだけど〇〇という言葉が出てくるということは、こういう関係性があるはず」とか

推理小説のように紐解いていって、結びなおす。

この作業は舞台ならではの楽しみだなぁと思いました。

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昨今はありがたいことに私が演じたキャラクターを女優さんが演じてくださることが増えて、逆に勉強になっています。

どうしても主観の役作りになってしまうのが、舞台上のお芝居を見ることで新しい視点が追加されてより深く、より広がりを持ってキャラクターの新しい魅力に気づかせてくれるので有難いです。本当に。

舞台版 #文豪ストレイドッグス  で私が演じる谷崎ナオミ役を務めてくれた齋藤明里ちゃんのお兄様との影芝居(喋っていないけど舞台上にいなければいけない時に後ろでやってるお芝居)が尊すぎて天に召されました。

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いろんな人の愛を受けて、作品がどんどん進化していくのは作品に携わっている人間としてとても嬉しいものです。

2.5次元はもはや日本のエンタメ産業になくてはならないものなので、これからもどんどん素敵な作品を生み出していただきたいです。

楽しみに待っています(🎀 ֦ơωơ֦)💕えへへ


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