祈ること願うこと 1
文袋の五月のイベントテーマは「祈ること願うこと」だ。まあ、たった一日の展示なのだけれど、なんかすごく頭がまわってる感じがしている。
たのしんているのもあるが、なんかわからんものにつきうごかされているようでもある。
疫病や戦いが長く続き、人々の心痛む日々のなか、平和や癒しや鎮魂を祈り願う相手、そのかたがたを文袋にして、誰かしらのこころによりそうことができれば、という文袋の願い。
五月の第二土曜日に向けて、新作を鋭意製作中だが、そのテーマにそった旧作もある。
仏像の展示にいったおりに手ぬぐいを求めており、それで作ったもので、それらも展示予定だ。
これは東寺展のおりに求めたもの。立体曼荼羅を表している。
東寺は空海が作った。Wikipediaにはこうある。
空海は、仏の教えを言葉で説くそれまでの仏教を「顕教」と呼び、それに対して「密教」は隠された深い真実なので、言葉では説明できず、図形や画像によってしか伝えられないとしました。
密教の根本経典が中国で図像化されたものが、胎蔵界と金剛界からなる両界曼荼羅図です。「曼荼羅」とは、密教修法の本尊として描かれる諸尊が集合した図をいいます。
空海は、この2次元の曼荼羅図像をさらに発展させ、東寺の講堂を密教の教えが3次元的に体感できる施設にしようと構想しました。それが金剛界曼荼羅や仁王経曼荼羅を基本に、21体の仏像を配置した立体曼荼羅なのです。
この展示には圧倒されたが、この手ぬぐいでは、男前の帝釈天のシルエットがいい感じだ。黄土色と紫のコントラストもいい。インドのリボンを付けてみると、ぐっとエキゾチックになる。
こちらの帝釈天もいい。麻の手ぬぐいと合わせて後光が差すイメージにした。
帝釈天は十二天の仲間である。調べてみると
十二天は、密教における方位の神々である。四方四維の八方位に上下の二方、さらに月日を加えた十二方からなり、密教の修法空間(道場)を守護する役割を果たした。
とある。
たくさんの人々が、守られますように‼️と思う。
そうそう、達磨さんもつれていこう。
なんとも、頼り甲斐のありそうな面構えで、なにもかもお見通しのようなまなざし。弱ったこころが寄りかかれそうな気がする。
しかし、過去の展示でこれらの前を素通りされた記憶がよぎる。あー今回もそんな風になるのかなあ。
いや、誰にも知られず花は咲くのだ。どうあれ、すべてあたしの願いだ。
平和であれかし!
痛みや苦しみや哀しみが遠くあれかし!
こころおだやかであれかし!
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