ふびんや 20「片袖袋 Ⅱ」
勝手知ったる「ふびんや」のなかを、伊沙子は奥まではいり、慣れた手つきで、壁際に置かれた、黒く大きな金具のついた舟箪笥の取っ手を引く。重たげな赤茶色の引き出しがあくと、色とりどりの袋が現れる。
「伊沙子さんたら、この商品名はひな袋じゃなくて、片袖袋ですよ」
ひなは後ろから笑って訂正する。「ふびんや」の商品として、ひなが一番初めに作ったのがこの手提げ袋だった。
新たに着物がくるたびに、ひなは記念写真のように、その片袖で一つずつ作ってきた。縦が二十七センチ、横が二十二センチ、底のほうを袖の丸みに似せて丸くしたぺったんこの袋だ。薄くなった着物地には接着芯を入れて補強して、けっこう派手めの裏地をつける。持ち手は細い帯締めを利用することもあるが、共布で作ることが多い。
「だって、ひなちゃんが作るんだもん、ひな袋でいいじゃない。みんなそう言ってるわよ」
「ふふ、それならそれでもいいですけど」
伊沙子は袋を取り出してあれこれ見比べる。作り手のひなには次々に現れるそのどれもが懐かしく映る。
「えーっと、この赤いお召しのと、紫の絞りの、もらうわね」
「……ふたつ? あ、ひょっとして、むこうのひとの?」
「そう、うちのが午前中に行ってくるっていうからさ。なんやかや入れて持たせようとおもってさ。お正月がくるしね」
「ふーん、伊沙子さんってほんとにやさしいのね」
「なーに言ってんのよ。おだてたってなにも出ないわよ」
「笹生」の板前でもある伊沙子の夫はずいぶん年下で、離婚歴がある。ふたりのあいだに子供はいないが、別れた相手の元にまだ成人しない子供がいて、その祖母もいっしょに船橋で暮らしているらしい。夫が年に何回か船橋まで会いに行く日、伊沙子はそのおんなの子とおばあさんのために片袖袋を買いに来る。
「じゃ、ふたつで千円ね」
「ねー、ひなちゃん、まだ値上げしないの? あんた、ずいぶん腕上げたのにそれじゃ安すぎるんじゃないの? きょうび、ひとつ五百円じゃ材料費にもなんないでしょう」
他の袋の出来上がりを仔細に眺めながら伊沙子が言う。
当初は片袖袋として売るというよりは、景品にしたり、紙袋がわりに商品を入れて渡すことが多かったのだが、これだけを売ってほしいというひとが増えてきたので、あずがその値段に決めた。
「いいの。着物の供養になればいいって母は言ってるし。でも伊沙子さんにはいつもたくさん買ってもらって、ありがたいです。毎度ありーです」
片袖袋のほかにも、伊沙子の着物の仕立てや「笹生」のお年賀にする刺し子の布巾の注文を受けたりもしている。伊沙子の口コミで、商店街の他の店からもお年賀の注文がくるようになった。
「ほんとに、歯がゆいくらい欲のない親子ねえ。そうそう、きいたわよ。ひなちゃん、あのキューピーばあさんの人形の着物作ってあげたんだってね」
「伊沙子さん、公子さんのこと、知ってるの?」
「まあね。あのひと、膝が痛くて本橋外科に通ってるからさ、このあたりでよく見かけるわよ。ここの向かいのおばあさんなんかしょっちゅう会うって言ってる。待合室でもあのキューピーさん、抱いてるらしいからさ、そりゃあ人目をひくわよ」
「みんなはなんでキューピーさんなのかも、わかってるの?」
「いやあ、それはちょっと面と向っては訊けないよね」
「うん、そう。訊きたいけど、訊けない」
「向かいのおばあさんなんかは赤ん坊を亡くしちゃっておかしくなったんじゃないの、って勝手なこと言ってるけど……わたしはあのひともこどもが産めないんじゃないのかなって思うのよ。きっとさ、膝の上が薄ら寒くて仕方がないから、キューピーさん、抱くんじゃないのかしらねえ」
伊沙子は顔色も変えずにそういうが、彼女自身、若いときに病気で子宮摘出をしている。
「あのおかたも明るうしたはるけど、あの笑顔はハンパやないで」
まだなにも始まってはいないときから大きなマイナスを抱えてきたひとなのだと、あずが言っていた。
願いはお百度を踏むように、幾度も同じ道筋を巡っていったことだろう。自分には、いくら願っても得られないものがあるのだと骨身にしみてわかるまでには、どれくらい時間がかかるのだろう。
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