“思い出のあるもの”を増やしたい(1月31日~2月6日)
1月31日(月)晴れ
ディノス家具で買った、でーんと横に長い本棚。そのままでもかわいらしかったけれど少しのっぺりしていたので、もっと渋い色味になるように自分たちで塗装した(9割は彼、私は板3枚)。結果、いい具合に味が出て一層愛着の湧く本棚ができた。本棚は重要だから、長く使いたいものを招き入れることができてうれしい。
新しい本棚を、愛しい本たちで埋めていく。本をあるべき場所に整える時間が好きだ。自分の一部とも思えてしまうような小説が並ぶ段は、光って見える。雑誌は、ページひとつひとつが単なる情報ではないことを教えてくれる(大学生のときだいすきだったマガハ勢、『anan』『POPEYE』など)。その時代が映し出された作品のようなもので、ふと見返したくなるときがあるから捨てられない。
本棚の半分は私の本、もう半分は彼の本。出会う前の彼と会うことはできないけれど、昔の彼がどんなことに興味をそそられていたのか、少しだけ知ることができて楽しい。(『冒険図鑑』『遊び図鑑』を読んだ少年はこんな大人になるんだなと思った)。
2月1日(火)曇り
この頃は仕事が片付かないまま毎日が過ぎ去っていく。「やった方がいいこと」は際限なく、目の前にずらっと並んでいる。山積みになっているのではなく、「並んでいる」という感覚だからよい。仕事に「追われている」のではなく、あれもこれもやったらもっとよくなるに違いないからやりたい、と自分の意思で望んでいる。なんてヘルシーに仕事ができているんだろうと思う。
2月2日(水)晴れ
今日は帰宅するやいなや、彼が作ってくれた“おうちのカレー”を食べることができて幸せだった。こんなにおいしくてご飯も野菜ももりもり食べられて、洗い物も少なく、明日も明後日も楽しむことができる。考えてみれば、肉じゃがだってそう。「家庭の味」になるのには、お母さんを助けるそれなりの理由があるんだね、なんてことを話しながら食べた。
夜は好きな映画トップ10に入る『プラダを着た悪魔』を観た。観るたび、きらびやかなファッションの世界にときめいて、ドキドキワクワクが止まらないっっ・・・はずだった。確かに、おしゃれなファッションに身を包む美女たちは最高に素敵だったけれど(ミランダがすっぴんを見せるシーン、こんなに美しかったっけと思った)、何よりも色濃く残った感想は「前時代的な作品だな」というものだった。
それもそのはず。この作品が作られたのは、小説が2003年、映画が2006年と、パリコレで痩せすぎたモデルが問題になったり、アパレル業界の大量廃棄が問題になったりするずっとずっと前のこと。エスディージーズなんて言葉すら生まれていなかった。痩せすぎていること、服が大量に作られては捨てられていくこと、部下をこき使うこと(?)が善とされなくなった現代に、今までは全くと言っていいほど「無」だった違和感に、何度も気づかされてしまった。
この作品のメッセージは、ざっくりと言えば「目の前の仕事に全力で立ち向かえば道は開ける」ということだと思うし、かわいい!がギュッと詰まっていて大好きな映画であることに変わりはない。けれど、生きるにつれて、社会が変わるにつれて、大切な映画との関係性すら変わってしまう。時代の変化によって、私はいとも簡単に変わってしまうのだと少しの恐怖を覚えた。
2月3日(木)晴れ
自分がいくら誠実を心がけて日々仕事をしていたとしても、もっともっと社会的意義の高い仕事をしている人は山ほどいる。そんな事実を思い知るたび、つい落ち込んでしまう。同年代で活躍している人を見ると、一体私は人生のどこでサボっていたんだろうと過去を振り返り、するとサボってばかりだったような気もしてくるから、どうしようもない。こういうとき、『プラダを着た悪魔』の教えを思い出す。遠回りはあっても、無駄なことはない・・!
2月4日(金)快晴
今日は大切な仕事をひとつ終えた。「大切にしたい」と思える出会いばかりでうれしい。
今の仕事に就いてから、「働く素敵なお母さん」との出会いに恵まれている。出会う人というのは、その時の欲望を映し出している気がする。暮らしをお茶目に愉しんでいること、自然の変化に敏感であること、ユーモアを欠かさないこと、自分にしかできない仕事をしていること・・・29歳の私は、そんな女性になりたくて、また会いたがっているのだと思う。
尊敬する歳上の女性たちは、希望でしかない。彼女たちの姿から、言葉から、作り出すものから。きっと数え切れないほどの勇気をもらっている。
2月5日(土)晴れ時々風花
今日は一日中動き回り、凄まじく充実した24時間だった。先週も遊んだ姉御のような友達と、朝っぱらからパン屋やら雑貨屋やら花屋やらを8軒ハシゴした。アートスペース油亀の「珈琲のための器展」が想像以上に心躍る体験だった。
迷いに迷い購入したのは、夏草さんのちいさいマグカップと田川亞希さんの哲学マグ。夏草さんのマグカップは、肌触りが赤ちゃんの肌みたいにすべすべでずっと触っていたい。口あたりがなめらかで、やさしい飲み心地。単純だと笑ってくれていいけれど、夏草さんのマグカップで飲む珈琲は本当にいつもよりおいしく感じられる。「珈琲のための器展」という名の展覧会で販売されていること納得、いや感謝した。
田川亞希さんの哲学マグは、もうネーミングから好き。かわいいベートーヴェンと、いいことを言うニーチェおじさんと迷ったけれど、一目惚れしたベートーヴェンに決めた。明日、ベト7を聴きながら飲むのが楽しみ。昔からマグカップは好きだったけれど、最近は見た目の美しさと、美味しく食べるための機能性が備えられた器全般に興味がある。
“思い出のある物“を増やしていきたいなと思う。洗練されているとか、本物だとかはあまり重要ではなく、ふと目に入ったときにあったかい気持ちになれるもの。
お母さんが「置くと頭が良くなるらしいよ」と博物館のお土産として買ってきてくれた馬の焼き物、イタリアの路面店で親友と買った置き時計、彼が休みの日に塗装してくれたディノス家具に見えない本棚、風花(晴天の日に雪がちらちらと舞うことを「かざはな」というらしい)の日に目が合ってしまったベートーヴェンのマグカップ、などなど。そんな愉快な記憶と一緒に暮らせたらいいなと思う。
夜は意志薄弱、今夜は一人で仕事をするぞと決め込んでいたのに、LINEで送られてきた動画に映る友達の顔を見たら会いたくなって、鍋を囲んで星空サウナをした。やっぱり土曜日の夜はお腹を抱えて笑うためにある。
2月6日(日)快晴
今朝は昨日買ったCOFFEE COUNTYさんの豆で彼がコーヒーを淹れてくれて、いい朝だった。北長瀬にあるTERUOのパンが美味しすぎる。
彼を送り出した後は、念願の「ベト7を聴きながらベトヴェンマグで飲む」をやった。これはもう、自宅が時の回廊だった。ベトヴェンマグの裏には“Music is the mediator between, the spiritual and the sensual life”と描かれている。「音楽とは精神と感覚を仲介するものである」というベートーヴェンの言葉を噛みしめながら飲むコーヒーは、味わい深くてなんだか不思議な飲み物のような気さえした。
昨日思いっきり遊び呆けたおかげで、今日はだいぶ仕事が捗った(仕事か、家事か、散歩しかしていなかった)。前職の恩師から教わった「土日のどちらかは必ず休め」という教えは正しい。夜くらいは、ビールと明太子でやっちゃおうと思います。
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