夏が切ないのは「ひと夏」だから。
しぶとく居座った梅雨もクライマックスを迎えつつある。
高い気温と高い湿度。
まるでアマゾンの熱帯雨林みたいな(行ったことないけれど・・・)じめっとした空気が腕に貼りついて、もうそろそろ夏がくるのねと知る。
サンサン煌めく太陽の下で、溶けかけたアイスクリームを掬うように食べる昼下がりも楽しいけれど、夜、月の下でモワッとした風を感じて「あっ今、ちょっと夏のにおいがしたね」なんて言ってケラケラはしゃぐ夏の夜が待ち遠しくて仕方がない。
ミスチルの「君がいた夏」、indigo la Endの「夏夜のマジック」、GARNET CROWの「夏の幻」、サザンの「真夏の果実」、スガシカオの「真夏の夜のユメ」・・・
わたしの脳内プレイリストを漁っただけでも、「夏」をテーマにした名曲はごろごろ出てくる。そしてどういうわけかそれらは、決まって狂おしいほどに切ない。
だってだいたいそれらが歌うものは「一瞬」であり、「過ぎ去ってしまった」ものであり、「幻」だから。
「夏」という季節が音楽を、物語を、切なくさせるのだろうか。
考えてみれば、「ひと夏」や「ひと冬」とは言うけれど、「ひと春」「ひと秋」とは言わない。
「ひと夏」とググると「ひと夏の恋」とやらがヒットして、その意味するところは、
夏に始まった、または夏に始まり夏のうちに終わるような儚い恋愛を意味する語。創作物などで頻繁に使われる表現である。
だという。
そう、夏がエモエモたる所以はきっと「儚い」からなのだ。 だからこそ、「創作物で頻繁に使われる表現」にもなり得た。
儚いものは切ない。いつボトッと落っこちてもおかしくない線香花火を見つめながら、心臓がきゅーっとなるのは、それが刹那の命だから。(「切ない」って「刹那い」から来てるんじゃないの?とさえ思ってしまう・・・。)
そんな夏の刹那性に敏感なのは、もしかしたら日本人だからこそなのかもしれない。
草木が芽吹き虫たちが蠢き始める「春」、くりいもかぼちゃが実り美味しい「秋」も、それはそれで柔らかな風から幸せを噛みしめられる。
そんな春と秋のやさしい世界を知っているからこそ、あっという前に過ぎ去ってしまう夏と冬に、日本人は「ひと」と付けた。
「ひと夏の」と言って、なんでもロマンスがありあまってしまう夏が私はどうしようもなく好きです。
たった温度や湿度が変わるだけで、こうも目の前の世界の色を変えてくれるから、月並みだけれど、四季がある日本に生まれてしあわせだと思う。
どうせすぐに「暑すぎる!!」と嘆くのは目に見えているけれど、早く来い来い夏の夜、と願わずにはいられません。今年も今年とて、花火を下から見る相手を探しています。
皆さんがすきな季節はいつですか?
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