神託の巫女-使者団Ⅰ-
「おぉ〜いエリシャ!聖都からなんとも物々しい御一団がおいでだぜ!なんだと思う?」
エリシャが川で冷やしていた野菜を運ぶその途中、村の方からレイクが息急き切ってやってきた。その顔は興奮で赤らんでいる。
「なに、レイク。私いま忙しいんだけど。もったいぶらずにさっさと言ってよ!」
頬を上気させニヤニヤ笑いを抑えきれずに話す青年の土に汚れた顔をエリシャがハンカチで拭く。
つれないそぶりで答えるエリシャだったが、その実彼女も好奇心を抑えきれてはいなかった。
エリシャの榛色の瞳は、いったいなんなのかとキラキラ輝いて、急かすようにレイクを見上げる。
山間ののどかな村フィラ。
カランサム聖教国とクラン王国を隔てる境界となるワイレン山脈、その中腹にこの村はある。
両国を繋ぐ唯一の街道の中腹ということもあり、山を越えていくにはこの村で休むことがほぼ不可欠ということから行商の往来が盛んだ。
その為かのどかな辺境の村にしては宿も多く鄙びた風情は少なめだった。
エリシャはその村に暮らす娘で、今度の夏で十八を迎えるところだった。
適齢期ということもあり、そろそろ将来について真面目に考えるべき年頃だ。
しかし家業の宿の手伝いをしながら泊まり客に話してもらう異国や都会のことに心奪われがちで、どうにも恋や結婚といったことへの意欲は薄い。
幼馴染のレイクがなにかと誘いに来たり構いにきたりとしてはくるものの、エリシャには彼は実の兄とさほど変わらない感覚でもある。
昔からよく知る年上の友達、という以上の間柄とは思いきれず、レイクとのことを真剣に考えるまでには至らないでいた。
「忙しいって……ただ野菜運んでるだけだろうが。まぁいいや、あのな、聞いて驚くなよ。なんとなんと!聖都からのご使者のご一行様だ!」
レイクはどうだ!と言わんばかりに腕を広げる。
「聖都からの、ご使者のご一行様?」
レイクのその様子にぽかんとするエリシャに、鼻の穴を広げながらなおも興奮を露わに彼は頷いた。
「いま広場じゃ、誰んちの宿が使者団を泊める栄誉に浴するか!って親父たちがピリピリしてるぞ。こりゃ忙しくなるかもな!」
レイクはただただ興奮しているばかりだが、エリシャにはいささか聞き捨てならない言葉があった。思わず眉がきゅっと寄る。
彼女の家も宿を営んでいる。父は喧嘩っ早く血の気が多い。放っておいて使者団の前で乱闘にでもなったらどうしたものかとエリシャは気が気でない。
「聖都の御一団って、なんでまたこんな村にそんな方々がおいでになったの?いったい何があるっていうのかしら……」
思考に沈み顔が曇ったのはほんの一瞬。
はレイクが何かを言おうと口を開きかけたのを遮るようにパッと顔を上げる。
「あぁでも!せっかくならぜひうちに泊まってほしい!きっと聖都のお話もたくさん聞けそうだもの!」
エリシャは自分のその言葉に、胸のときめくような心地がした。
行商人たちから聞く聖都の様子は、いつも華々しく輝いていて、エリシャの心をくすぐって止まないのだ。
「どうだろね、村長が大事な御一団ならうちに泊めるべきだなんてやけに張り切ってたし……」
「そんな……!もうこうしちゃおれないわね!?レイク、これお願い。私、お父さんの援護に行くから!」
「は、ぇ、ちょ、おい!?エリシャ!」
川でキンキンに冷やした新鮮な野菜をレイクに押し付けると、エリシャはスカートの裾をたくしあげ一目散に山の小道を駆け出していく。
後に残されたレイクは、その背中を見送って思わず溜息を吐いた。
「エリシャ……ほんとかわんねぇなぁ」
は年頃の娘にしては落ち着きがなく活発で、思い立ったら即行動する。ほんの幼い少女の頃からエリシャはずっとそうだった。
男の子たちに混じって木に登り、川に飛び込み、時に取っ組み合いの喧嘩さえした。
今だってそろそろ結婚も意識する歳になるというのに、好奇心と負けん気そのままに駆け出してしまうのだった。
エリシャが村に戻ると、普段ならまだ畑仕事や狩りに出掛けているような村人たちすら広場に集まっていた。
そこでは昼下がりの日差しを受けて白銀に輝く鎧を着込んだ騎士の姿と、白を基調とした神官装束に身を包む数名の姿があった。
彼らを率いる男は、一段と輝く鎧に荘厳な腰布飾りを身に付けた騎士の出立ち。
その類稀なる均整の取れた体躯と顔立ち、堂々たる佇まいに、特に村の女たちの心と瞳を鷲掴みにしているようだった。
くすんだ金髪を短く整え、端正な顔立ちをしたその騎士は、事実誰が見ても美丈夫というだろう容姿を持っていた。
その手のことには奥手とも言えるエリシャも、彼のぴんと背筋を伸ばして立った姿と横顔にはしばし見惚れてぽうっとなってしまうほどだった。
「どうぞ、ご使者の皆々様におかれましては、やはりここは村長たる私の家に……」
「お待ちなさいな村長。アンタの家はそりゃ広いかもしれんが、お客様のおもてなしなら長年宿を営むうちの方がよっぽど」
「そうとも!それも最近建て直してより広々綺麗になったうちの宿がいいと思いますね!」
「なんだとこの野郎、抜け駆けしようってのか!?」
広場では使者団を前に村長と宿の主人たちが喧々轟々と言い合っていた。
使者団を率いる若き騎士も困ったようにその凛々しい眉を寄せ苦笑気味だったが、その剣幕にはにはなかなか割って入れないようようでいささか途方に暮れて見える。
その様子を見て、エリシャは頭を抱えたくなってしまった。
言い合ううちのひとりはあろうことかエリシャの父なのである。
「お父さんたら〜!ご使者の方々の前であんな風に喧嘩腰で。恥ずかしいったらもう!」
父の援護をしにきたつもりのエリシャだったが、いざ目の前に立つ、聖都の晴れ晴れと鮮やかな空気そのもののような堂々たる騎士の姿を見て、さすがに気後れしてしまう。
エリシャの出立ちといえば、いつも着ているくすんだ着古しのワンピースのスカートにこれまた古い服で作り替えたストールで、顔は日に焼けそばかすだらけな上、髪も三つ編みおさげにしただけだ。
あの端正な騎士の前に晒すにはいかにも田舎娘で垢抜けず、さしものエリシャも年頃の娘なりの恥じらいを覚えるのだった。
「おぉ!エリシャ、いいとこにきた!おまえからも言ってやんな!フィラの村一番のおもてなし上手な宿はうちだ!ってな」
エリシャが逡巡している間に、娘の乙女心など気付きもしない父が援護しろとばかりに声を張り上げる。
使者団の一行の視線が、その瞬間一斉にエリシャに向いた。
「!!」
金髪の騎士の澄んだ湖水のような青い瞳とばちんと目が合う。
合った気がする。
エリシャは急激に恥ずかしくなって顔が赤くなっていくのを感じた。
「……ほう、なるほど」
騎士の、エリシャを映した湖水のような青の瞳が、陽光を受けてか一瞬鮮やかに煌めいたようだった。
しかしその次の瞬間には、分厚い雲が太陽を覆うかのように翳りを見せたようにもエリシャには思えた。
金髪の騎士の、取り繕うような張り付けたような笑顔がエリシャに向いている。
「……、……どうですか、お嬢さん。突然の団体客の我々を、受け入れてくださる余地はそちらにおありですか?」
彼のそのわずかな表情の変化を見て、不意にエリシャを猛烈な羞恥と、それを上回る憤りが襲う。
(いま、いま、あのひと!私を品定めした!?若い娘がいると思ってつい見てみたら、イモで貧相でがっかりってこと!?)
いささか被害妄想が過ぎるきらいもあるにはあるが、エリシャも年頃の娘なりに男のああいう反応には何度か覚えがあったのだ。
エリシャは宿の看板娘として日々よく働く娘だった。贔屓にしてくれる行商人たちも多く、エリシャがまだほんの子供の頃からの付き合いの者も少なくない。
そうしたことから商人たちのエリシャ評には過分な贔屓目もあるのだろう、褒める言葉は大袈裟なものが多い。
そうした商人たちから、あの宿には可愛い看板娘が居るのだと聞いた若い商人や非番の警備隊の男たちが勝手に期待し村に来て、エリシャ本人を見てはがっかりしたよに肩を竦めたり、ニヤニヤ笑いながら仲間と耳打ちしたりする。
そうした男たちの下卑た視線に晒されていれば、エリシャもいつまでも鈍感で居続けることはできなかった。
時には失礼な陰口を叩いた男の頭にバゲットを叩き付けたこともある。もちろんへし折れたバゲットはプディングにして食べてもらった。
フン!と鼻息荒く胸を反りキッとライセルを見据える。
「もちろんですとも!どんな団体客の襲来だってきっちり捌いてみせます、わ!」
父のことをとやかく言えない喧嘩腰で、エリシャは顎をつんと上げ腰に手を置き、実に堂々と言い放ったのだった。
その様子に、とうの騎士は凛々しい眉を片方だけ持ち上げ、困惑とも呆れとも、或いは感心か面白がるような風にも取れるなんとも微妙な顔をした。
かくして、広場の男たちの客取り合戦は幕を閉じたのだった。
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