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そんな日の東京アーカイブ 鮫洲から新馬場 図書館への道

えらく寒い一日だった。 こたつで猫になっていたかった。 が、それでは、図書館で借りた本の返却日が過ぎてしまう。

自分の分の単行本5冊と息子1に頼まれた文庫本一冊。 ドスンと肩に重たい6冊を斜め掛けのショルダーバッグに詰め込んで 、筆記用具も突っ込んで 毛糸の帽子を目深に被って白いマフラー靡かせて出かけた。

鮫洲から京急に乗れば青物市場の次の新馬場はほんのふた駅なので、そんな重いものを持ちながらも25分かけて図書館まで歩く。

この寒空にようやるわ、 ともう一人のあたしはあきれているのだが そう思い立ったあたしは、いつものあたしとは違うようだった。

こんなふうに思い立つまでに時間がかかるし、エネルギーチャージにも手間取るのだが とにもかくにも歩き始めた。

いきなり冷たい風が吹きつけてきて涙が出た。こういう反応はあまり経験がない。こころではなく、身体が寒さに泣いていた。それでもまっすぐ歩いた。

今日はカメラを持たなかった。見るともなく見た景色が記憶に残ればいい。

メモに書くとメモに頼って憶えない。風景もカメラに収めるとその画像に頼ってしまう。涙に洗われた眸が見たものは、カメラのレンズに収めるものとはちがうかもしれない。

そんなことを思いながら 高いビル挟まれながら、
意地を張るようにそこにあり続ける、いくつかの古びた一軒家を見た。

客が出てくる大衆食堂、赤と青がくるくる回っている床屋。 まだまだ頑張っている。

が、閉店したすし屋では不動産屋らしき男性が
書類片手に屋根を見上げていた。そんなふうにこの町は変わってきたのだろう。

きっとどの店にも晴れがましく開店した日があり
客の話し声や笑いが店に満ちた日があったはずだ。

一日に大きな変化はなくとも少しずつ壁の色が変わって調度が古びて、店主が年取って、客がまばらになって今に至る。

その横に立つ新しいビルにも待ち受ける終りがあるはずだ。

ひとの持ち時間にも限りがある。一日一日、そんな終わりの日に向っている。そううまく生きてるとはいえない息子たちは、わたしが消える日をどう迎えるだろう。

目黒川にかかる橋を渡る。午後の光が川を銀色に染め替える。川はいずれ海へ向う。流れていくしかない。

この寒さではあまり考えがめぐらない。見えたものに反応するだけだ。

交差点を右にまがって真っ直ぐ進む。やっとついた図書館は暖かかった。ありがたい。

書庫の手前の机に向った。借りた本にいっぱいつけた付箋の箇所をノートに書き写し、付箋をはずす。 河野多恵子さんのありがたいお言葉に頷きながらボールペンを走らせ、踊った字で書き留める。

隣のおにいさんは簿記2級の勉強をしているし前のおじさんは辞書片手に英語の翻訳をしている。 身を立てるお勉強をしているひとたちのなかで、文学についての言葉を書き留めている自分。

小説のことで自分の至らなさ、努力不足を痛感したから、主婦で母親である自分のテリトリーから離れて、雑用に分断されることなく集中した時間を持ちたかったんだなと、ここに来て気づく。

2時間半もそこにいた。ようやく全ての付箋を外して本を返す。息子1の「燃えよ剣」も返す。

森村誠一氏の「小説道場」とチェーホフの本を借りた。ようやくベクトルは前向きだ。 

・・・そのような気がする。


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bunbukuro(ぶんぶくろ)
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️