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【往復書簡】「後悔ではなく学びだ」と言い切れるまで

これまですいすい順調に進んできたのに、今回は返事を書くまでにかなりの時間を要してしまった、、。アヤノさんから受け取った「過去の自分に会いに行けるとしたら、どの時代の自分に何を伝えますか?」という問い。難しかったぁ…。笑

アヤノさんが立てる問いは、普段のおしゃべり含めて核心に迫るものが多くて、今回は特にわたしの人生がガラガラと音を立てて変化したタイミングとも重なり、なかなか難易度高めだった。

脳内花畑を休日にして、珍しく頭を抱えながら書くのはこちらへのお返事です!

まずは、欲望はがんがん素直に口にした方がセクスィーだよという話。

そう、実は人生ってチョロいんだよ。
後天的に「苦労は買ってでもしろ」とか「働かざるもの食うべからず」という努力礼賛主義とも言える教育を素直に受けてきたわたし達。簡単に幸せになることを恐れ、疑うようになっちゃってる。もちろん、努力が必要なときもあるけれど「そうじゃないとき」もある。「欲しい」って言ったら案外簡単に手に入ることも多いんだ。

わたしはまさに、努力礼賛主義を信じてすくすくと育った。小学生の頃から高校生まで、ずっと部活動に捧げた青春時代という感じで、雨が降っていても走り続けること、泣きながらでも吹き続けることが”正しい”ことだと思っていた
(冗談じゃなく、陸上部だった小学6年生の時に土砂降りの中を走りながら、「これからどんなにしんどいことがあっても、今この瞬間を思い出せば頑張れる気がする」と感じたことを覚えている…。)

たしかにそうした経験のおかげで、目標達成のために努力するタフさだったり、諦めない精神の強さ、みたいなものは身についた。けれど、「耐え忍ぶ」それ即ち「努力」と勘違いしてしまった節があったと思う。

努力って無理することじゃない。より楽しい未来のために、自分で決めたことを続けることだと思う。みんな苦しんでるんだから私ももっと苦しまなきゃみたいな考えはもはや呪いですらある。 

アヤノさんが「『欲しい』って言ったら案外簡単に手に入ることも多いんだ」と勇気づけてくれたけれど、最近は、「今の状況は全て自分が選んでいる」ということに対して絶えず自覚的でありたいという気持ちがすごく強くなった。
きっかけになったのは、仕事を追えずに追われてばかりでトゲトゲしていたときに兄に言われた、「その状況を選んでるのはお前だからね?」っていう言葉。だから今は、日々選択を繰り返す中で、他人の声に左右されて目が霞まないように、自分自身の審美眼を鍛えたいと思っている。


「アヤノさんが好きになる人ってどんな人?」というこっぱずかしい質問も、丁寧に答えてくれてありがとう。すきな人のすきな人を教えてもらうってすごく楽しい!笑 アヤノさんが心惹かれる部分を知れて、にやにやしながら読んでしまった。

共通項があるとすれば「優しい中性的な人」かな。女性の兄弟がいたり、線の細さを感じるような人に惹かれやすい。逆に俺だ俺だ!ってタイプは本当に苦手。自分がそうだから、かち合っちゃうのが目に見えてね。笑

波長が合う相性でも、やっぱり自分自身が持っていない部分にユニークさを感じて、興味が掻き立てられて、ぐぐぐっと惹かれていくのかなーと思う。似ている部分も、違う部分も、まるごといとおし・・・!と感じたとき、今この瞬間、この世界に相手と自分が存在していることにすごく満足するなぁ。

本や映画をいっぱい知ってる人も好きになりやすい。わたしが知識欲満載の人なので、わたしの知らないことをいっぱい知っているとそれだけで「おっ❤︎」となるね。

もうこれに関しては、わたしも一生変わらないものかもと割り切り始めました。。笑 自分が知識を広げたい、理解を深めたいと思っている分野について、一緒に楽しい時間を過ごしながら教えてくれるって・・・そりゃあspark joyが止まらないってもんよね。

どれだけ信じてもらえるかわからないけれど、昔は外見にも中身にも自信がなくて常に寂しくてメンヘラ体質だったので、求められてそれに応えるのが好きだった。素の自分をいかに隠すかを常に意識していた。だから自分を引き上げてくれそうな人に、より惚れやすかったかも。自分の価値を高めてくれそうな人を好きになって、思うように自分の価値が上がらなくて逆ギレしたり、どんどんレベルアップして行く彼に劣等感を感じてスネ乃になったり、まぁ、だいたい自爆してましたね。とほほ。(再び反省タイム。)

メンヘラ・スネ乃時代の話は、何度聞いても「ぜんぶ作り話でした説」の疑いが拭えないんだけど(ジョーダンだよ笑)、そんな葛藤を経て、今の愛の泉、パワースポット・アヤノが存在している事実を思うと、すごく勇気をもらえる。だからこそ、地に足の付いた、繊細な優しさをくれるんだろうなと。
うんそうだ、鏡をみて自分の顔を呪ったことがない人に、これほど年下の女子を励ますことなんてできないはずだ!

だんだん自分と向き合えるようになり、自分の機嫌を自分でバッチリ取れるようになってくると「わざわざ恋愛する意味とは・・・?」となってお一人様満喫タイムに入り、それもだんだん飽きてきて「二人でしかたどり着けない幸せもあるらしいぞ?」と今に至っています。
恋人たちがやるキャッキャウフフはお腹いっぱいになる程やってきたので、そうではなくて継続的に末長く関係を築きたいと思ったし、直観で二人なら楽しく暮らしていけそうと思ったわたしは、最初のデートから1ヶ月でほぼプロポーズまがいの告白をしました。

アヤノさんの話を聞いていると、ほんと後ろ姿を追っかけているような気分になる・・・。笑

恥ずかしい哉、わたしはまだ「恋人たちがやるキャッキャウフフをもっとちょうだい!」の段階です。(最近は、「好き」の先に繋がる選択が「付き合う」→「結婚」であることがさも当然、みたいなのおかしくない?!もっと自由でいいじゃん!と一人わめいているところ笑)

とにかく、「ときめく瞬間を集めたら人生でした」みたいな人生を送りたい。ときめく対象は、話が楽しい男の人はもちろん、颯爽に前をゆく美人な女性だったり(にやっ)、アート、自然、おいしいご飯、物語、音楽、ファッション・・・何でもありで、お一人様で”人以外”のものに胸キュンし仲良くする時間も人生においてすごく重要。一方で、やっぱり人と根気強く関わっていくことでしか得られない幸せも絶対にあって、そっちで得られる幸福はめんどうくさい分、かなり強烈だ、と思ったりしている。

さてさて・・・そろそろ今回のお題に答えるとする。

「過去の自分に会いに行けるとしたら、どの時代の自分に何を伝えますか?」
わたしは「過去は変えられるもの」だし、「過去は変えられないもの」だとも思ってる。事実は変えられないけど、タイミングで意味は変えられる。ぶんちゃんがリトルぶんちゃんに伝える言葉が気になります。

これはほんと~に難しかった。笑 わりとヘビー&ウエッティな話になってしまうんだけど・・・本心と異なることを書いても仕方ないので、書くね。

わたしは”後悔”がだいっきらいだから「もっとがんばればよかった」と思うことのないようにやるし、都合よく脳ができてるみたいで、大抵のつらい出来事は、無意識に「あのときのスパイスが人生をより味わい深いものにしてくれた」と解釈してしまっているし、そもそもいやな記憶を忘れる速さが5G級なので、「思い出したくもない経験」やらを思い出そうとしても、思い出せないことがほとんど。

だから今、過去を振り返っても、当時の苦しみを軽減させてあげよーとは思わない。ぜんぶ、ぜんぶ、必要だったから。
壁にぶち当たっていた頃の自分に声をかけるとしたら、「大丈夫だから、そのまま楽しめ」って言うと思う。

けれど、人生においてたった一つだけ、”後悔”していることがある。言い換えれば、”後悔”という意味づけしかまだできない、とも言える

それは大学時代に、今はなき母にむけていた態度。当時、わたしは就職活動の真っ最中で、母が脳卒中で倒れる直前にお風呂掃除をしていたときも、テレビ局のESの内容を考えながらパソコンを睨んでいたと思う。マスコミ業界で働くことが幼い頃からの憧れで、就職活動中は母に当たることも少なくなかった。

本当に何の前触れもなく、いきなりだった。いや、「何の前触れもなく」と思い込みたかった。でも実際は、少し前から疲れやすくなった感じがするなぁとか、よく頭痛いって言ってるなぁ、みたいな小さな気づきは往々にしてあった。
それを「いつものことだろう」「歳だから」と見過ごしていたから、”いきなり”になったのだ。

そのときの自分が、どうしてもまだ許せていない。

大抵の苦しみは、後から意味を与えて”学び”とすることができる。生きてさえいれば、マジでどうにでもなる。けれど、もう決して会えない人に向けた言葉や態度は、どんなに技術が発展しようが、取り返しがつかない。

だから過去の自分に会いに行けるとしたら、わたしは、未熟すぎた大学時代の自分に、「お母さんに『ありがとう』と言えバカ」って言ってやりたい。

ただ、この苦い経験が、わたしの今の価値観を作った決定的な出来事になったことは疑いようがなく、未来よりも過去よりも、いつでも「今が一番楽しい」と言えるように、瞬間を信じるようになったのは、それもまた母のおかげなんだよね。だからこそ、今周りにいる宝物みたいな人たちに会えた。

母からもらったこの人生が大好きだから、何としてでも幸せであり続けたいし、そしていつか、秋の風みたいにハンサムな母に再会するときは、100点のテストを持ち帰るというよりは学校であったおもしろい話をするようなテンションで、自慢げに土産話をぺちゃくちゃ話すような人生を送りたい。

”後悔”という言葉がこれほどしっくりくる経験は、後にも先にもない。それでもわたしはこの経験をどうにか”後悔”ではなく”学び”にできるように、と生きている。

ちょいと自分語りが過ぎちゃって、ごめんなさい。すごく意味深い問いだったもんで…いつもいい問いををありがとう。

ぜひアヤノさんの考えも聞きたいな。アヤノさんがリトルアヤノに語る話は、きっとアヤコにも響くはずだから・・・。笑 そしてアヤノさんが思い描く、10年後の最新の理想も教えてほしい。

ふぅー散歩していて一番気持ちいい季節が、急にきたね。少し汗ばむようで少し肌寒いようで・・・ネコちゃんズの温もりがうらやましい。

せば、次もアヤノさんのベストタイミングでよろしくね!

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