先輩、サラリーマンはオワコンでしょうか。〈5〉~完~
第四章 ハルの場合
【ワナビー願望は35歳でようやく捨てられた】
取材にも拘らず、私は渋谷の行きつけの居酒屋を予約した。渋谷でビールを飲みながら。ハルさんには、このシチュエーションでしか聞けない話がある気がしてならなかったのだ。仕事がきっかけで知り合い、私のちょうど10歳上の先輩。彼は三度の転職を経て、現在は映画会社で働く傍ら、自身も映画の脚本を書いたりしている。
「色々な流れがあって今は映画会社で宣伝をやって、20歳の俺が今の俺を見たら、きっと小躍りして喜んでくれると思う。」堂々とそう言い切れるとはかっこいい!けれど、今日はその『色々な流れ』を知りたくて会いに来たのだ。
最初は出版の流通関連の仕事をしていて、優秀に『見せる』ことにとかく長けていたという。けれど「自分に与えられたミッションが無理ゲーだと思った」のと、「他社の年収の高さを知ったらばかばかしくなった」という理由で、3年で辞めた。
実力主義の世界を求めた彼はベンチャーのPR会社へと転職する。「ブラック企業なんてものじゃなかったから、大概のひどいことはやり過ごせるようになったかな」と笑いながら話すが、目が少し笑っていない。今から聞く話が、ちょっと怖い。
どれほど凄惨な環境だったかというと、深夜0時に社長から焼肉屋に招集がかかり、社長が先輩に説教を垂れながら眼鏡を鉄板にぶちまけるわ携帯を折ってビールの中に突っ込むわ、という夜なんかが日常茶飯事だった。
そんな状況においても、天性の立ち振る舞いのよさを持っていた彼は、怒られない程度の成績をキープし、イカれた社長の理詰めもうまくかわしていた。しかしさすがのハルさんにも限界が来る。ストレスで肺に穴が開き3週間入院してしまう。
「復帰したら、急に社長の態度が変わった。『こいつポンコツだからさ』って扱いになったんだよね」と淡々と語る。ハルさんは過去にどれほどの苦渋を飲まさせられて、今笑いながらビールを飲んでいるのだろう。
そんな漆黒ブラック闇企業の後は、仕事のご縁で知り合った大阪のPR会社の社長が東京に事務所を開くというので、一人、東京事務所を守ることに。これで晴れて彼も自由の身になれたのだろうと思った。しかし次に彼を苦しめたのは、他ならない彼自身だった。
「そこから今の映画会社に至るまでの道のりが結構長くて…」と意味ありげな表情で語り始める彼に対し、私は耳をそばだてる。
「30歳手前で、4年くらい付き合った彼女と別れた。どうして別れたかというと、今考えると本当に恥ずかしいんだけど、『ワナビー願望』が半端なかったんだよね(笑)何者かにならねばならぬ、というかなるはずなのになぜ未だなれていないのだ?原因はどこにあるのか?と悶々と考えた。その結論が、彼女と土日にだらだらしているからダメなのだ!っていう。クズでしょ?」「あーーーハルさんもそちらの人種の人間ですか…」と落胆の声が思わず漏れ出てしまった。
彼は恐らくすごいクズだった。けれどもう10歳若かったら、私の偏ったストライクゾーンにヒットしていたに違いない、、と冷や汗が出た。私は物心ついた時から、満足することを知らず、秘めたる理想へと邁進する男に出会っては、恋に落ちてきた。
※「出会っては、恋に落ちてきた」と言っても、”秘めたる理想”というところがポイントで、そういった潜在欲求は長い時間を共にしないと見えてこない。つまり私は恋に落ちるまで少なくとも1~2年はかかる超非効率ラブマシーンなのだ。(この注釈、不要・・・?!)
「雑にまとめると承認欲求の塊だった」という彼は、認めてくれるものを求めて映画の脚本を書き始め、3年間とあるコンクールに応募し続ける。昼は一人きりで仕事をし、夜は脚本を書き、誰にも認められないという生活。
「結構気が狂いそうになった、というか簡単に言うと鬱になった。気づいた時には胃の中がビロビロ。胃炎だった。『ストレス溜めないようにしてください』って医者は言うんだけど、ストレスは無限に溜まる。」
心より先に、体が壊れるのか。誰かに相談できたり、人前で泣ける人はある意味強い。一人で溜め込んで、一人でしか泣くことのできない人が一番心配なのだ。
「家に帰ってひたすら寝るっていう日々を繰り返していたら、ある日全く動けなくなった。俺は何のために生きてるんだろうって思いながらずっと天井を見ていたら、遠くの小学校の方から子供の遊び声とかが聞こえてきて。俺にもあんな幸せな時代があったのに、どこに消えてしまったんだろうって涙が出てきて。」
それでも、ハルさんの中にある微かな灯は消えていなかった。「寝込んで3日目の朝、もう1日このベッドにいたら死んじゃうかもって本気で思って、朝6時に無理やり起きてひげ剃って、転職するためにリクルートスーツを買いに行った。」そして映画会社10社ほどに職務経歴書を送って決まったのが今の会社だ。「その頃はもう、社会に戻って元通り働けるかしら?とさえ思ってた。」今までずっと器用に生きてきた人も、ここまで自信を無くすことがある。
「映画会社も、34歳で入ったのがよかった。社会の仕組みもある程度理解してたし、俺自身がボロボロになってたから(笑)新卒で映画会社入ったら幻滅してすぐに辞めてただろうね。だから、俺の人生のタイミングとしてはよかった。」『俺の人生のタイミングとしてはよかった』この言葉は、胸の中で何度も反響した。
「最近、『剪定』って言葉が気に入ってる。」木は放っておくと余計な枝が出てきて、必要な養分が逸れてしまう。大きな幹を育てるために、不要な枝は切ってあげるという考え方。「やりたいことというよりも、やるべきことが見えた。」いつの日か、私もそう言えるものを自分で見つけたい。誰もがそうした使命を持って生まれたはずだけれど、自覚できた人は幸せだ。
若き日のハルさんのような『ワナビー願望』を捨てられない男に私が憧れてしまうのは、本当は私自身が挑戦者であり続けたいのに、いつからか石橋を叩きまくって、結果、『渡らない』を選ぶようになってしまったからなのかもしれない。
あぁ、恋愛に学ぶことはあまりにも多い。
***おわりに***
今回、「納得した生き方をしている人」の話が聞きたくて、4人の先輩に会いに行った。彼らが今「これがオレの人生だからさ」(そんなセンパイ風を吹かせた言い方は誰もしていないけれど…)なんて割り切れているのは、導かれた答えがどんなものだろうと、悩んで、悩んで、何かしらの覚悟を決めたからだろう。はじめる、つづける。どっちを選んだってリスクはつきものである。
「そっちの道は危険だよ」と教えてくれるナビも役立つかもしれない。けれど「間違った」という気づきさえも、一度腹を括った当の本人だけが得られる、他人に盗みようのない財産だ。
理想を追い続けるということは、裏を返せば強欲で、足るを知らない身の程知らずとも言えるだろう。けれど、儚い命を悔いなく生き切ろうともがき、その人なりの最適解を見出すところに、私は人生の美しさを感じる。
ちなみに余談だが(本当は5人目としてインタビューをしたかったけれど、羞恥心が勝ってやめた)、私の4つ上の兄は向上心というものがまるでない。口からそんな単語を聞いたこともない。けれど私は兄のことを心から尊敬している。仕事よりも何よりも家族が大事で、それは何を差し置いても優先するもの。海外よりもどこよりも自分の家が一番、とわかりきっているからだ。それもひとつの覚悟であり、そんな一大決心を26歳で決めた兄には、一生頭が上がらないだろうと思っている。
10年後、あなたはどんな大人でありたいですか?
私はどこで何をしているか全くわからない。今と変わらず女友達とタラればやってるかもしれないし(それは断固阻止!したい!!)、大好きな東京の下町で家庭を築いているかもしれない。
いずれにせよ、悩める25歳の若者に対して「25歳、悩む時期だよねぇ。でもとことん悩んで、気が済むまでやってごらん!」と心からの笑顔で背中を押せるおばさんでありたい、そんなことを思う25の秋なのでした。
おわり。
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