「停車場」 終わる
伊波新之助氏から電話があった。氏は横浜に住んでいた頃参加していた文芸同人誌「停車場」の主宰者だ。
横浜から転居したことや、まあモヤモヤしたことがあり、脱会したのだが、ずっと同人誌は年一回発行されていた。
「この度、停車場を終わることにしました」とご丁寧なご挨拶をいただいた。
たった四人で始めた同人誌だったが、しだいに多才で多彩なメンバーが加わり、あたしが抜けたあとも、引き続ききちんと活動されてきた。
伊波氏は朝日新聞の編集委員をされていた方で、著書も出されている。
年月はだれにも平等に流れる。あたし自身が老いを感じる年になったのだから、先輩たちはなおさらなのだろう。同人誌を続けるエネルギーを保ち続けるのがたいへんになってきたのだろうと思う。
長い間頑張られましたね、おつかれさまでした。本当にお世話になりました。ありがとうございました。そんな言葉を告げた。
氏には、たくさんのことを教わった。新聞取材のこと、戦争のこと、座禅や禅画のこと、記者クラブの講演や居酒屋さんのお供をしたこともあった。
その折々に聞いた、川端康成の棺を担いだ話や田中角栄氏や当時の天皇陛下のインタビューの話など、ほほーと驚くことばかりだった。
特に天皇陛下の大学時代のテニスの話で、氏の奥さんがテニス国体選手で、天皇が「彼女がいたから学習院は早稲田に勝てなかった」と言ったなんて話は、とびきり驚いた。
この同人誌であたしは初めて小説を書いた。エッセイから小説へのステップはここで踏んだ。
それはそれで充実した時間だったと思うが、続けられなかったのもまた事実で、そんなこんなで、継続してきた人たちに対して、忸怩たる思いもわく。
まあ、そうとしか歩めなかったのだから、いたしかたない。それぞれの道を行くのみだ。
「京都に行けるようになったら、また、電話します。安くて美味しいところ、見つけておいて下さい」
そんな言葉で電話は終わった。