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別にいなくたって生きていけるけど。
大なり小なり星屑みたいにたくさんの夢が散らばる街、東京を離れて、2週間が経とうとしている。
「一人旅をしていたら、瀬戸内海に呼ばれた気がして…」
そんなスピリチュアルな説明で、あたたかく送り出してくれた家族、友達、職場の人たちはなんてわたしのことをよく理解してくれているのだろう、と静かな愛を感じてうれしく思う。
28才の誕生日を迎えて、岡山県倉敷市に移住をした。
秋田生まれ、千葉育ち。どんどん南下している。降り積もる雪は美しけれど、あったかい場所がすきだ。
岡山県はもともと縁もゆかりもない。けれど今ここにいるということは、縁もゆかりもあった土地ということになる。
この街には、ルミネもマルイも、カフェマメヒコも、ホッピー通りもない。浅草寺も隅田川もニュー新橋ビルも、ヒューマントラストシネマもT-SITE代官山もない。
「なんでも揃う」といわれたイオンモールには、生活必需品は全てあれど、どれも心掴まれすぎてひとつに絞れない文房具屋さんや、友達のプレゼントを選んでいたら自分の分も買ってしまいました、みたいな雑貨屋さんはない。
なんといってもこの街には、当たり前のように日々会っていた、自分の人生に「不可欠」だと思っていた人たちがいない。
ある日を境に、パタリと会わなくなる。その人と巡り会わなかったかもしれない人生が、容易に想像できてしまう。
それでもそんなことお構いなしに、時間は、人生は、刻々と進んでいく。
母がしんだときも、父がしんだときも、変わりなく次の日はやってきた。
大地震があっても、世界中にウイルスが蔓延しても、朝日は昇る。
それは、遠くに住むあの人も、あの人も、あの人も、同様だ。
職場からの帰り道、街灯がひとつとない真っ暗な畦道を自転車で駆け抜けていると、とたんに寂しくなる。冷たいって、寒いって、寂しい。
あれだけ一緒に笑いあった彼らにだって、わたしが存在しないバージョンの人生は平気でありえて、わたしは今こんなにも寂しいのに、あなたの生活にはなんの支障もないんでしょうね、とじめじめ思ってしまう。まったくもって「晴れの国岡山」に馴染めていない女である。ぜんぶ向こうっかわからくるつめたい風のせいだ。
*
大事な人がいてもいなくても、否応なく時間は、人生は進んでいく。
それは紛れもない事実で、こんなにも寂しく、切ない。
そしてそれはまた、大きな、大きな希望でもある。
「一生会えない」のではなく、「また会える日を楽しみにしているね」の「会えない」なら尚更だ。
SNSで転職と移住することについて投稿したところ、大学時代にお世話になったオーボエの先生が、何度でも思い出したいようなうれしい言葉を贈ってくれた。
指導に行ってた頃は、たくさんの人が集まってくるだろう笑顔が素敵で印象的だったイメージでしたが、その通りたくさんの仲間と素晴らしい時間を過ごしてきたのが、お顔に表れて素敵な写真ですね。
「素晴らしい時間を過ごしてきたのが、お顔に表れて」というのは、なんてうれしい言葉なんだろう。そうなんです、たくさんの仲間と出会って、素晴らしい時間を過ごしてきたんです。そしてそれは、先生のおかげでもあるんです…。こんなとびっきりの言葉を、わたしは人に贈れない。
東京で暮らす大好きな人達と再会するとき、お互いが「いい時間を過ごしたんだね」、そんな風に思えたら、どんなにすてきだろう。
*
この街には、ルミネもマルイも、カフェマメヒコも、ホッピー通りもない。
けれど、少し自転車を漕げば、12色のペンでは表現できないような山々が目に飛び込んで、田んぼが、畑があって、白壁と瓦屋根の蔵が立ち並んで、「あゝんすきっっ…!」と心満たされる風景に囲まれる。
そして、好きになりかけている、いやすでに好きな人が、少しずつ、少しずつ、増えていく。
できたらなぁと思っていたことが芽を出そうとしている。水やりを気をつけねば、と期待と不安が入り交じる。
日々、ココ!と思っていた部分の知的好奇心が生まれては埋めていく、を繰り返す。
「深める」時間になるんだろうな、と思う。
「なんとなく」と言いながら、頑固に自分自身の直感を信じたら着いてた場所だから。岡山を、倉敷を、今の仕事を、もっと知りたい。
わたしが「美しい」「おもしろい」「価値がある」「知りたい」「素敵だ」「かっこいい」そんな風に感じることを、深海魚みたいにひたすらに深めていく、そんな時間でいい気がしている。
*
「その人と巡り会わなかったかもしれない人生」がいくらリアリティをもって想像できたとしても、わたしはすでに出会ってしまった。そのラッキーな事実は、覆しようがない。
会いたいけど、会わない時間。それはわたしにとって、また会ったときに惚れ直すためにあるものだ。
これからの時間が、今までの幸運をもっと鮮やかに彩れますように。
そんなふうに祈りながら、また会える日を楽しみにしています。
*おまけ*
先週末、はじめての週末、アリオ倉敷からの帰り道の西日がとてもきれいだった。
東京でも見れそうな線路沿いの風景、岡山でも同じような風景、それを同じように美しいと感じる人がいることが、すごくうれしかった。
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週1noteにまたまた参加しています。
「こういう仕組みがないと書かないでしょ!」と言ってくれた姉さんの言葉はただしかった。ははは
部員(?)のnoteはここから読めます!わたしは毎週土曜日に書きます。
みなさんよい週末を~~~!