「Am I trying?」(4月4日〜10日)
4月4日(月)晴れ
今日は待ちに待った、早朝お花見デート。家の近くにある小さな桜並木を彼が内見時に見つけてくれて、「今から春が楽しみだね」と話していた。そして、あっという間に春は来た。
地方の巨大スーパーが並ぶ景色の中で、桜並木は希望のように明るい。けれど桜を見上げるだけでなく、道端のお花にも目を向け、パシャパシャとシャッターを切る彼はやっぱり素敵だ。
私たちは休日が合わないから、仕事に行く前に30分早く起きてできたお花見。束の間だったけれど、とびっきりの思い出になりそうな朝だった。
夜も、彼が数日ぶりに日をまたがずに帰ってきてくれて、ゆっくりとした時間を過ごすことができた。好きな人と笑って始まり笑って終わるだけで、こんなにもいい一日だったと思える。
4月5日(火)晴れ
この頃恋人とのすれ違いが続いたせいか、彼の好きなところを確かめるような瞬間が増えたなぁと感じる。一緒に住む前はそんなこといちいち確かめなくてもよかったのに…と戸惑っていたけれど、何も悲嘆することではないのかもしれない。
付き合い始めは、高揚しっぱなしで何もかもが楽しくて、ずっとあなたを待っていたの!といわんばかりに、喜びでいっぱいになる。けれど一緒に生きる時間を重ねるほどに、ひとりの人間を色々な角度から知ってゆく。一緒にいるために、現実的な問題もぽろぽろと出てくる(住む場所とか仕事とかお金とか)。その上で、相手の素敵なところをひとつ、またひとつと数え、一番ピュアな「好きだ」という気持ちを守ろうと努めることは、とても尊い行為だと思うのだ。
一人のときの、どこへでもいける身軽さも魅力的だけれど、今の私は、大切な人と一緒に幸せになりたいという願望を諦めたくない。
4月6日(水)晴れ
今日は一週間の中で唯一彼とゆっくり過ごせる夜だったというのに、あまりにも眠くて彼が作ってくれた鶏肉ぽん酢定食(?)を食べるや否や、ソファでぐっすりと眠ってしまった。
ソファでの居眠りって、どうしてこんなに気持ちいいのだろう。お母さんが包丁でコンコンと何かを切る音を聞きながら、リビングの中でもっともお日様の光がたまる場所でうたた寝した記憶。心から安心できる場所での、束の間の休息。そこには、長風呂をして疲れを癒したり、一人旅でリフレッシュしたりするのとは別格の安らぎがあると思う。
4月7日(木)晴れ
今夜は久しぶりに友達とわいわいお酒を飲んで、賑やかな夜。一本の道を極めた人を見ていると、20代半ば頃の記憶が蘇る(夢追い人が好きだったあの頃・・・笑)。
一度は私生活を捨てて頂点に登りつめた人こそ、いつかは心の底から安らげる場所で、夢も愛も両方掴んでほしい。多くは語らずとも力強い眼差しと質量の伴う言葉を持つ人を見て、本当に勝手ながら、そう祈ってしまった。
4月8日(金)晴れ
ストップしてしまっていたアメリカのドラマ『THIS IS US』を、Amazonプライムでもう一度見始めた(まだシーズン2…)。このドラマは、綺麗事だけを描かないから好きだ。こんなにも愛ある人たちによる家族なのに、あらゆる問題が絶え間なく起こる。いや、愛ゆえに悲しみや苛立ちは増幅するが、結局愛で乗り越えている。
父親のジャックの台詞で、好きな言葉がある。ジャックは妻のレベッカに「あなたは世界一の父親であり、夫よ」というような言葉をもらうたび、繰り返し「I'm trying.」と口にする。「I'm trying.」と、何度も。
ジャックは、そのままよき父親であり夫であるわけではない。努力しているのだ。何でも卒なくうまくやれているからではなく、過去や自身の問題と闘い続けているからこそ、ジャックはこんなにもたくましく、かっこいい。先述の火曜日の日記でも似たようなことを書いていたけれど、誰かと生きていくって、誰かを守るって、ときにがんばりが必要なのだ。
それにしても、火事に遭った後に病院で「よくこんなときに冗談が言えるわね」と言ったレベッカに対して、「大切なものは全部ここにあるからだよ」とレベッカをやさしく見つめるジャックは、ちょっと愛が溢れすぎていて、その後の展開が本当に辛かったな。
『THIS IS US』で涙した後は、大学時代からの親友と長電話。「自分の心の声を軽んじないでね」ということを繰り返し言ってくれた。良いときも悪いときも見守っていてくれた彼女の言葉は信頼できる。なんだかんだ望む生き方も思考もまったく違う私たちだけれど、ずっとお互いの幸せを応援し合える関係でありたいな。
4月9日(土)晴れ
今日は遠いところから友達(頻繁に遊びに来てくれる前職の先輩・同期のことは敬意を込めて「友達」と呼びたい)が岡山まで遊びに来てくれた。
会社を辞めようか悩んでいた社会人4年目くらいのときに、旅と恋をテーマに語り合う「恋大学」なる最高なイベントに通っていたのだけれど(笑)夜はそこで登壇していた方たちとお酒を酌み交わすことができて、ちょっぴり感慨深い夜だった。
憧れていた人たちは、まっったく偉ぶることなく、とってもいい人たちだった。特に、場がお開きになったときにTABIPPOのしみなおさんが、「俺がチャチャッとやっちゃいます!」と自らシャツの袖を捲り上げてお皿洗いをしてくれたときは、感動してしまった。どんな肩書きを持った人よりも、出会った目の前の人や場所に尽くせる大人が素敵。floatには、かっこいい大人が本当にたくさん集まるな〜。
4月10日(日)晴れ
今日は岡山が誇るドメーヌ・テッタへ行ったり、大好きな街の中華屋さんに行ったり、楽しいイベントがたくさんあったのにも関わらず、心にはうっすらと雲がかかっているような1日だった。
もちろん、大切な友達と久々に会い、笑い合う時間は楽しいに決まっている。けれど、東京を訪れたり東京から以前からの友達が来てくれるたび、過去の価値観と現在の価値観が自分の体の中でない混ぜになり、天秤がぐらぐらと揺らいで、楽しさと同時にどっと疲れ切ってしまうのだ(友達に非は全くなく、私の問題)。住む場所を変え、仕事の仕方を変え、「変わりたい」という気持ちに従順な行動をとっているつもりではあるけれど、27年間で培われた価値観や思考は、簡単にペリッと剥がれない。全部を剥がすつもりだって当然ないのだけれど、自分が信じたいものを確かめては、頭がのぼせるような疲労を感じる。
そんなとき、友達のあかしゆかちゃんが営む本屋さん「aru」で出会った、若松英輔さんの『美しいとき』という詩集に、救われるような言葉が詰まっていた(「aru」は、本や作者への愛と敬意に満ちていて、丁寧に作られているけれどドヤッ!とした感じがなく心地よい。ゆかちゃんそのもののような場所だなぁと、訪れるたびに感動してしまう)。
心に響く作品はたくさんあったけれど、本を開いて一番に飛び込んでくる『私がわたしに出会う旅』という詩を抜粋して書き留めておきたい。
尊敬する人をまねるでもなく
うらやむ人と比べるのでもなく
わたしだけが生きられる毎日を
世に刻まなくてはならない
わたしだけが見つめられる
今という瞬間を生き切らねばならない
その人がただその人としてそこにいる
なんと素晴らしく
なんと美しいことだろう
東京で踏ん張れなかった自分、今だって全然満足していない自分、これから先のことは全て不確定な自分。自分に絶望しようと思ったら、いくらでも落ち込める。自分は人に何も与えられていないんじゃないか、そう思って落ち込む夜はまだまだやってくる。
そんな自分にも、確かな毎日があると信じたくて、こうして日々の記録をつらつらと書き連ねているのかもしれない。
今日はこんな感じだけど、たっぷり寝たら明日はきっと元気!そうなるといいな。