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ありふれた人生(4月18日〜4月24日)

※ Apple Pencilが壊れて今週はおえかきできませんでした…(涙)写真は日曜日の瀬戸内海。水墨画のような静けさがあった。

4月18日(月)晴れ

もう花粉も終盤だと余裕をぶっこいていた矢先、まだまだ勢力を保っていたようで、今日は一日中くしゃみが止まらなかった(薬をやめた途端こんなだから、隙をつかれた気持ち…)。どういうわけかブルブルッと悪寒も止まらないし、鼻水がつまりすぎて頭も痛い。GW前まで溜めた宿題がたんまりだけれど、今日のところは体調を優先させて帰ることにした。こういう日もある。

4月19日(火)晴れ

コテンラジオの深井龍之介さんの初の著書『歴史思考』がおもしろすぎて、二日で読み切った。しばらく読みたい本が読めていなくて積読が溜まる一方だったから、久々の読書体験に興奮する。とても易しく、とても難しいことが描かれていた。

センシティブな内容をユーモラスに語る深井さんの思い切りの良さがイケメンで惚れ直す。覚悟と、膨大な知識量があってこそだなと。

私は昔から何となく歴史や古いものに惹かれてきたけれど、読み終えたときにはその理由がわかった気がした。自分が今生きる世界と異なる時代を知ることは、新鮮な体験に他ならない。

自分が思う「当たり前」も、広い時間軸の中で見れば、全然「当たり前」ではないことに気づくことができる。自分の一喜一憂はとっても小さい世界の中で繰り広げられているのだと知ると、悲劇も喜劇に見えてくる。あなたが思っているよりも、世界はずっと広いのよ〜ということを、自分にちょこちょこ知らせてあげたいのかもしれない。

あとは「実はあの人がいたから今こうなってる」みたいな運命思考的なストーリーがやっぱり好きなんだろうな。ロマンに支えられて生きている。

4月20日(水)晴れ

今日は彼と一緒にささっと夜ご飯を準備して、ビールがおいしい夜だった。

この頃、「ふつうの」人生に憧れる。いつか男友達に、「お前は地球に例えれば赤道みたいなやつだ(つまり、中の中の中ということ)」と言われて、それなりに落ち込んだことがあるけれど、中の中の中でいい(「でいい」と言ったけれど、すごく贅沢なことを言っている自覚はある)。

多くは望まないから、大切な人を失わないまま、大きく傷つかないまま、平々凡々な日々を送りたい。それくらい、今ある代わりのきかない幸せを失うことが怖いんだろうなぁ。幸せが続いている時ほど臆病になってしまう。それを越えて、「何があっても大丈夫」っていう覚悟は、もう少しで身に付けられそうな気もするのだけれど。

4月21日(木)雨

今日は心臓がドクドクする知らせがあり、午後から仕事が手につかなかった。自分にできることをずっと考えているけれど、まだ答えが出ていない。何かしなくちゃ、きっと後悔してしまう。

夜は、どうにかまっさらな心を取り戻したくて、彼に『耳をすませば』を観ようと提案(お願い)をした。この映画は、私にとって「好きな映画」のレベルを超えて、幼い頃に「心ときめくものとは」を教えてくれた、殿堂入りの映画である。

かれこれ15回くらいは観ていると思うのだけれど、そのときどきで心に刺さるシーンが全く違うからおもしろい。3年前くらいに見た時は、雫がムーンに「君、かわいくないね。私とそっくり。どうして変わっちゃうんだろうね。私だって前は、ずーっと素直で、優しい子だったのに。」と語りかけるシーンがえらい刺さったようだった。詳細は『わたしの原点映画、初恋の相手。』という小っ恥ずかしいタイトルのnoteに書いた。(3年前のnoteなんて、高校時代のmixiを掘り起こすくらいに恥ずかしいな…。)

今回はというと、どこにでもありそうな住宅街の街並みや、人間に向けられたまなざしのやさしさがぐっときた。平凡な風景の中に潜んだ美しさを拾い上げ、ありのままに表現できる胆力。

有名なラストシーンだって、幼い頃こそ聖司くんの「雫、大好きだ!」にキュンキュンしていたけれど、朝日に染まりゆく街の描き方があまりにも美しくて心震えた。

『耳をすませば』が遺作となった近藤喜文監督は、こんな言葉を残している。

もし、このアニメーションをみて…「あんなところがあったら行ってみたくなった」と思う人がいたなら、「それはどこかにあるのではなくてあなたのいるところ、つまり今、あなたのいる街が(村が)そうなのだ(そうだったのだ)」答えたい。

画文集の『ふとふり返ると』には、スタジオジブリのあった吉祥寺で生きる人々のふつうの営みが何とも瑞々しく描かれていて、この言葉に嘘はないのだとわかる。

『耳をすませば』を何度観ても飽きないのは、どこにでもありそうな風景と物語だからなんだろうなぁ。

4月22日(金)晴れ

久しぶりに華金とやらを外食して過ごす。いつも自宅でひっそりと一人でご飯を食べ、彼の帰りを待つ私にとって、「私もまだ外にいて、これから帰る」と連絡するのはちょっとした背徳感があって、たまにの不良(?)は随分とリフレッシュとなることを知った。

東京にいた頃(つまりコロナ前)は、連日仕事終わりに飲んで、酔って一人の家に帰っていたというのに…。金曜日の夜を一人で過ごすことなんて、本当に珍しかった。私は私で、もう少し広く岡山の人と関わりたいなという気持ちが日に日に募り始めている。

4月23日(土)曇り

今日は女3人でドライブ。牛窓まで車を走らせお茶をして、夜は岡山市内のイケてるBARでグータンヌーボみたいなおしゃべりを繰り広げた。

今まで何か行き詰まったら東京時代の友達に連絡するのが常だったけれど、今近くにいて、聞いてよ〜〜と気軽に連絡ができる関係性はかなり心強く、ありがたい。

とっても大人な考え方をする年下の子に、「焼きもちってみんな焼きますか?」と相談されてキュンとした。焼くよ、焼きまくるよ!

人間の醜い部分を否定せず、ひっくるめて受け入れられるようになったのは(まだまだだけれど)いつだっただろうか。

4月24日(日)曇り時々雨

今日は穏やかな日。美容院で髪を染め、前髪を切り、彼の職場へ。夏の、太陽を反射してきらきら光る瀬戸内海も最高だけれど、曇りで海と空の境目が白くぼやけた空もたまらなく好き。

弟のような友達が丁寧に淹れてくれたミルクブリューと、いつもおいしいものをクリエイトしてくれる女の子のお菓子を交互にいただく。やさしい味と、そこにいるだけで空気がまあるくなる人々のおかげで、随分と心和む時間を過ごさせてもらった。私は“穏やかな人”にちょっと慣れすぎているのかも?と不安になるほど、ここは居心地がいい。

夜は、がんばって一人の時間を過ごした。欲望を優先すると、もちろん友達と賑やかに過ごしたいのだけれど、欲望と本当に自分にとって必要なものはちがう。一人で立ち止まり一息つく時間が、心身をすこやかに保つために欠かせないものだとようやく分かってきたので、一週間が始まる前の夜の時間は、がんばって一人になる。それがきっと明日の私を幸せにしてくれる。

来週で、恋人と付き合って1年を迎える。とびっきり愉しい1週間になりますように!

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