パジャマパーティー 2
夕刻、その家に現れたのは友人が中学時代から付き合っているさちこさんだった。友人が入院している病院で一度ばったり会ったことがある。大きな声で笑う明るいひとだ。
さちこさんて誰に似てる?と聞かれたらジェシカ・ダンディーと答えるだろう。ドライビング・ミス・デイジーで好演したあのおばあさんだ。そう、なんだか威厳があって、賢そうなのだ。
似てると思うがさちこさんには告げない。きっと、やだー、わたし、もっと若いわよーとぺチンと肩を叩いて文句言われてしまうだろうから。
くわしいことはよく知らないのだけれど、友人がいうには、さちこさんは井伏鱒二の小説「本日休診」のモデルになったという医者一族の一員だそうだ。
もう亡くなったが、お母さんが開業医で、共産党員だったお父さんは離島で診療していたという。二人姉妹のおねえさんは医師になり、さちこさんは薬剤師になった。
以前から時々、友人から彼女の話を聞いていた。さちこさんは普通のサラリーマンと結婚し、二児をもうけ、四人の孫がいる。
医者一族で医者に無縁なひとと結婚したことは、彼女なりのレジスタンスだったのだろうと友人は言う。なにしろ、おかあさんとおねえさんの抑圧がすごかったから、と。
「それにしても彼女、スクランブル交差点でも決して対角線を歩かずに二辺をカクカクって曲がっていくようなひとなのよ。妙なところがクソ真面目で、融通がきかなくて考え方がなんだか窮屈なの」
とは友人の弁だが、融通無碍の友人からするとだれでも窮屈かもしれんな、とも思う。
「ご主人といっしょにご飯を食べてて、自分が最後に食べようと思って少し残しておいた納豆をご主人がなにも言わずに食べてしまったことが許せなくて、自分の茶碗に残ったご飯をご主人の顔の前に突き出して、『このご飯どうしてくれるのよー』って怒るひとなのよ。どうしてくれるって言われても困るわよね」
というのも友人の弁だ。思いのほか、闘争心はあるらしい。
さちこさんが来ると聞いて、わたしのなかでは、横断歩道と納豆とジェシカ・ダンディーが浮かんできて、いっしょになってぐるぐるとまわるのだった。
さちこさんは酒好きでガンガン飲む。このたびはガンガン飲みたいわけもあるらしい。友人は舐める程度しか飲めないので、自然にわたしがお相手することになる。が、わたしもこのところ発泡酒350mlでほわんとなってしまうくらいに弱くなってしまっている。
とはいえ、心優しく気弱な(?)わたしは、もともと嫌いじゃないので勧められると断れない。というか、さちこさんはわたしのグラスが空くとすかさずビールを注ぐのだ。わんこそばのような感じで。残すのが嫌いなので無理してでも空ける。するとまた・・・。
そんなふうにして酒屋で買った普通のビール500ml缶3つと地ビール350ml缶2つをふたりで空けた。
軽井沢というところは標高1000メートルあって、軽い高山病にかかるひともいるらしい。わたしはてきめんお腹が張って困った。
そんなひとがそんなところで、こんなにアルコールを摂取するとどうなるかというと、もうもう人事不省なくらい眠くなる。
目の前の友人の丸い顔がぶれてきたりする。そうかあ、とうなづいて下に降りた頭が上がらなくなってそのまま寝てしまいそうになる。
そんなわたしを見かねた友人に「あ、寝る?」と聞かれて「いや、寝ない」と答える。大晦日の幼児のようである。
今回はさちこさんの言い分を聞く会のようなかたちになっていて、そのまま寝てしまうとなんだかそれはもったいないほど、話は盛り上がっていたのだ。
「中学のとき、わたしがちょっとガラのよくない子と付き合い始めたら、このひとが手紙をくれたのね。
いろいろ書いてあって、最後にひょろひょろした横線が何本か書いてあって、さちこは今こんなふうな道へ踏み込みそうになってます。これをみて反省するように、って書いて矢印つけてあったの。
この線はなにかしらって思ってたら、『よこしま』ってことだったの」
とさちこさんが言うと「よこしま」という言葉に涙を浮かべて大笑いする友人は、そんなことは覚えていないという。
最近、お母さんが亡くなってもろもろ解放されたさちこさんは、これまで言いなりになってきたジコチューのおねえさんに反旗をひるがえした。
これまでは姉妹がもめるとお母さんが悲しむだろうと思って胸の中にたくさんの悔しさ、我慢をおさめてきたが、もういいんだと思い定めて、宣戦布告するように大声でおねえさんの横暴に逆襲したのだという。
「えらい!」と友人は褒める。
抑圧されて言えなかった言葉があふれるように出てくる。言葉が奔流になってさまざまなところへ及ぶ。解放された感情は高ぶったまま家族に向かう。するとそこで夫婦にも新たな摩擦も生まれてくる。何も言ってくれない夫の問題が浮かんでくる。なにも考えていないのではないか、という結論にいたったりする。
そこから急に話はさちこさんの高校時代の恋に及んだ。
「絵を描く人でね。さちこくんは無垢な白いひかりの結晶のようだって言ってくれたの。うれしかったわ。家庭のなかで居場所がなかったわたしに理解者があわられたのよ」
そうしてふたりは付き合うのだが、さちこさんは堅実な考えの持ち主で、絵描きになるそのひとを支えるためには自分が働かなければならないと考え、資格を取るため猛烈に受験勉強をし始めた。
実力テストの前日の夜、その彼から電話があった。
「象の風船が手に入ったんだ。これから川原で風船あげにいかないか」という誘いだった。
さちこさんは行きたいとも思ったが、この実力テストを落とすと受験に差し支えてしまうから行けない、と答えてしまった。なにしろふたりの将来がかかっているのだから自分ががんばらなくっちゃと思っていた。
ところがそれからしばらくして、彼氏は別れようと申し出てきた。君はもう無垢な白いひかりの結晶ではなくなったから、という理由だった。きみと別れて僕は旅に出ますともいうのだった。
さちこさんは愕然とする。誰のため、なんのための勉強だったのか、と。
その失意を慰めるように次のボーフレンドが現れたり、家庭教師のひとが現れたりするおはなしはもうもう笑い無しでは聞けなくて、かなりのアルコールでしびれたようになっていたたわたしの頭は妙な感じで冴えてくるのだった。
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️