そんな日のアーカイブ 辞書を買った日のこと。
高名な編集者さんお奨めの辞典 のうちの一冊
「現代俳句言葉づかい辞典」なるものを買った。
俳句を作ろうという、センスも気合もないし
その方面の知識など皆目なのだが、このタイトルの前についてある言葉「ことばの海を掬うための」ということばがいいなと思った。
なにしろ言葉数は多いに越したことはないというのが最近の実感で、本書は、それも名詞ではなく
その名詞にふさわしい動詞、形容詞が俳句を用例にして、並んでいて、俳句はともかくも作文を書くのに、この言葉の連結のバリエーションの紹介は まことにありがたいものだと思った。
なにしろものを知らないこと夥しい。最近はますますそういう実感ひしひし!なので 、この辞典をいつも手元においてページを繰ることにしよう!
なんて殊勝なことを思ったりしたのだ。本屋さんの棚の前で。
高名な編集者さんも書いているように、編者の水庭進さんの序のエッセイが、これまたいい。
水庭さんが少年がトンボを追いかけるように 、熱心にこころ弾ませながら、出雲路で「よもつひらさか」に出会うまでのいくたてが、なだらかな言葉で書かれている。それだけで、きっとこのひとはいいひとなんだろうなあと思えてくる。
辞典は「あい」(愛)から始まる。動詞は「奪う」。それは知らないこともないのだが。
その第一句目が三橋鷹女さんの
「鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし」
というものだ。
いやはや、ものしらずのわたしはこの鞦韆がなんだかわからない。そこで躓いてしまう。
検索してみると「しゅうせん」と読んで、ぶらんこのことらしい。
なんだかかっこいいコピーみたいだなあっておもってしまうのだけれど、この鷹女さんは明治33年生まれだそうで
――「愛は奪うべし」というのは、 当時評判だった有島武郎の評論 「惜しみなく愛は奪う」を引用したものといわれます。
という説明がある。
ブランコを漕ぎながら、愛を奪う決意をする明治のひとううむ、なかなかにドラマティック!
鷹女さんの自伝のなかに、こんな一節があるのだという。
一句を書くことは 一片の鱗の剥奪である
一片の鱗の剥奪は 生きていることの証だと思ふ 一片づつ 一片づつ剥奪して全身赤裸となる日の為に
「生きて 書け・・・」と心を励ます
うわあ、潔くてかっこいい。全くもってこの辞典の第一句目からガーン!と 深く感じ入っている。
それにしてもしらんことが山ほどあって この先を思うとなんだか、頭が痛い・・・。