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家なきひと

そんな時代もあったと思い出す。

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大きな駅の階段の中段あたりの右端に、ホームレスとおぼしきひとがいる。 

何度も見かけるそのひとは階段に腰を下ろしているのだが、いつも膝を抱き、体を二つ折りにして頭を垂れている。そしてずっとそのままでいる。

人目に付かぬよう、自分の体をできうるかぎり小さくしようとしているようだった。身を堅くしてなにもかもを拒否しているようにも見えた。

その背が纏っている黒い革っぽい上着は暖かそうに見えるが、足にはなにもつけていない。まそばによってみると膝がかすかに震えている。

ぴたりと合わさった足先は黒ずんでひび割れている。長く靴をはいていないせいなのか、日に焼けて、指先が開き、幅広でごつい足だ。黒い垢がたまった爪が目に残る。

白髪まじりの長い髪が背中で幾筋かに固まり、絡み合っている。おんなのひとかもしれないと推測する。

そのひとの身の回りにはなんの荷物もないのに気づく。いったいどうやって今日一日を生きていくのだろう。そんなふうに小さくなって何から身を護っているのだろう。そしてなにを待っているのだろう。

そのひとのそばを通るたびにそう思い、勝手に用意する答えはいつもおそろしく、せつない。

もしもそのひとがおんなのひとだったら、もしかしたら、十年ほど前に見かけたあのひとなのかもしれない、と思いが巡る。

同じ駅の反対側の出口で、白髪交じりの髪をみつ編みにしたおんなの路上生活者がお弁当を食べていた。

少々汚れてはいるが、たっぷりとフリルの付いた
ピンクの花柄の丈の長いワンピースを着ていた。
それは原宿あたりで高い値段で売られているブランドものに似ていた。

そのそばにはやはり薄汚れた赤いギンガムチェックの大きな巾着がでんと置かれていた。半畳は占めていただろうか。それが家財道具一式らしかった。

人通りの多い通路の柱に凭れかかって、通り過ぎるひとたちの視線を意に介するふうもなく、それが当たり前のことのようにたんたんと食べ物を口に運んでいた。それを見ながら、このひとは「人形の家」の「ノラ」かもしれない、と思っていた。

裕福な家庭の専業主婦がなにか屈託があって家を飛び出した。家では、自分が押し潰されそうな日々の連続だったから、最初はその自由に、胸がすいたような晴れ晴れした思いだった。

どこそこの嫁でもだれそれの妻でもなく、なにちゃんのおかあさんでもない「わたし」になれた。毎日毎日おんなじ家事の繰り返しなら、別に「わたし」でなくたっていいんじゃないの。「わたし」だってなにかできるはずよ。

そこでなにかが見つかったのなら、こんなふうにここにはいない。

持ち出した金もいずれは底を付き、暮らしに困りはじめる。食べるものにも事欠くようになる。手に何の職も持たず、経験もない身で金を稼ぐことは容易ではない。

プライドと不器用さで、だれを頼ることもできず、あぐねているうちに日はすぎて、そうしてこんなふうに星空を見上げて眠る暮らしを送るはめになった。

それはあたしが仕立てた勝手な物語だから、ほんとうのことではない。それでもこのひとの姿はひとつに戒めのように、懼れのように、ずっと脳裏から消えなかった。

ひとの行く道は幾筋にも分かれていて、その分岐点ではいくつかの選択肢がある。もしも、自分がここに繋がらない道を選んでいたなら、あの階段で身を堅くしているのは、このあたしだったのかもしれない。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️