そんな日の東京アーカイブ 向島百花園
向島百花園でであった老女の手の中には、ごつい望遠のついた一眼レフカメラがあった。
そのひとは園のなかを歩くときは歩行補助車を押していく。
膝の関節が少し変形しているように見えるので、多少痛みがあるのかもしれない。
ところがいったん被写体を見つけたら、重いカメラを手に補助車から離れる。
花や木の位置によって、見上げもするし、中腰にもなるし、不安定な格好にもなる。
赤いツツジのそばで、何度もカメラのファインダーと実物を見比べ 構図を思案していた。
納得できるものが撮れたのか、そのあとカメラをしまい始めた。大事なカメラを専用の袋に丁寧にしまっていた。
「お花もいいですけど、 柳の新芽の色がいいですね」 と声をかけると、そのひとは、にっこりして
「ほんとにやわらかない色で、食べてしまいたいくらい」と答えてくれた。
「失礼なんですが、おいくつですか?」
「もう、80歳を越えてます」
「お元気ですね」
「カメラを持つとなんだか元気がでてきちゃうの。まあ、他にたのしみもないしね」
「どのくらい、されてるんですか?」
「まだ、2、3年よ」
「現像が出来上がったらまたおたしみでしょう?」
「そうね、ながめちゃ、ああでもないこうでもないってね」
「いろんなかたにお見せになるんでしょう?」
「まあ、ねえ」
まんざらでもない顔になる。
「じゃ、これからもがんばってくださいね」
「はい」
たくさんの花や樹に出会った。
盛りを過ぎた花もこれから咲く花もあった。
ひとにも会った。
これから花の咲くひとだった。
*****
それからの月日を考えれば、そのひとはこの世にはもういないだろうと思われるが、そのひとがカメラにとどめた時間は残されているに違いない。
花は散る。ひとの命にも終わりが来る。そうと知りながら、花は咲き、ひとは日々を送る。
いまここにいる自分の儚さはその終わりがあるゆえの儚さなのだけど、だからこそ、自分をとりまくすべてが愛おしいのだと思う。
その人はファインダーをのぞきなが、自分の残り時間を抱きしめていたのかもしれない。
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️