京都で会ったひとたちのこと 6
最終回
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クラス会は喫茶店を出て、解散になった。と、ここまで書いてなんだか浮かない気分になっている。続きの話もあるのに、なんだか書きたくない。
以前小学校の同窓会があったときはあんなにいっぱい書いたのに.今回はなぜこんなふうなんだろう、と考えた。
ともに過ごした時間の濃度が違うのだろうなと思う。
おばさんになればその場を盛り上げたり、笑いを取ったりすることはできるし、思いの深さにこころを添わせることもできる。
でも、それは思い出の共有とは違うのだと気づく。クラス会に来たひととは暖めあう時間がないのだ。
校舎内を回ったとき、クラブの部室がなくなっていた。違う場所に移転したようだった。
当時は、階段を上っていくと大きな音を立てて軋んだバラックのような粗末な建物に、蜂の巣のようにいろんな部室がならんでいた。ドアの開け閉めで部屋が揺れた。
わが文芸部の薄くらい部屋に古ぼけた本棚があって、そのなかに部誌があった。歴代の先輩のちょっとわかりづらい詩がならんでいた。わたしもわかりづらい詩を書いた。
読書会をしたり、作品を提出したり、添削したりした。合コンもしたし、合宿もあった。リレー小説も書いた。
先輩たちの大人っぽかったこと。男と別れたとか、煙草をふかしながら物憂げに告げた人もいた。
学園祭には洋酒喫茶の模擬店をした。新入生のころは裏方で氷を割っていた。年次が進むとカウンターで客の相手をしたこともあった。思いがけず見初められたこともあった。
土井さんがいた。色っぽいいいおんなだと思った。土井さんはどうだかわからないが、私は親友なのだと思っていた。4年間いっしょに年を取って行く感じがしていた。
山田部長は凛としていた。盛田先輩があこがれだった。後輩の富樫由美子も魅力的な女だった。連絡はとれないなのだけれど、この世のどこかにいるそのひとたち。
そうだ、わたしは、さっちゃんとずっといっしょにいた授業時間ではなくて、その部室でほんとうに大学生活を感じていたのかもしれない。
本当に会いたい人は他にいたのかもしれない。