スカイツリーと、桜と、コーンポタージュの看板と。
浅草に住み始めてから丸1年が経った。
「どうして浅草に引っ越したの?」と聞かれると、「どうしてその人のこと好きなの?」と問われるときと似たような戸惑いを感じた。
「職場まで電車で一本だし、始発で確実に座れるからさ」それも嘘じゃないけど、本当じゃない。
浅草が、好きだからだ。
好きだから、住んでるのだ。
そもそも「街」というものが好きで、浅草の前に「東京」が好きなんだけれども(卒論は東京の都市景観について書いた)、この先も惚れた街にしか住んでやらないぞ!という誓いを自分に立てている。
昼下がりから大勢の人で賑わうホッピー通り、人種サラダボウルが日常の雷門、「いつからこのお店あるんですか?」と聞きたくなってしまう仲見世通り、漫才師の息遣いを感じる浅草公会堂に演芸ホール、雷5656会館、クレジットカードが使えない洋食店や喫茶店、人混みを抜けたら風を感じる隅田川、そこから望むスカイツリー・・・
古きと新しきが同居していて、「笑い」のエネルギーが漲るこの街が、心から大好き。
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先週、緊急事態宣言が出てはじめての休日を迎えた浅草は、わたしの知っているそれではなかった。スーパーに食材を買いに行きがてら隅田川沿いを散歩していたら、みるみる悲しい気持ちになってしまった。
スカイツリーと、桜と、お気に入りのコーンポタージュの看板。(レトロなデザインがのんきでかわいくて、この看板を見ると不思議と元気が出る…!)
Perfect to meな景色のはずなのに、何かが足りない・・・。
今まで漂っていた「粋な気」みたいなものが、すっぽりと空間から抜け落ちてしまっているのだ(すみませんスピリチュアルな能力はありません)。
雷門前に立ったとき、その理由がわかった気がした。この光景を目にした瞬間、ぶわっと涙がにじんで抑えることができなかった。
土曜夜の雷門前なんて、片思いの相手とか恋人とか、好きな友達とかを待つ人でごった返しているのが本来の姿だ。「交番の前にいるよ」とかなんとか言ったって、なかなかうまく出会えない。”なかなか出会えない待ち合わせ場所”なんてものは、ドラマの一つでも始まりそうで、どうしようもなく憎めない。
好きなものが、知らないうちに変わり果ててしまっていることは、こんなにも悲しい。
「いつもの活気を返してよ」と嘆きながら聴いていたのは、星野源の「恋」だった。
営みの街が暮れたら色めき 風たちは運ぶわ カラスと人々の群れ
街が色めくのは、そこに人々の「営み」があるかららしい。
海外旅行にでかける度に思う。美しいなぁと感じる瞬間、在るのはそこで暮らす”人”であり、その人達の笑顔なのだ。
それは自分が住む場所だって変わらない。
浅草に薫る「粋な気」を生み出していたのは、そこで生きる人々だった。
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何度も繰り返しみた映画『耳をすませば』で、雫のお父さんが言った台詞を思い出す。「戦士の休息だな」という言葉だ。
そうか、今街は休んでいるだけなのだ。
お休みはずっと続かない。いつか明けるから、お休みなのだ。
大好きな浅草はしばしお暇ということだけれど、STAY HOMEな私はいつかまた太陽の下ホッピー通りで飲める日を夢見て、せっせと力を蓄えていかねばと思う。
変わらないのに変わり続ける街、浅草に住む、ひとりの女として。
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よい出会いをたくさんもたらしてくれた #週1noteのスピンオフ企画 (スピンオフってなんかカッコイイ)で、「すきなもの」を3回に分けて紹介する企画に参加しています。「大好き」という言葉を普段から多用しがちなのですが、この企画なら許されるかな?と甘えた気持ちが芽生え、惜しみなく「大好き」を言いまくりました。
好きなことを書くんだから、ワクワク楽しいものになるはずなのに、初っぱなからしんみりムードでごめんなさい・・・!書くことで気持ちを整理して、前を向きたかったのです。ここで出会った皆さんとも、いつかホッピー通りで飲みたいなぁと思いながら書きました。
来週は久しぶりにドはまりした韓国ドラマ『愛の不時着』について書く気がしています・・・!