ふるいものすき
東京にいた頃も骨董市へ行ってたなあ。
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有楽町の国際フォーラムの前のスペースで骨董市が開かれてた。道路ひとつへだてたところにビッグカメラがある。そこでは最先端の電気機器が売られている。
広場いっぱいに広がる古着や古道具。アンティークな食器やアクササリー。時代を超えてやってきたものたち。
売り子さんはどこか浮世離れしているおばさんや退屈そうなおじさん。おしゃべりが好きな人、無口な人。
商売なのだけれどどこか道楽じみている。ものをはさんで向かい合うひとがおもしろい。
京都の東寺では毎月21日に弘法市が立つ。「こうぼうさん」と呼び親しまれている。
むかしむかしのこと、亡父はこのこうぼうさんが大好きで、うきうきと出かけたものだった。
植木も楽しみのひとつだが、あるとき、古着のジャケットを買ってきたことがあった。
その大きなチェックが初老の父には派手だったのだが、本人はおおいに気に入り、会うひとごとに「ええやろ」と見せびらかし、袖が擦り切れるまでどこへいくにもそれを羽織っていったのだった。
倹約家でお金を使うことを好まなかった父がこうぼうさんではいろいろ買ってきた。植物の苗が多かったが、古い扇子を開いて見せてくれたこともあった。大きなだるまが書かれてあった。「ええやろ」と言った。
弘法市の店先で店主とあれこれ話し、何を買うにも「まけてんか」と言ったにちがいない。それがまた楽しみのひとつだったらしい。高いもんを安う買う。それが倹約家の腕のみせどころだ。
安かったんや、と誇らしげに言う父の顔を覚えている。
わたしはどうもうまく「まけてんか」と言えないのだけれど、それでもお買い得品をゲットしたときには「安かったのよ」なんていいながらそんな顔つきになっているにちがいないと思う。
今日も今日とて、古着の着物地の店で大島の切れ端を500円で買うと、おばさんは同じ大きさのをもうひとつおまけしてくれ、もう一枚別のハギレもいっしょに入れてくれた。いいでしょ。ああ、得したなあ。
・・・こんなDNAを受け継いでいた。