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のんびりは、ときどきで(5月30日〜6月5日)

5月30日(月)晴れ時々雨

3日間の森、道、市場を終え、打ち上げのため京都へ。私たちの寄、道、市場はじまる。体力はすでに限界突破していたけれど、社長が予約してくれたエアビーの一軒家で10時間睡眠し、起きた時には疲労感・腰痛・足のむくみ・吐き気・・・あらゆるものが治癒してしまっていた。社員の慰労までスケジューリングされているなんて、、さすが社長である。

オープン10分前から半日ほど滞在した新風館は(京都観光というより、もはや新風館観光)、“京都の”ショッピングモールという感じがして、心が弾む。テラス席でみんなで爆笑しながら飲んだクラフトビール、この上なく美味しかった。太陽の下で飲むビールの美味しさって何なんでしょう。

京都はただ歩いているだけで楽しい。目的なしに、散歩したいくらい。蓄積された日本文化を感じて、ちょっとした海外旅行に来たような高揚感さえある。元々大好きだったけれど(中学生の時は「住所に四条烏丸って書きたい」などというふざけた願望があったし、社会人一年目は仕事で毎月京都に行かせてもらっていた)、これから何度でも訪れたい街のひとつになった。

岡山への帰り道、会話の流れでつい恋人に突っ込んだ質問をしてしまって後悔。知りたいのに知りたくない・・・この気持ち、まさしく恋である。知らなくていいことはたくさんあるのに、私は咄嗟に「知りたい」という欲望を優先させてしまう。その結果、私は彼のほんの数パーセントしか知らないような気がして、心臓をぐりっとえぐられる。不意に傷ついてしまうことは避けられないけれど、自ら進んで傷つきに行くようなことはやめよう。人と付き合うってことは、自分の未熟さと向き合い続けることだな〜〜。

金曜日から、色とりどりの感情を味わった週末だった。けれど、社長が帰りの車で「みんなで思い出を共有できたのが何よりだよね」とぽろっと言って、その通りだ、と思う。食べて笑って恋をして・・・ジュリアロバーツ主演の映画タイトルみたいだけれど、私はこれからもこの人たちと笑った記憶をためていきたい。

5月31日(火)晴れ

いつぞやかの日記で「最近は日常に戻る時の感覚がスキっっ」というようなことを書いたけれど、いやはや、今日はさすがにしんどかった。今日ばかりは、商品特長をまとめるよりも、クラムチャウダーがこびりついた鍋を洗いたかった。

6月1日(水)晴れ

今日はやっと恋人とのんびり過ごせる!と思っていたら、恋人が急遽弟分に食事に誘われ、夜不在だと言う。週に少ない一緒にご飯を食べられる夜が目の前から消えて、想像以上にがっかりする。それほど彼と食卓を囲む時間は、1週間を乗り切るために欠かせない時間なのだと思い知らされる。

でも、落ち込んでもいられない。彼は彼で楽しい夜を過ごす分、私は私で溜まった仕事をやっつけようと気持ちを立て直す。珍しく遅くまで残業をしていると、かつては東京で血を吐きながら働いてた先輩から、今の私のモヤモヤの正体を突かれるような言葉をかけられた。

私は、あまりにも環境に流されやすい。おだやかな土地の、なごやかな会社で働いて、のんびりとした性格に磨きがかかっている。毎日なんとなく平和で流れて、ストレスを感じることも少ないけれど、生活にハリがない。緩急がない。ヒリヒリとした緊張感を持つ体験を、随分としていない。

「楽しく働く」はモットーの一つだけれど、「楽しく」の正体は、ぬるく甘ったるいものではないはずだ。苦しみは、自分で課したい。自律、しないとだ。

6月2日(木)晴れ

親友から送られてきた結婚式の自作ムービーがシュールで笑えて、お昼休憩に繰り返し見た。「結婚」というより、「大事なものを決めた」人が眩しく見える。

これまで私は、「どっちも選べる状況」が善だと思っていた。何でもその時々の気分で決めたいという性格もあるだろう。
その時の感覚で「やっぱちがった」のに、「こうするしかない」となるのが嫌なのだ(卑近な例で言えば、今日は飲みたい気分だったのに車で来ちゃったから飲めない!みたいなこと。電車で行って、どっちに転がってもOKな状況を作っておきたい)。

だけど、この頃「選択肢を手放したい」という感情が沸々と湧き出ている。先週の日記に書いた「どこへでも行ける軽やかさも持っておきたい」ということと矛盾しているようだけれど、私は今の生活を守りたい自分と、別になくなっても大丈夫だと予防線を張る自分とを行き来している。大切なものを天秤にかけて考え続けるのは、すごく疲れる。

だから私はもう、自分の心の中だけでも、いろんなことを決めちゃいたい。「変えられないこと」を設定した上で、そこからのルートを探りたい。そうした気持ちの変化は、“自分にとっての本当の豊かさ”のようなものが徐々に明確になってきた証だとも思う。

夜は、夕方に起きた恋人とイタリアンへ。彼と私では、私生活に対する重みがまるで違うように思えて、おいしいピザを食べながらも伝えてしまう。仕事を応援したい気持ちとエゴがぶつかっています。

6月3日(金)晴れ

今日は仕事をやりきった!という感覚で終われた。この頃の私に足りなかったのはこれだ、と確信する。緩急がないから、毎日がだらだらと地続きのように感じられる。

私の生活が霞めば、対照的に彼の生活は眩しさを増す(実態は変わっていなくても)。自分だけの一日を、これでよし!と思えずして、誰かと一緒にいることなんてできないようなぁと、これまで何度も学んできたようなことを改めて思う。

今日は情報をシャットダウンしたい気分だったので、お風呂に携帯も本も持ち込まず、疲れ切った体を沈めたら、自然と呼吸が深くなった。聞こえてくるのは、換気扇と外の虫の音だけ。固くなった心が解きほぐされて、フラットな気持ちに戻る。大切なものを大切にしよう、と初心に帰る。

6月4日(土)晴れ

今日は1ヶ月ぶりの美容院。容姿を整えてもらい、積読に手をつけられる美容院って、髪の毛と同じくらい心がつやつやになる。美容院、お風呂、お香を炊いたベッドが、私にとっての暫定“整い場”トップ3である。

美容院の後はお買い物して友達に会いに行って…と思っていたけれど、ノロノロしていたら結局何もできなかった。

生理2日目は、兎にも角にも睡魔がひどくて動くスピードも頭の回転も0.5倍速くらいになってしまう。凄まじく生産性の低い1日を過ごしたけれど、ここ最近週末は動き回っていたから、これは必要な休息っ。

6月5日(日)曇りのち雨

今日ものんびりと起きて、岡山市内のセレクトショップ『theater』とすぐ近くの喫茶店『ダンケ』へ。『theater』にはMOONSTARの810sを探しに行ったけれど、私のサイズが置いていなくて、お姉さんが他のセレクトショップの在庫状況まで探してくれた。置いてある洋服はどれもツボだったけれど、この頃旅行で出費がかさんでいるので、一目惚れしたハンカチだけ買って帰る。

『ダンケ』ではホットココアを頼んだところ、店主(なのかな)のおばあちゃんに「砂糖は入れていないからお好みでね」と言われ、間違えてお塩を入れてしまった。打ち消そうと慌てて砂糖も入れてみたが、まずい、まずすぎる。我慢して飲み干そうと思ったけれど、これはきびしい。だからと言って、おばあちゃんが丁寧に作ってくれたココアを残すことなんてできない・・・。正直に、「間違えて塩を入れてしまったから、もう一つ頼んでいいですか」と聞くと、あはは!と微笑みながら「作り直すからちょっと待っててね」とすぐに新しいココアを持ってきてくれた。

こうした名前も知らない人たちから、私はどれほどのやさしさを受け取っているんだろう。「世界は素敵なもの」と思わせてくれるものに、ディズニーもジブリも大貢献しているけれど、本当は街のそこら中で渡されるやさしさやユーモアに支えられている気がする。

『ダンケ』のおばあちゃんの声に耳を澄ませていると、「うれしい」と「ありがとう」の言葉がたくさん聞こえる。さすが、『ダンケ(ありがとう)』のおばあちゃん。どんなに慣れ親しんだ人にも、うれしい気持ちを伝えること、「こちらこそ、いつもありがとう」と当たり前に思えてしまうことにお礼をすること。そうしたら、こんなにかわいいおばあちゃんでいられるのかな。たった喫茶店ひとつで、その街に惚れる理由になるよな、と思う昼下がり。


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