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ふびんや 6「ちりめんのしぼ Ⅲ」
「たむら荘かいな。そらたいへんやわ」と、ひなの話を聴きながら手早く洗濯物をたたんでいたあずが言う。
「たいへんってどういうこと? 母はたむら荘のこと知ってるの?」
「うん、そこに住んでたひとの不用品を引き取りに行ったことがあるし、知ってるねん」
「どんなとこ?」
「どんなてきかれても……うーん、どういうたらええのんかな。……曲がりくねった細い路地のつきあたりにあってな、家も住人も世の中から取り残されてるみたいなとこや」
「そんな言い方ないと思うけど……」
「そやな、失礼ないいかたやったな。そやけど、外から見る限り、えらい古うて、薄暗うて、薄汚れてて、手入れが行き届かんのか、根太がくさってるみたいでな。どう見ても建物全体が傾いてて、どこもかしこもキシキシいうてるみたいなとこや」
「ふーん。だけど、ここだってそんな感じだよ。古くて薄暗くて、雨漏りもするし……」
「まあ、ひとのことは言えへんけどな。うーん……そやけど、それだけやのうて、なんや寂しい匂いがするねん。植木鉢やら壊れた傘やら靴のかたっぽやらがアパートのそこいらに打ち捨ててあってな、体はここにあってもこころがここにないひとの住まいて言う感じや。家賃が安いねんやろな。ひとり暮らしのひとが多いみたいやったわ」
ひなは公子さんの毛玉の付いたセーターを思い浮かべ、その暮らし向きを思う。
「……公子さんもひとりだって言ってた」
「そら三十年も、家族の代わりにキューピーさん抱いてきゃはったおひとやさかいになあ……それでも記念のお正月に着物をふんぱつしよとおもわはってんやろなあ。そう思うとなんやしらん、胸が痛いなあ」
あずは手を止めて仏壇のほうを見やる。蛍光灯の光がチセと恵吾の写真を浮かび上がらせて、眩しさがまたその表情を消している。生きている時は反目しあったふたりがいまはひとつの仏壇でならんでいる。
「……ふびん、なんでしょ?」
「そやな……ほんでその着物はあんたが作ってくれるのんか?」
「うん、変わったサイズになるんだけど、まあ、なんとかなると思う」
「公子さんのためや。がんばりや」
「わかった。で、その着物の残り切れ、もらっていい? パッチワークにつかいたいの」
「ええけど、あれはええもんやさかいにあんまりきりちゃちゃこにしなはんなや」
「ふふ、きりちゃちゃこって、おばあちゃんの言い方にそっくり」
チサのその口癖は、小さく切ってしまって役にたたなくしてしまってはいけないよ、という意味だった。何度も言われたのは幼いひながついついそうしてしまったからだろう。
「ほんまやな。よう言うたはったな……あ、そうそう、地区センターの生徒さんに茸をたんともろたさかいに、今晩は茸の炊き込みご飯にしよか」
「あ、いいね。すこし多目に炊いてあかねちゃんのところへ持っていってあげようよ」
「ふびんや」の隣人である摂が倒れたのはひと月あまり前のことだった。旧東海道にサイレンを響かせてやってきた救急車は甲本畳店の前に止まった。それを耳にした町内中が摂の身を案じたが、なかなか連絡が取れなかった。
ひなは摂の末娘であるあかねの携帯に何度もメールを送った。三日後に『脳梗塞なの。後遺症が残るって。』と返ってきた。いつもは絵文字でにぎやかな画面に浮かぶ十五文字は、なんとも心細げに見えた。
それを知ったあずが動き始めた。
「ひな、お弁当を作るさかいに、あんたが病院にもって行き」
「でも、おばさん、たべられないよ。脳梗塞なんだから」
「摂さんにとちがう。統三さんやあかねちゃんに食べてもらうんや。他の兄弟かて来たはるやろしな。これから長期戦になると思うし、周りの人間がしっかりせんとあかんねん。自分らには味方がいるって思わんと心細うなってしまうもんなんや」
「でも、摂おばさんたちは地元のひとだし、味方はいっぱいいると思うけど」
「そらそやけど、わたしらはわたしらのできることをしたらええねん。それになあ、他人の面倒をみてきたおひとは自分の面倒をみてもらうのがヘタえ。そんなことしてもろたら申し訳ないって思てしまわはる。そやさかいに、うちらは摂さんが困ったときに弱みを見せられる相手になったらええねん」
「そうかあ。わかった」
「あんたはあかねちゃんの言うこと、黙ってきいてあげるねんで」
それは摂が、恵吾に先立たれて途方にくれていたあずにしてくれたことなのだろう。
家にある材料であずは手早く弁当を作る。白い割烹着をつけた後ろ姿の無駄のない動線をひなはいつも誇らしく思う。その背中に負われて病院に通った日もあった。
眠る摂のそばに統三とあかねがいた。近くに住む長男の大輔も来ていたが、その白い空間で交わされる言葉はなかった。
「おばさん、どう? お弁当もってきたんだけど食べてくれる? あの、母の味つけだからみなさんには薄いかもしれないけど」
ひなの声に三人の表情がゆるんだ。面会室でひなが重箱をあけると、ごま塩のかかった俵に握ったおむすびがならんでいた。とろろこんぶを巻いたものもあった。下の段には出し巻きたまご、おひたしやきんぴら、奈良漬などひなが家で食べるような普通の献立が詰めてある。それを見た三人は沈黙の呪縛を解かれたかのように話しはじめた。
「思い出したよ。ひなちゃんちで飯食うと味が薄くてさあ、おばさんが立ったすきにこっそり醤油かけて食ったもんだったよなあ」と、きんぴらを口に入れて大輔がもごもご喋る。
「そうそう、うちんちの味が濃いのかもしれないけど、ひなちゃんちのは味がないみたいだった。そのくせ卵焼きは甘くなくてしょっぱくてね」
「京都のメシは頼りなくてな。まあ、畳職人も肉体労働者だから、どうしてもそうなっちまうんだろうな。その塩分取りすぎってのが血圧の高い原因だったのかもしれんなあ」
どうしても家族の思いは摂のもとへと飛ぶ。もう若くはない統三の疲れが見えた。
病室に戻ってひなは摂の顔を見た。いつだって身振り手振りを交えて表情豊かに話す摂が、なんの表情も言葉もなくただそこに横たわっていた。それでも摂は生きていた。握った手が暖かい。そばの機械も鼓動をひろってそう教える。真っ直ぐに伸びた緑の線がぴょんと飛び上がる。ひなはその線が「ひなちゃん、ひなちゃん」と自分の名を呼んでいるような気がした。
「じゃ、わたしはこれで」と言って病室を出るとあかねが追ってきた。ひなが振り返るとあかねは「ありがとね」と言った。ひなは黙ってあかねのそばに寄ってゆっくりと抱きしめた。どれだけの時間だったかわからない。耳元であかねの乱れた息を聞いた。顔を上げたあかねはなんども頷いた。ひなも同じように頷いた。
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