神託の巫女-使者団Ⅲ-
「どうなさいますか。神殿長は速やかに巫女をお連れせよとの仰せでしたが……」
夕食を終えて部屋に戻る前、使者団の神官がライセルに耳打ちで問う。
「ぅ、む……、そうだな、空気は良いし水も美味いが、そう何日もここに逗留するわけにもいかんしな。明日、ご両親には先に通告し、巫女様ご本人にも折りを見てお話しするのがいい、かなぁ」
使者団は皆若く、新たな巫女をお迎えするなど誰も経験していない。戸惑いは強いものだった。
新たな巫女への所感がどういったものか、ライセルは多少の興味も抱いたが、それを聞き出すのはいたずらに信仰心を掻き乱すだけの気もして押し留める。
実のところライセルは気が進まなかった。
ほんの短い時間の付き合い程度の見立てではあるが、ライセルの印象では、エリシャという娘はどこにでも居るただの村娘でしかなかった。
家族に愛され、友人たちにも恵まれ、勝気で好奇心旺盛な働き者。いずれは良い人と巡り逢い、連れ添って、平凡ながらも幸福な生涯を送るのが似合いのタイプだ。
(あんなごく普通の娘に、巫女の大役など勤まるのか……?大陸の安寧と秩序がかかっているんだぞ……)
ライセルはどうしても疑心を拭いきれずにいる。もちろん巫女の神託を疑うわけではないが、新しい巫女がまことに己が仕えるに足る人物か、はおおいに気になってしまうのだ。
「とにかく、諸々は明日にしよう。今日はもう遅いし、我々の突然の来訪でただでさえ村も浮き足立っているからな」
ライセルは使者団に解散を命じ、部屋に戻るよう指示を出した。
ーー
エリシャは、いつもの夢の中にいた。
あぁ、今日もか、と思う。
長い黒髪の、ひどく哀しげな顔をした女性が、今日はひとりきりでぼんやりと佇む。
伏せた睫毛が影となり、目元を暗くしている。
「ねぇ、貴女はだれ?」
エリシャがいつものように声を掛けても、これもいつも通り彼女は答えることはない。
ただ憂いの眼差しをエリシャに向け、声にならない言葉をその唇に乗せるだけ。
いつもの夢と同じだった。
「 」
彼女の言葉はエリシャには聞こえない。
そうしてまた、夢幻の彼方へと、彼女は消えてしまうのだった。
目を覚まして、エリシャは嘆息する。
「不思議な夢……いつまで、この夢、見るんだろ……」
疑問は浮かぶも、今日は色々とありすぎて疲れていた。
すぐにうとうとと目蓋がおりて、エリシャは再び眠りの国へと旅立った。
ーー
明け方、カーテンの隙間から漏れ入る陽光に照らされ、ライセルは目を覚ます。
おそらくほかの騎士や神官たちも既に起き始めているだろう。
(やれやれ、神殿勤めの哀しい性というかなんというか……)
必要もないのに早起きしてしまう習い性に嘆息する。
仕方なく身支度を整え、なんとなしに窓から外を見た。
既に畑仕事に精を出す者や、犬を連れて山に赴こうという風情の者もある。なんと村人たちもまた勤勉で早起きらしい。
宿の主人も既に起きて裏口を掃き掃除しているのが見える。この調子なら既に宿のほかの者たちも皆とっくに起きて仕事をしているのかもしれない。
果たして。
食堂へと使者団が集まっていけば、そこには焼き立てのパンと採れたての野菜を使ったサラダ、自家製ジャムやら豆のスープやらがしっかりと用意されていた。
これもまた看板娘三代の手によるものなのだろう。
「おはようございますご使者の皆様。朝ごはんにはお水もいいですけれど、フレッシュジュースもいかが?お茶もありますよ」
昨夜と同じく給仕をするためにエリシャが待機し、降りてきた使者団に朗らかな挨拶と共に微笑む。
本人が知らぬこととはいえ、次代の巫女が昨日に引き続き給仕を行うということに使者団の皆はまた動揺し恐縮した。
しかし昨日に引き続き、ライセルが目顔で頷いてみせれば、使者団の皆もまた観念したように頷く。
「ありがとうございます!い、いただきます!わ、わたくしは、水を!」
「で、では、私にはできればお茶を……」
などとおずおずながらリクエストをする者たちも居た。
それを見ながらライセルは、己が許可したこととはいえどうにも落ち着かない心地になる。
(神殿長様が聞いたらなんと言われるかな……いやしかし、断るのも奇妙なことだしなぁ。非番返上で辺鄙な村まで来たのだし、このくらいの役得は許されたいものだが……)
たとえ垢抜けない田舎娘でも、とライセルは僅かに口端を上げ肩を竦めるのだった。
「それで……結局昨日はお聞きできなかったのですけれど、ご使者の皆様は、この村にどのようなご用件があっていらしたんですか?」
水を注いで回り、ジュースを注いだグラスを置き、お茶の支度をしながらエリシャはずっと燻っていた疑問をとうとう投げかけた。
使者団たちが窺うようにライセルを見る。
それを受けて、ライセルは水を一口飲んだ。そうして生真面目な顔をしてエリシャを見つめる。
「な、なんですか!?」
整った顔は真面目な表情になると途端に作り物めいてその出来の良さを際立たせる。
静かな湖水のように深い青の瞳でじっと見つめられると、用心してはいてもエリシャはドギマギして顔が熱くなってしまう。
(やはりどこからどう見てもうぶなイモ娘だなぁ……)
その様子にライセルは表情も変えず内心忌憚ない感想を抱きながら、一呼吸置いて言った。
「実は……これはまだ秘密の話ですが……神託がくだったのです。次の巫女の……」
重々しく落とされる声。
しかし、エリシャは騎士の語る言葉の意味をすぐには理解できなかった。
しばしぼうっとして、はぁ、なんて気の抜けた相槌を打ち、それは大変ですねぇと当たり障りのないことを言ってからポットにお湯を注ぎ、砂時計をひっくり返した。
奇妙な緊張と緩和の間が、沈黙となって訪れた。
サラサラと砂が溢れていく音が聞こえる。
「……。……。……え!?……!?え……!?ご神託!?」
そうして砂時計から砂が全て落ち切ったころ、ようやく意味が浸透して、エリシャの声はぽんと跳ね、上擦って甲高いものとなった。
「そ、そ、それ、それって、まさか、この村の子がえら、えら、えらばれたということですか!?」
勢いよく振り返り、そのまま食って掛かるようにライセルに詰め寄る。さすがの色男もこのエリシャの剣幕にはたじろいだ。
やや視線が泳ぐようにふらふらし、揺れて惑う。
「あぁ〜、ま、そういうことに、なりますね……はは。……まだ、他言無用でお願いしますよ、お嬢さん」
取り繕うように笑った顔で、片目を瞑っていうライセルに、しかしエリシャは今ばかりはときめきも恥じらいもしなかった。内心それどころでは無かったのだ。
(神託って……巫女って……選ばれたらどうなるんだっけ?故郷からも家族からも引き離されて、たしか、たしかそれで、ずっとお祈りするんだっけ?だれ?だれが選ばれたの……?)
エリシャの心がざわざわとさざめいていた。
豊かな実りを直前に控えて、突然やってくる大嵐のように、大事にしているものを根こそぎ奪っていくような。そういう不吉な予感に襲われたのだ。
(まさか、ハンネ……!!)
エリシャの脳裏に、幼馴染の娘の顔が浮かぶ。つい最近、密やかに愛を育んできた警備隊の男と婚約した、可愛い年下の友人。
少し気の弱いところはあるが優しく気立もよく、彼女が大陸の安寧のために祈る巫女に選ばれるのもなんの不思議もないと思えた。
「お嬢さん……、どうしました?顔色が悪……うわっ!?」
様子の変わったエリシャに、さすがに心配になってライセルは気遣わしげに腰を屈めその顔を覗き込もうとした。
しかしそれを振り払うように身を翻したエリシャのおさげに顔をパシンと打たれ、気遣う言葉は途中で空中分解した。
エリシャは給仕も何もかも途中で放り出し、スカートをたくしあげると血相変えてそのまま飛び出て行ってしまったのである。
その豹変に使者団一行はただ呆気に取られ、見送るばかり。
「おいエリシャ!仕事ほっぽってどこ行くんだ!?……あぁ、もう、相変わらず落ち着きのない娘だ……申し訳ありません御一行様。給仕の続きは、うちのカミさんが……」
ちょうど食堂にやってきたエリシャの父が、出て行く娘に目を丸くし、慌ててその無礼を詫びる。
ライセルは顔を抑えながらももう片方の手でそれを制し、彼女の父を労るように微笑んだ。
「いえ、いまはこのままで。まさか、そう遠くには行けないでしょうし……それよりご主人、とても大切なお話が……」
と、ライセルは真面目な顔で切り出した。
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