そんな日のアーカイブ 2003年の築地あたり
1 道を聞く
築地で「うおがし銘茶」という店を探していた。築地2丁目でどうも道がわからなくなってしまったので、八百屋さんで訊ねた。
「お訊ねします。2丁目○‐○はどこでしょうか」
フレッシュフルーツという看板の下でバナナを並べているおじさんに声をかけた。
おじさんはじゃがれた声でボソッと「この並びにあるよ」と答えた。それだけしか言ってくれない。いったいどっちの並びなのかわからない。
なにしろ生まれてはじめて来た道だ。不安なのだ。
「え、どっちですか?」とまた訊ねた。するとおじさんは急に大きな声を出した。そして、またこう言った。
「この並びにあるよ!」
うわあ、怒ってる。ずいぶん気が短いなあ。ううむ,こまった。でも、なんか、いやだなと思う。ムッとくる。どうやらわたしも気短なようだ。
「どうも、ありがとうございました!」こちとらも声を大きくして礼を言った。すると敵もさるもの、大音声で言い返してきた。
「どういたしまして!!」
と、道行くひとが何人も振り返った。ううむ。やられた。これが江戸っ子ってやつなんだな、と実感するが、どうも、業腹でいけない。
「おおきに。おやかましさんどしたなあ。かんにんどすえ」とでも言えばよかった。それはもうゆったりまったりした口調で。
そう、わたし、京おんなだったんだからね!信号待ちをしながらそんな大それたことを考えたりしていた。
2 うおがし銘茶
おかげさまで、ようやく「うおがし銘茶」に辿り着く。大きな建物である。ビルディングである。お茶屋さんだけど、五階に展示会会場がある。丸田秀三さんの陶器を見にきた。
建物全体が木にこだわったまことに凝ったしつらえである。その色といい素朴な調度といい、実に味わいのある落ち着いた雰囲気なのだが、わざわざにどこか古びたふうに仕立て上げてある建物のどこそこから「どうでぃ」なんて言葉が聞こえてきそうな気がしてくる。わざとらしく「よろしおすなあ」とか言ってみたくなる。
男性用はわからないが、女性用トイレがえらく広い。ここもまたこげ茶色に統一されたシックな空間なのだが、その広さに、これはなんとしたことか!とキョロキョロしてしまう。便器がぽつねんとして見える。見通しのよいことである。
京都の円山公園のなかにある長楽館のトイレも広かったなと思い出す。入って右側の一面が優美なステンドグラスになっていたような記憶がある。
あれは明治時代の建物で、もとはたしか伊藤博文さんのものだった。
トイレのあの空間は明治のご婦人方が着用していた舞踏会用の裾が大きく広がったドレスのための広さだったと思うが、ここにはどんなひとがくるのだろう。
展示会でもらった「お茶券」を持って三階の喫茶室へ行く。ほう、ここはスペインとかポルトガルとかいう雰囲気がする。実際に行ったことはないのだが・・・。白い壁に嵌め込まれたステンドグラスは洗練ではなく素朴という言葉が似合う。
そこで日本茶をいただく。もらったのは300円券だったのでそれで購える「しゃん」という銘柄をいただく。
運んできてくれたおねえさんがお茶そのものや入れ方の説明をしてくれる。静岡茶である。東京の水道水に一番合うのは宇治や八女じゃなくて静岡茶だそうだ。
五グラムを一人用の小さな急須に入れて、そこへ湯冷ましでさました湯を注ぐ。むろん、湯飲みもあっためておく。揺らしたりなんかしないで、お茶の色を見ながら時間を調節してゆっくりと出す。ゆっくりしないと急須のなかで茶葉が重なってしまい、二煎目からが出がらしになってしまうのだそうだ。
とまあそんなふうに、おねえさんはいかにも去りがたい風情であれこれとお話くださる。「はーはー、そうですか」とありがたく聞いているうち、
おねえさんの黒っぽいお洋服に赤いものを見つけた。よくよく見て見ると、それは小さな丸いバッジだった。白抜きで「おせっかい」とあった。
3 おせっかい
「しゃん」はおいしいお茶だった。渋くも甘くもなく、強く主張しない味だと思った。でも、こんなふうに丁寧にお大事に淹れてやれば、きっとどのお茶もおいしいにちがいない!と思ったりもする。
ラグビーの試合で誰かが倒れたら、マネージャーが慌てて抱えてくるようなでっかいクラシカルな薬缶の湯にぐわし!と自家製のこげ茶色の大きな茶葉を掴みいれた番茶があたしの幼い頃の飲み物だった。滴る汗をぬぐいながらごくごくと飲み干したその番茶の味が忘れられない。母がホウラクで煎っていたときのこうばしい匂いも懐かしい。
なんてことを負け惜しみのように思いながらも、
1階のお店で「しゃん」というお茶100グラムを購入していた。
応対してくれたふっくらしたおにいさんのシャツにも、あの赤い「おせっかい」のバッジが付いていた。これはこのお店のポリシーなのかなと思いながら、他の商品を眺めていると商品名「おせっかい」というお茶があった。なあんだ、そうかあ、みんなで宣伝してるのね、納得していると
そのおにいさんが商品を手渡しながら笑みもなく言った。
「中にティースプーンが入っています。それですりきり一杯いれてください。それが五グラムです。上で飲んだのと同じ味になります。それでじゅうぶんです。たくさん入れればいいってもんじゃありませんから」
4このままじゃあ、けえれねえ。
さて、これからどうしようかねえ、と空を見上げると、9月だというのに「文句あっか!」とでもいうようなカンカン照りである。「はやくけえりな!」とでも言われたような気がしてくる。
暑さに弱い体型ゆえ、したたる汗を拭いながら、そうだなあ、帰ろうかなあと思う。しかし、なんかしっくりこない。漠然と不満足なのだ。敗戦投手みたいな気分のまま帰路に着きたくはないのだ。
「ひとりの親切なアメリカ人に出会ったら、アメリカ人ってみんないい人なんだって思ってしまうことがある」と書いていたひとがいたが、きっとその逆もあるはずでなんだかそんな気分なのだ。
ここだけで築地をおしまいにしたくないと思った。
どうせ、今はおのぼりさんだもんなあ。だったら、しっかりおのぼりさんをやってやろうじゃん!しっかり築地をみせてもらいまひょ!という気がしてきた。うーんなんだか強気である。歳を重ねるとだんだん一筋縄ではいかなくなるなあ、とそんな自分に驚いたりする。
街なかにある地図を見る。おおー「芥川龍之介生誕地」ですかあ。「浅野内匠頭屋敷跡」ってのもある。でもって慶応義塾発祥の地ときたもんだ!。
「ほうほう、それはいっぺん拝みにいきたいもんですなあ」なんて呟いて歩き始める。正真正銘おのぼりさんである。
聖路加病院のそばに碑があった。そうかあ、芥川はここで生まれたのかあ。お母さんがこころを病んだひとでちいさいころに本所のおじさんところに貰われていったりしていろいろあってたいへんだった芥川を思い、ちょっと憂鬱な顔をして頬に手など当ててみる。
「元日や 手を洗いおる ゆうごころ」という芥川の俳句があったな、とふいにおもいだす。東京生まれの東京育ちでありながら生まれたところと異なるところで住まうようになった人間のどこか根付いていない、違和感みたいなものが、このひとにはあるのだと教わった。そうかあ、ここで生まれたのかあ。
そのそばのある浅野さんの碑を見ながら、涙なくしては語れない忠臣蔵も偉大なるお江戸の「プロジェクトX」であるなあ、と思う。中島みゆきの「地上の星」が口をついて出る。
西の国からやってきたこの浅野さんもまたこの地のひとのありようやしきたりに、違和感を抱きつづけたひとではなかったか。
そこでまた地図を見て築地本願寺を見つける。「ほうほう、本願寺さんどすか。そらお参りさせてもらいまひょ」大学が本願寺系の学校だったので親鸞聖人の教えの端っこは聞きかじった。まんざらご縁がないわけではない。
しかし陽射しはがんがん照りつけ、めまいしそうに暑い。われながら、なにやってんだかと思いながら歩く。気がつくとまようこともなく築地本願寺の前にいたのだが・・・へー、こ、これが本願寺さんどすか!と驚いた。
「京都にあるのとえらいちがいますなあ。石でできてますのんかいな。これは、どういうたらええねんやろね。外国ていうかインドあたりの役所みたいなたてもんですがな。こんなん、ありどすか?」なんてことを言いながら見上げた。
まったくもって、首が痛くなるほどでかい。しばし見とれた。ここまででかいとなんだかあっぱれな感じがしてくる。いったい中身はどうなっているのやらとにわかに湧く好奇心をなだめながら石の階段を上った。
5 築地本願寺
「これはこれは・・・」そのあと言葉が続かず、ぽかんと築地本願寺本堂の天井を見上げる。
外はインド風でもなかは日本式である。大きな雲形や桃山時代風の手の込んだ飾り天井は圧巻だ。
これでこそ本願寺さんやわ、とほっとするのもつかの間、にょきにょきという感じで天井に伸びるギリシャ神殿にあるがごとき白くて太い柱が目に入る。ああ、違和感。勝手に違和感。
堂内にはカトリック教会のように椅子がずらりと並びその中央がバージンロードのようにあいている。入り口の両サイドには、なんとも立派なパイプオルガンがあった。
「ブッダーム サラナーム ガッチャー ミー」
この旧西ドイツワルカー社製パイプオルガンが仏教音楽を伴奏するのかあ。仏教も世界に伝道されているのだと実感する。
お寺のバージンロードをゆっくり歩いて突き当たりのまばゆく輝く御本尊にお参りする。お賽銭をあげて一礼をして焼香をして手を合わせる。「なむあみだぶつ」。これは同じ。ちょっと秘密のことをお願いしてみたりする。
また一礼をして振り返ると落ち着いた感じの中年女性が順番を待っていた。片手に日傘を持ち、しきりと汗を拭いている。こんなに暑くてもお参りしていく信心深いひともいるのだと感心しながら頭を下げる。どこであろうと手を合わせる思いは同じ。容れものがどんなふうであれ思いは同じ。
貰ったパンフレットを読んでみる。まえの本堂は関東大震災で焼けてしまい帝国大学工学部教授の伊東忠太さんが設計したと書いてある。昭和九年、このインド様式の本願寺さんが三年もかけて建ちあがった時、築地界隈の江戸っ子さんたちはどんなリアクションをしたんだろう。みなで繰り出して、「てえしたもんだ!」と言いあったのだろうか。
いやあ、えらいたいしたもんを拝ませてもらいましたわ、と嘆息しながら階段を下りると広い駐車場に観光バスが入ってきた。ぞろぞろとひとが降りてくる。このお暑い中のお参りごくろうさんどす、と思って見ているとそのひとたちはこちらにはやってこない。こないばかりか、回れ右して、ぞろぞろと門を出て行った。えー、どこ行くの?と思ってあとをつけてみた。
ははーなるほど。彼らは築地の場外市場のほうへむかうらしい。もの好きなわたしもそっちへむかう。
6 場外市場
噂に聞く築地場外市場は、昼過ぎという時間もあってシャッターを降ろしている店が多い。団体のみなさまはそんなアーケードの前を行く。そのあとをあやしいおばさんがつけていく。ものずきである。
細い路地で立ち止まった中高年の団体さまはガイドさんの説明に耳を傾ける。どうやらこれから路地奥のお寿司やさんへいくらしい。どのひとも期待のこもった顔つきになった。ズボンをひきあげるおじさんもいる。築地のお寿司ですもんね。ネタがちがいますもんね。
でも、いかなあやしいおばさんもそこまではついていけないです。いってらっしゃい!たんとおたべやす。お参りもおわすれなく!
さて、取り残されたおばさんは足のむくままに細い路地をうろうろする。ほうほう「まぐろにぎり」、「ヅケ丼」、「回転寿司」は本日半額!ですか。店舗は決して新しくはないけれど、どれもおいしそうだ。呼び込む声も威勢がいい。
方向音痴のくせにあちこちぐるぐる歩きまわって
どこをどういったのかわからなくなったころに魚屋さんの前にでた。さいとう商店である。
イセエビがひげをピンとたてて、わたしを呼び止めた。立ち止まるとはちまきをした眉の太いおにいさんが声をかけてくる。
「ねえちゃん、カニかい?エビかい?」
「イセエビを」とねえちゃんであるわたしはこたえる。
「おおー、いいねえ。刺身用にしてやろうか。のぶちゃん、たのんだぜ」「おう」と奥で包丁をにぎるのぶちゃんがこたえる。
「あとはなんにする、ねえちゃん」
「かんぱちがおいしそうなんだけどちょっと多いなあ」とねえちゃん。
「なあ、ねえちゃん、刺身のサク取ったあと切り身にしてやろうか」
「あ、おねがい」
「のぶちゃん、こいつもな」
「おう」とこたえたのぶちゃんは今イカを山ほど切っているところなのでしばし待たされる。
そこへ短パン姿の若い男の子が5人ほどやってきた。「バーベキューするんですけど、おねがいします」
「おおー、いいねえ、のぶちゃん、イカだよ。イカ!」
「おう、今、バーベキュー用に切ってたとこだよ」とのぶちゃんも調子がいい。
「山もり持っていきな。千円でいいよ」
「あ、ありがとうございます」リーダーが折り目ただしく感謝する。
「あとはなんにする、にいちゃん。あ、ホタテにエビだな。どっちも山もり千円でどうだい」
「いいんですかあ」
「おう、いいっていいって」
そこへ白い犬を連れたおじいさんがやってきた。そして、店のまえにいるふたりづれに「なんでもほしいもん、言っとくれ。安くさせるよ」というと奥にはいっていった。オーナーですか。しかし、そのおふたりは日本語らしからぬ言葉をかわしていますよ。
となりの店から角刈りのおにいさんが発泡スチロールの箱を持ってきた。
「にいちゃん、これに氷いれて持ってきゃいいよ」
「す、すみません。ご親切に」
「いいって。なんかのクラブかい?」
「会社なんですけど、ちょっと体育会系の会社で」
「じゃ、新入りが持つんだろ、これ。重てえぜ。気いつけな」
なんだかみんなでそのおにいちゃんたちのバーべキューが気になっていてわたしの分はなかなかできない。
のぶちゃんは60歳くらいの渋いおじさんで、目つきが鋭くて、口数があまり多くない。ちょっとこわいので黙って待つ。フレッシュフルーツのおじさんに学んだこともあるので、黙って待つ。のぶちゃんがこっちを見た。なにか言いいたそうなんだけど黙っている。
「きんめ!」と板前さんのようないでたちのひとが言う。はちまきおじさんが「おう、いいねえ」と応対する。「めいた!」も買うらしい。
いきなりのぶちゃんが「ねえちゃん、かつお持ってきな」と声をかけてくる。
「色がちょっと悪いけど、家帰ったらすぐしょうが醤油に漬けるんだよ。にんにくでもいい」
「は、はい。どうも」とくちごもっていると「煮ても、焼いても、から揚げでも竜田揚げでもうまいぜ。なにしろ鰹節にするやつだもんな。はは」
と言ってのぶちゃんが笑った。渋くて意外にかわいいのぶちゃんである。
はちまきおじさんが品物を手渡してくれる。お代をしはらう。かつおはいただく。
「イセエビの身はそぎぎり、頭は味噌汁だよ。かんぱちは切り身もあるからね」
「すぐしょうが醤油に漬けるんだよ」とのぶちゃん。
ついでに最寄の駅までの道を尋ねると、ちょうど出てきたオーナーがしゃがれ声で教えてくれた。
「あっちかたをまっつぐだよ」
「うん、わかった!」
行きはあやしいおばさんだったのに、かえりはききわけのいいおねえさんの気分である。ずっしり重いお魚を手に、ええなあ、築地などとおもって炎天下を歩いた。
その世の我が家の食卓のゆたかであったこと!
夢のようにとろけるお刺身でありました。
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️