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ふびんや 12「カタオカ Ⅳ」
京都の家は暗がりが多い家だった。あかりとりの天窓から差し込む光さえ、しっくい壁の煤を取り込むのか、どこか濁って見えるのだった。
「はしり」だとか「おくどさん」なんてチサがよく口にした京都弁をもう聞くこともないのに、今もひなの夢にはその家の台所が現れ、小さなちゃぶ台にチサの作った料理の湯気がたっていたりする。
あずとひな、 ふたりがふっと黙り込むと、そのそばをねこがすり抜けていった。目ぢからのある太ったとらねこだ。足袋を履いたように足首だけが白い。
「あ、ねこだ。おおきいなあ」
ひなの声に耳だけをレーダーのようにこちらに向けて、とらねこは更地の少々凹凸のある土のうえを冷たい風に吹かれながらそろりそろりと歩いていく。歩きながら、なんとも神妙な顔つきであたりを見回す。
「ああ、あのねこ、小枝さんの家でみたことあるわ。小枝さんが飼うたはったわけではないけど、時々遊びに来ては、ご飯食べて、まったりしていくんやて。ほれ、首輪してるやろ。よそで飼われてるねこらしいけど、どういうわけか、なつかれてしもたさかいにしょうがないっていうたはったわ」
「へー、ちゃっかりしてるね。で、あのねこ、メスなの?」
「いや、うしろすがた見てみ。鈴みたいな、かいらしもんがついてるやろ」
「かわいいものって、ああ、あれかあ。ふふ、やーねー、母ったら」
「呼び名がな、カタオカっていうねんて」
「カタオカって苗字でしょう? ねこにカタオカ? なんかおかしい。でもなんでカタオカなの?」
「昔の俳優で片岡千恵蔵っていうひとがやはってな、そのひとに似てるさかいにカタオカにしゃはったらしいわ。多羅尾伴内とかいう探偵の役をやってたひとやて」
「たらおばんない? へんなの」
「昔の映画らしいわ。七つの顔を持つおとこやねんて。わたしも、そんなこともしらんのんか、て小枝さんにあきれられた。そういうたら、あのねこも、本宅ではちがう名前で呼ばれてるねんやろけど、ここにきてカタオカって呼ばれたら、ちゃんと返事してたわ」
「返事?」
「うにゃーって」
「もうー、母ったら」
「ふふ、まあいうたら、通いねこやもんなあ。好きなときに来て、気が済んだら帰っていくねこや。親しい名前で呼んでしもたら情が移ってしまうし、むこうさんにも悪いさかいに、他人行儀な苗字で呼ぶくらいのそっけなさで、ちょうどええんやって、小枝さん、いうたはったえ」
「へー、なんだかわきまえたおばあさんだったのね」
「そやなあ、佃島のほうの生まれやていうたはった。隅田川、見て育ったんやて。江戸のおひとはすっぱりしたはるなあて思たわ」
いや、それでも、とひなは思う。きっと小枝さんはガラス戸や網戸がほとほとと叩かれる音を心待ちにしていたにちがいない。しっぽを真っ直ぐあげて細く開けた戸からするりとはいってくるカタオカを小枝さんは笑顔でむかえる。ああ、きてくれたんだね。寒かったろう。あったまりなよ。風が強いねえ。雨が降りだすかもしれないよ。そんな声を聞きながらくつろぐカタオカ。名前を呼べば甘えるように答えたりもする。小枝さんのひざのうえで居眠りもして、ああ、ずっとここにいてくれるのかと思えば、ふっと歩き出し、戸の前に座ってひと声ないて小枝さんを振り返る。その後ろ姿に、帰るところのあるねこなのだと思い知らされる。
そんな光景を思い浮かべ、小枝さんは、ひとひとり迎えるのとおなじ思いでいたのではないかとひなは想像する。
「あ、思い出した。あのときはお家にお雛さんが飾ってあったわ」
「えっ、お子さんはいないんでしょ?」
「そうや。そう思てきいたら、そのお雛さんは小枝さんが小さいときにこうてもろたもんやていうたはった。えらい古いもんやったけど、小枝さん、大事にしてきゃはったんやろな」
「お雛さまってフルセット、飾ってたの? おままごとみたいなのも」
「ふん。塗りがちょっと剥げてたけど、タンスも長持ちもきっちり揃てたわ」
あずもひなも雛人形とは縁がなかった。
「でも、そのころはもう具合わるかったんでしょ?」
「そうや、今から思たら、きっと小枝さんは、しんどうても、無理してでも、お雛さんに最後の仕事をさせてあげよ、て思わはったんやろな。やっぱりお人形は飾ってあげんとかわいそうやもんなあ」
「お雛さんの最後の仕事かあ。もう来年はないって本人はわかってたんだね……母に見てもらって喜んでたんじゃないのかな、お雛さまも」
「そうかもしれへんなあ。そやけど、あれはもらわれへんもんやったわ。わたしらには荷が重すぎるお雛さんや」
「ああ、久しぶりになんか感じたの?」
「うーん。はっきりわかるわけでもないねんけど、なんやしらん、体が冷とうなってしまうような、ものすごう胸が痛とうなってしまうようなさびしさ……見てるとかなしいなってくるお雛さんやった」
「傷んでたの?」
「まあ、それ相応にふるびてたんやけど、雰囲気が、どうもなあ。ひとのさびしさを吸い取ってきゃはったみたいな感じでなあ……」
「それって、だれのさびしさ?」
「さあなあ……しかし、あのお雛さん、どこいかはったんやろなあ。どこぞの骨董屋に引き取ってもらわはったんやろか。まさか解体屋の重機に潰されたってことないやろなあ」
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